出来損ないの魔導師
また無駄に長くて恐縮です。
「かーしゃまっ」
あたしとロイくんに反応して、清火の離宮の巨大な石門が開かれる。
一昨日までは父様の残した魔力で動いていたけど、今はトージャさんが術を掛けてくれていた。個人邸宅として使用されてる離宮の門は、大抵はこうやって親類など宮主と親しい人の前でなければ開かないようになっているんだ。
門の内側で待ち構えていたのはソニア叔母様とトージャさん、二人の後ろには幾人かの宮廷魔導師さんと、見覚えのある衛兵さん達がいた。
「ロイ!もう、心配させて」
迷わず母親の胸に飛び付いて抱きついたロイくんを愛しげに受け止めた叔母様は、それでも緊張した面持ちのまま、あたしの半歩後ろに立つシン・ロウ様から視線を外さなかった。
「エンジュ」
叔母様よりも更に難しい顔したトージャさんが、あたしを手招いて呼ぶ。
あたしは大魔導師様に手を取られたままなので、どうしたものかと斜め後ろを見上げた。
あたしの視線の先で、シン・ロウ様は白々しく首を傾げて笑った。
新王宮の一番奥の更に端っこから、王宮の東区間の中央にあるこの宮まで、何故かあたしたちは延々と手を繋いで歩いてきたのだ。そして嫌がらせのようにこの人はまだあたしの手を放さずにいる。
流石のあたしもこんなことをされれば、潔くこの原因不明な恋心を認めるしかない。もう途中からは半ば開き直って、なんとも微妙な、後味の物凄く悪そうな、この恋する喜びを満喫していた。
シン・ロウ様の手は、思いのほか大きくて、硬く筋張って、そして吃驚するほど冷たく汗ばんでいる。
気持ち悪いって感覚のほうが確実に強いのに、重病患者なあたしは、ぬるんだこの手すらも好きだと思った。もうどうにでもなれ。
秘密の近道、の正体は謎の地下道だった。
いかにも私は隠し通路の扉です、という感じの出入口に、魔術ではなく絡繰りという歯車の技術で動く階段。体温に反応する特殊な塗料だという、人が居る周囲だけ淡く光が灯る壁。
あの秘密なんちゃら大好きの父様にも連れられてきた記憶がなかったから、恐らくハロナ皇家とかダルシャ家とか以外には、存在すら知られていない道なんじゃないか、と簡単に推測できた。
新王宮の下だけでなく宮外にも根を伸ばし、都全体に繋がる秘密の隠し通路、的な広大な雰囲気だったので、たぶん、国家機密な場所だっだんだと思う。
あたしも敢えて尋ねなかったけど、シン・ロウ様もあの地下通路の由来や本来の用途については語らなかった。
それはまるで迷路のような、いや、これが迷路じゃなきゃどんな道を迷路と呼ぶの?と聞きたくなるような複雑な通路だった。記憶力にはそれなりに自信があるあたしも、十歩に一回はある分かれ道や曲がり角や階段を百過ぎたところで、覚えるのが馬鹿らしくなってやめた。
ロイくんも最初は興味津々だったけど、やっぱり途中から飽きちゃたのか、分かれ道にはあまり興味を示さなくなった。導かれるまま、二人だけでは元の入口にすら帰れない状態であたし達は歩いていた。
だけどあたしの手を引いて歩くその人が、あまりにも迷いのない足取りだったので、不思議と不安は感じなかったんだ。
分かれ道を選ぶシン・ロウ様からは、見事最後まで一瞬の躊躇も感じなかった。事実、一度だって行き止まりには当たらなかった。
近道かどうかは微妙なところだったけど、結局は無事、清火の離宮に程近い地上に辿り着いた。
蓮池に跨がる梅の巨木の洞が出口だった。
何度かこの辺りでお花見をした思い出はあるけど、こんなところに隠し通路の入口があるなんて、今まで誰も気付かなかった。
通路の中には、魔術が一つも働いていなかったからかもしれない。
木の洞を塞いでいた大岩は実は張りぼてで、内側から見ると取手付の引き戸だったなんて。ロイくんがとても喜んでいた。
視線をあたしから叔母様とトージャさんの方へと移動したシン・ロウ様は、あたしの手は離さないまま、のんびりとした素振りで会釈をした。
「お久しぶりです、ソニアさん。元気そうだし美人なままだし、安心しました。それから今日はよく会いますねー、トージャ君」
シン・ロウ様は叔母様に親しげに微笑み、トージャさんには何だか含みある笑顔を向けた。名を呼ばれた二人は固まり、変わりに後ろで固まっていた人達が我にかえったように焦り出す。
髪と目と土気色の肌以外は、爪先まで真っ白な格好のシン・ロウ様を見て、誰もが落ち着かない様子で、あっという間にざわめきが広がっていく。
「大魔導師シン・ロウ……!?」
誰ともなく、確かめるように彼の名を囁き合う声が重なった。
「静粛になさい」
ぴしゃりと厳しくいい放つ叔母様の声で、漸く皆は口を閉ざし、はっした様子で銘々に姿勢を改めた。こういう時の叔母様は高位精霊みたいな迫力がある。
