in車、解説
「いろいろ、困ったような顔をしているね」
「それは、輪廻さんが私の立場であると仮定しての話ですか?」
「今度はしっかりと困った顔をしている」
しっかり困っている。なかなか妙な日本語かもしれない。
輪廻さんが男をぼこぼこにしてから、私たちは大手のハンバーガーショップで昼食を買って車に乗りこんだ。ハンバーガーを平らげた輪廻さんは、コーラをすすりながら私に話しかける。
「先回りして、慧ちゃんが色々と混乱している事柄に解説を入れてみようかな」
コーラが入っている紙コップを置いて、輪廻さんは口を開く。
「まずは、なんで私が仮面をつけた瞬間に街の音が消えたのか、だね。あれは単純で、私たち三人だけが別の世界に飛んだからさ」
解説のへったくれもなかった。私は眉間に指を押し当て、唸る。
「……つまり?」
「つまってもつまらなくても、そういうこと。らしい」
輪廻さんにしては珍しく、歯切れが悪い話し方だ。
「私も自分の能力について完璧に理解をしているわけじゃないからこれが正しいとも言えないんだけど、私の能力は一定範囲の空間内にいる人間を平行世界に転送できるらしい」
未だに呻吟している私に、輪廻さんは言葉を積み重ねる。
「想いが能力になるってことは話したよね? 私の場合は、現実の世界がつまらないことに由来しているんだ」
もう一度コーラを飲む。私も倣って、ジュースを口に含む。
「私は慧ちゃんくらいの年代にはそれなりに勉強もできたしスポーツも悪くなかったし、何より美人だった。それはびっくりするほどもてたよ」
ほかの人が言うと反感を買ったり冗談の一環だと済まされそうな台詞も、実際に美人で古今を問わずに男性人気が高かっただろうと容易に想像できる輪廻さんが言うとただの事実確認くらいにしか思えないから不思議だ。まるで、今食べているフライドポテトの感想を言い合っているかのような気楽さを感じる。このポテト美味しいね。はい、美味しいです。そんな具合だ。
「だからやっかみも多くてね。億劫なことに、女の子からの嫌がらせが多かった」
輪廻さんのことだからさして気にしなかったのだろう、しかし面倒くさかったことに変わりはなかったらしく、苦笑が滲んでいる。
「その嫌がらせによって、私はこの世界を心底つまらないものだと思うようになってね。多分それが能力の根源だとは思うんだけど、私は生き物を平行世界に転送することができるようになった」
「それって車に乗ってる今転送しようとしたらどうなるんです?」
「多分私たちだけ転送されるね。その平行世界も厳密に存在する平行世界ではなく、私が周囲の光景を模写して作った仮想空間に近いものだと思うから車云々までの細かい部分までは作れないんじゃないかな。今まで何回か試したことはあったけど、平行世界には走行中の車なんてなかったしね」
仮面のことについて、私はまだ訊きたいことがある。
「あのさっき戦った男ですけど、そのままにしておいてよかったんですか? 警察に突き出すとか、他にもなにかしたりしたほうがいいかと」
自分で言っておいて、心底間抜けだと思った。言っておきながら、半分以上は結論が見えている疑問だったからだ。
「彼は仮面の能力で家屋の壁を破壊して盗みを働くというダイナミックな悪党だったからね。それを凶器や爆発物もなしで可能なんて言っても、笑われて終わりさ」
お説ごもっとも。私が警官でも、そんな男を連れてこられたら困る。
「でも、何もしないというわけにもいかないからね」
ポテトを加えながら器用に喋る輪廻さんに、私は首をかしげる。
「心をへし折る」
信号によってちょうど停車していたということもあってか、輪廻さんは私に見せつけるように、細くて綺麗な指で長いポテトを折った。そのポテトは、もちろん輪廻さんの口へ放り込まれる。
「しつこいようだけど仮面は心に依存している。これは詰まるところ、心のバランスがうまくいかなくなった瞬間に仮面の能力が著しく下がることを意味しているし、より重篤な症状であれば仮面の顕現すらできなくなってしまう」
