デート⑧
嫌な予感しかしない。
「お願い」
杏樹の祈りが聞こえた。私も続く。「お願い」
ぬいぐるみが一瞬浮いた。そのままどんぐりのようにぬいぐるみの坂を転がり落ちる。
腕が動くと同時に、アームに引っかかっていた紐も引かれる。まるで一本釣りでもするかのように、ぬいぐるみが飛んできた。予想外のことで目を丸くしている私と杏樹の眼前を、ぶら下がっている熊が揺れながら移動する。
釣られた熊も、景品の穴へ落ちる。
祝いの電子ファンファーレが鳴り響く中、杏樹が確かめるように、言葉を舌の上で転がす。
「取れた」
言霊として現実のことと認識できたのだろう。興奮した杏樹が、私に抱きつく。
「取れたよ! 景品! しかも二つ!」
抱きついてくる杏樹を、私は反射的に抱き返す。取れたことがリアルなものとして私の体に染み込んだ瞬間、杏樹を思い切り抱き上げた。
「取れた!」
「さっきから言ってるよお!」
私たちはひたすら取った取ったと、鬼の首でもとったかのようなテンションで叫び倒す。私たちがおとなしくなるのは、それから五分後のことだった。
「いやー。楽しかった!」
杏樹が満足そうに話す。彼女の前にはチョコパフェ。私の前にはせんべいの盛り合わせ。食べる物一つでも、女の子はここまで可愛らしいものを注文するのかと戦慄した。
「記念のプリクラも取れたしねー」
私は財布から台紙を取り出す。そこには、私と杏樹の二人で撮ったプリクラがプリントアウトされていた。先ほどの興奮はどこへやら。写真の中の私は真顔だ。なぜかうまく笑えなかったのである。
「慧ちゃんは今日楽しかった?」
訊かれて、私は顎を引く。「杏樹は」
ご機嫌な彼女を見て訊くまでもないと思いながらも、私は言葉に出して言ってみる。杏樹はにっこりと笑って、一言。
「楽しかった!」
杏樹を見ていると、私は楽しくなる。私にはないものを持っているせいだろう、見るたびに新しい発見があって、その驚きが新鮮で面白い。
壁にかかっている時計をちらりと盗み見た杏樹が、華にクリームをつけたまま話す。
「そろそろ帰った方がいいのかなあ」
「もう?」
私は腕時計を確認する。現在の時刻は午後五時十三分。特別、急いで帰る時間のようには思えない。
私の顔にそう書いてあったのだろう。容器の底に溜まったアイスや生クリーム、ひいてはシリアルが溶け合ったものを掬おうと悪戦苦闘しながら杏樹が答える。
「この前のマンション火災、ニュースでは一切の過失がない奇妙な事件って言われてるけど噂では放火の可能性がるんだって。つまり、放火するほどの不審者がこの街にまだいてもおかしくないでしょ? だから、怖いことにならないうちに家に帰んなきゃなーって思ったの」
それも、ネットの情報だから半分くらい嘘だと思うけどね。掬い上げたクリームたちをぺろりと平らげ、杏樹は顔の表情を溶かす。それほどにまで美味しかったらしい。店の人たちからすれば冥利に尽きるだろう。
「ねえ杏樹」
コーラを飲んでいる杏樹に話しかける。「その火災のことって、もっとよくわかんない?」
杏樹は曖昧に首をかしげる。
「私もそこまでネットで調べたわけじゃないし、わかんないかな」
私はそこで引き下がる。それ以上聞いて怪しく思われることも、得策ではないだろう。杏樹が学生鞄を持ち上げて、元気な声で音頭をとる。
「じゃ、帰ろっか!」
小さな鼻先に、生クリームをつけたまま。
先日、ふと廃墟の写真集みたいなものを本屋で見ました。で、夜の街を歩いているとふいに「あのビルも世界中から人が消えていくらか経つと廃墟になるんだなー。廃墟写真集とかに載るんだろうなー」なんて思っていましたが、そもそもその写真集誰が出すんだよって話になりますよね