小春⑤
「やっぱり、気になる?」
「ええ、まあ」
きっと小春さんのことなのだろう。私は素直に認める。
もう一度徳利を空にした輪廻さんが、私を見る――いや。私というよりは私の後ろにある何かしらを見ているような気がした。きっと輪廻さんの目は私の方へ向きを定めていても見ているものは私ではなく、私の背後数メートルに照準を据えている。
「いつかは、何かの折に言わなきゃ駄目だとは思っていたからね」
言い訳するように輪廻さんは前置く。
「多分察しているとは思うんだけど、舞踏荘には龍馬や百華が入ってくるまでにも人がいたんだ」
きっと、それが小春さんなのであろう。私は頷く。
「小春はとても面白い子だったよ」
だった。過去形に、私の胸中が濁る。
「誰よりも強く、誰よりも優しく、誰よりも思いやりに溢れ」
輪廻さんの口が一瞬止まる。
「誰よりも、自分のことを恐れていた」
「恐れていた……ですか」
輪廻さんが首肯する。「小春は、自分の中に棲む小春に恐れていたんだ」
いまひとつ抽象的な表現に、私は押し黙る。
「慧ちゃんも経験あると思うんだけど、仮面を着けたままの運動って普通に動くこととはわけが違うよね」
点頭する。
「小春もそれで、とにかく能力が強力だったんだ。誰も止めることができないくらいにね」
「輪廻さんがそこまで言うんですか」
私からすれば輪廻さんだって十分強い。その輪廻さんをもってしてまで、強いと呼ばれているということは私の想像では賄えないくらいに強いということなのだろう。
「今の私でも、当時の小春に勝てるかは怪しいかもね。勝率は高く見積もっても六割くらいだし」
一体どれだけ強かったのだろう。私は目眩すら覚えた。
酒で唇を濡らした輪廻さんが、続ける。
「小春は特別自分自身に対する猜疑心が強くてね、常に自分のことを恐れていたし、なんとかしたいとも思っていた。私たちはそんな闇にも気付かず、彼女に頼りきりになっていたんだ」
輪廻さんはひと呼吸挟む。
「ある日彼女の心のバランスが崩れてね、暴走した末自分の能力で死んだ。言ってしまえば、私たちの未熟が小春を殺したようなものだ」
私はコップを両手で掴む。手のひらがひんやりと冷えて、少しだけ痛い。
「小春が死んだ直後、もう一人いた仲間が舞踏荘を飛び出してね。一時ここは二人だったんだ。私とタンポポの二人」
もうひとり、小春さん以外でここに居た。
私はこの間輪廻さんと話していた内容を思い出す。たしか彼女は、『過去に二度、タンポポは男の布団に潜り込んでいる』と話していた。輪廻さんと車に乗り込み、街の仮面犯罪者と戦いに行った時のことだ。
当時の私は特別気にしていなかったものの、思えば違和感がないではない。一度は龍馬さんの布団に潜り込んだとして、もう一人が思いつかなかった。それはつまり、先の話題で出た男性なのだろう。今更になって、やっと辻褄があった。
「タンポポは頻繁に小春さんのことを思い出すんですか?」
いや。輪廻さんが否定する。
「大切な仲間だったからいつも想ってはいると思うんだけど、言葉にしたのは随分久しぶりのことかな。さっきだっていきなりあいつの方から小春の話をされて、私も少し驚いた」
じゃあなんで、私がタンポポを呼びに行った時に私を小春さんと間違えたのだろうか。
「強いて言うなら、慧ちゃんは小春とよく似ている。顔の作りも当時の小春とどことなく似ているし、特にそこ」
輪廻さんが人差し指で、自身の下瞼をなぞる。私も釣られてなぞる。私の下まぶたには、例の消えない隈が黒々と浮き上がっている。
「小春は自分を疑いすぎるあまり眠れない夜も多かったそうだ。その時にできた隈が、慧ちゃんのそれとそっくりなんだよ」
親子なんじゃないかってくらいにね。微笑む輪廻さん。話題のせいだろう、笑った輪廻さんを見るのは久しぶりな気がした。
「だから、私と約束してくれ」
トーンを落とした輪廻さんが、居住まいを正す。私も見習い、背筋を伸ばした。
「仮面があるからといって、私たちは全知全能の神様になったわけでもないし想い次第で強くなれるとは言っても必ず限界はある。そのことをしっかりと胸に刻み込んで、自分の衝動に呑まれないで欲しい」
私はしっかりと頷く。輪廻さんの声からは、切実な願いを孕んでいる。
「話が長くなっちゃったね。私はもう寝るよ」
輪廻さんはすっと立ち上がり、座ったままの私の頭に手を乗せる。
「じゃあ、また明日」
私も牛乳を素早く飲み干し、足早に広間を立ち去る。
今午後四時くらいなんですが、予約投稿なる機能を使っております。一応予定では午後十時くらいに掲載されている予定なんですが、もしわけのわからない的はずれな時間に更新されていたら「情弱乙m9(^ω^)」と一言お願いします。