舞踏荘へようこそ
下宿先というより、それは旅館と形容したほうが近いような気もした。古い和の雰囲気が滲む外見は私が知っているマンションやアパートのイメージからは大きくかけ離れ、数秒ほど目の前の建造物についてしっくりくる名詞を探すとやはり民宿だった。まさか間違えたのかと思って地図をと現在地を見返してみても、ここで間違いない。名前も、“舞踏荘”と少々変わっているものの間違ってはいない。
間違っていないのだから自信を持って入ればいいのだが、もし万が一間違えていることを考えると尻込みしてしまう。
さてどうしようか。躊躇に躊躇を重ねていると。民宿からひとりの女性が出てきた。肩甲骨付近まで黒髪を伸ばした、大人びた雰囲気の女の人だ。
「君が“舞踏荘”に入る予定の子かな? 私は桐生輪廻。好きなように呼んでくれて構わないよ」
「お世話になる朝倉慧です。よろしくお願いします」
綺麗な人だ。お世辞でもなんでもなく、私は素直にそう思った。
シャープな顎に涼しげな目もと。口元にアクセント代わりに添えられている黒子が、アダルティでなんとも悩ましい。
しみじみと感心していた私の腕を引いて、女性は館内に誘う。
「少し遅かったようだけど、何かあったのかな?」
「特に何もなかったんですが、晩御飯を食べてきたので」
嘘ではない。ここへ来る前に夕食を済ませ、着いたら寝るだけの体制を整えていたことに偽りはない。ただ、最寄り駅に着いて程なくしてわけのわからない男に絡まれ、ファンタジックなひとときを伏せているだけだ。情報を出し惜しみしているだけで、嘘をついた覚えはない。
「今荘長は風呂に入っていてね、少しだけここで待ってていてくれ」
言われるがままにカバンを下ろそうとした私の真ん前を、一人の幼女が通り過ぎる。
「あ」
私の締まらない声に気づいたのだろう、とことこと通過しようとしていた幼女は私の方を向き、同じく「あ」と呟く。
西洋人によく見る金髪と青い目。私はこの幼女を忘れることは生涯ないだろう。なぜなら、散々人のことを異臭扱いした不遜幼女だからだ。
私が目を丸くして幼女を指差していると、輪廻さんが目を丸くする。「どうしたんだい二人して。まさか顔見知りって間柄じゃ……」
輪廻さんの口舌が、どたどたと何やら騒がしい物音で踏み潰される。きっと足音であろう騒音は、奥から徐々に接近しているようにも思えた。
「やっと客が来たのか!?」
やってきたのは、腰にタオル一枚だけの男だった。
今は濡れているが黒い髪に大人っぽさと幼稚さを同居させた顔つき。私は、この男を知っている。ここへ来る前に遭った、ナンパ男とも不審者ともつかないあの男だ。
向こうも私の顔には見覚えがあるのだろう。取り乱しながらも私の顔を見ていた男が、豪快に笑い始めた。
「なんだ。今日来る新しい入居者ってのは嬢ちゃんのことだったか。妙な偶然もあるもんだなあ!」
半裸の男はひとしきり笑ったあと、親指を立てて自身へ向ける。
「俺の名前は師走タンポポ。ここの荘長だ!」
子供たちのなかに混じっても違和感のない笑みで自己紹介する不審者――もとい師走タンポポさんを見て、私はボストンバッグの取っ手を右手から滑り落とす。どすんと、私の胸中に何かが落ちた気がした。リフレインされるのは、路地裏であったあの不可思議ワールド。
ひょっとしたら私は、とんでもないところへ転がり込んでしまったのではないだろうか。
男の高笑いとは対照的に、私の胸にはざわめきにも似た予感が渦巻き始める。
これからを案じる私の胸中を吹き飛ばすようにして、荘長の声が耳を叩いた。
「舞踏荘へようこそ!」
「毎日更新すると約束したな。あれは嘘だ」「うわぁー!」……なんてことにならないよう、頑張って書いていこうかと思います。ですが更新できなかった日は、お許し下さい!