そこまで説明されて、私は察しがついた。
「つまり、あの男の心を折ったということですか?」
「大正解だ。まあ、彼は思いのほかタフだったからちょっと強引な手段に出てしまったけど」
上空二十メートル付近からの位置エネルギーで激突することは、ちょっとと言っていいのだろうか。一般人の私の感覚としては甚だ疑わしい。
「彼はプライドが高そうだったし、一度折れた心はなかなか戻らない。殺さなくてもいい理由はそこだね」
「じゃあ最後に一つ。なんであんなふうにすごいスピードで走れたり勝手に男がよろめいたりしたんですか?」
「二つになってるけど、私は優しいから答えてあげよう」
右手の指先をくるくる回し、輪廻さんはつらつらと歌うように話す。
「詳しい原理は全くわからないけど、仮面をかぶると身体能力が上がる。それも一般人より少し優れているくらいのオマケ程度ではなく、普通の人間なら真似はほぼ不可能だというくらいに卓越した身体能力を得る。これは私に限らずタンポポでも、龍馬でも百華でも同じと言えるね」
車が止まる。また、赤信号のようだ。
「最後の質問だね。あれも簡単で、私が殴っただけだよ」
言っている意味がよくわからない。
「でも輪廻さん、ポケットに手を突っ込んでいましたよね」
「うん」
それが何か?
輪廻さんの顔にはそう書いてある。
「じゃあどうやって殴ったんですか」
「ポケットから引き抜いて、殴って、またポケットに手を入れた」
「……つまり」
私はまとめる。頭が痛くなってきた。
「あの男がよろめいたのは輪廻さんが殴ったからであり、そのカラクリは目にも止まらぬ超スピードのパンチだったってことですか?」
「そうだね。大正解だよ」
私は絶句する。「そうだねって、そんな軽くできることじゃありませんよ」
もはや人間ではない。しかし輪廻さんはなんでもないことのように話す。
「練習すれば誰だってできるよ。練習すれば、ね」
逆に練習でなんとかなってしまうあたり驚きだ。しかし本当にそんな現象があったため、悔しいが認めざるを得ない。私は知恵熱を引き起こしてしまいそうになりながらも、座席の背もたれへ体重を預けた。
「質問ではないけど」
輪廻さんが前置きを挟んで、話し始める。
「慧ちゃんは変わった女の子だね」
「そうですかね」
ハンドルを切りながら、輪廻さんは言葉の所以を解きほぐす。
「なんて言えばいいのかな。こう、女子高生特有のポップさというのか、身も蓋もない言い方をしてしまえば鬱陶しくないんだ。言葉選びや話し方も、女子校生離れしている。なんでだろうね」
期待を込めた目線に当てられ、私は考える。自分の今までと現在を照合し、結論ではないが大まかな考えをまとめる。
「私は人と話す事も得意じゃありませんし、どちらかといえば一人で本を読む方がしっくりくる人間ですので本ばかり読んでいたんです。多分、そこあたりに原因があるかと。淡々とした話し方をするのも、きっと文芸や文学ばかり読んでいたからですね」
「巷の女子たちよりちょっと知的に見えるのも、読書の賜物といったところなのかな」
輪廻さんが話を締めくくり、私も素直に賛成した。多分、それで概ね間違ってはいない。
「時に慧ちゃん、高校の準備はできてるのかい?」
その一言に、私の心臓が跳ねる。輪廻さんから逃げる形で外を向き、流れる街並みを眺める。
「まだ、ダンボールから荷物を出していません」
背後で、小さく丸めた息を転がすような音がした。クスクスと笑う輪廻さんが、深くアクセルを踏む。
「なら、まだ準備できていない慧ちゃんのために早く我が家に帰ろうかな」
「面目ないです」
体がぐっと下がる感覚を受けて、車がスピードを上げる。
これが終わった時に僕はどんなあとがきを書くのだろうか。なんとなく気になって、考えてみましたが、全く浮かばず悩む未来が見えました。いざとなれば「くぅ~疲れまし(ry」でもやってしまおうかと思います。前も書きましたが、ないとそれはそれで個人的に物足りないんですよね