完全に場が静まるまで一呼吸待ってから、叔母様は頭痛を抑えるような顔でシン・ロウ様に応じた。
「ロウ大導師、御無沙汰しておりました。お陰様で恥ずかしながら、嫁いだ女の身分で随分と長らえておりますわ。この通り、まだ当分は夫のもとにはいけそうにありません」
母親の首筋にしがみつくロイくんを抱き返してあやしながら、叔母様は苦笑する。
「じゃ、その子には一生親離れして欲しくないですね。貴女はうちの馬鹿養子にはもったいないですから」
「まぁ、それではこの子があの人みたいに育ってしまいます」
それは困ると可笑しそうに笑う叔母様。叔母様がこんな風に穏やかな様子で、ガロン叔父様の話題に応じるところは初めて見たような気がする。
だけどシン・ロウ様の表情は一瞬だけ、苦しげに陰ったような気がした。
元々笑っていても暗い雰囲気の顔だから、単にそう錯覚しただけもしれない。瞬きすればもう、悪戯っぽい嫌みな笑みに戻っていた。
「大丈夫、男の子ってのは母親に似るものです」
何気にガロン叔父様を貶すような会話を繰り広げる二人をこのまま放っておいていいんだろうかと、おろおろするあたしに、トージャさんの視線が痛い。
軽蔑。それから、不快感、失望。
それが読み取れないほど、子供じゃない。
シン・ロウ様と皇后陛下を茫然と見ていたトージャさんの姿を思い出した。
そっか、あたしとシン・ロウ様の繋いだ手を睨むその視線が、あの時と一緒なんだ。
この絡まった指と、あの時の二人の唇は、トージャさんにとっては同じなんだ。
ぼっと頭ん中に火がついたように脈が上がった。とてもじゃないけど目なんか合わせられない。
赤い顔で俯くあたしに気が付いた叔母様は、思い出したかのような自然な口調で本題に入る。
「それよりロウ大導師、この子達とはどちらで?」
まさかロイくんの移動陣で清月の離宮に忍び込んで、隠れていたら皇后陛下と大魔導師様の不倫現場を目撃てしまい、捕まって連れてこられました、なんて言えなし言いやしないだろうとは思うけど。
だけどよく考えてみれば、不倫云々以外はシン・ロウ様にとって別に叔母様にばらしても不都合ないことなんだよね。
あたしとロイくんにとっては、叔母様に知られたら一貫の終わりなことなんだけど。
「あ、あのねっ!叔母様、それは……」
とはいえ、気の効いた誤魔化しなど思い付かず、あたしが無意味に上げた声はソニア叔母様の静かな制止に重なってすぐにむにゃむにゃと萎んだ。
「貴女とロイのお話は勿論、後ほどゆっくりと聞くつもりです。ロウ大導師のお言葉を邪魔なさってはなりませんよ」
有無を言わせぬ叔母様の様子に、シン・ロウ様はクスクスと笑いながら、空いてる腕を伸ばして、慰めるようにあたしの頭を撫でた。
地下迷路を歩いてる時から時折不意打ちでこんなことをされていたので、少し耐性が出来てきたみたい。もう胸が高鳴りすぎて、震えるとか固まるとかはなくて、無理な力が抜けたあたしの頭が彼の手の動きと一緒に揺れる。
この人に触ってもらえることが嬉しいって気持ちは認めてしまったけれど、これはたぶん子供扱いされてる証なんだよね。正直なところ、どこか釈然としない。
父様と叔父様もよくこうやって、あたしの頭をぐるぐる撫で回していたのを思い出した。もしやこの人から移った癖なのか。
シン・ロウ様の背は凄く高いってわけじゃないけど、あたしは標準以下のチビだ。調度、彼の肩下の位置に頭があるから、手を繋いだままでも苦もなく掌が届いた。
「余計なことは言わないように。悪いようにはしませんから」
わざわざ手をほどかずに反対の腕を伸ばしたのは、唇の動きを隠すためでもあったみたい。
シン・ロウ様はあたしにか聞こえない小さな声で囁いた。もともと響く声はひそひそ話には向かないのか、苦しそうな息を言葉に見せかけている、みたいな感じだ。
せっかくシン・ロウ様が口を隠して声を潜めても、真っ赤になって目を閉じるあたしが丸見えなら意味がないので、必死の思いで平静を装う。
そんなあたしの頭を意地悪に撫で回しながらも、ソニア叔母様に答えを返そうとシン・ロウ様が口を開く。
だけど今度はトージャさんに邪魔された。
「いい加減その手を離せ……してやってくださいませんか」
痺れを切らしたように、聞いたことがないような声でトージャさんが吐き捨てるように言った。途中まで凄く荒っぽい口調だったのは、気のせいじゃないだろう。
もうちょっと小さいころのあたしなら、誰かと手を繋いだり撫でられたりすることに、トージャさんがこんなにも腹を立ててくれているなら、きっと喜んだと思うけど。
人間の心って不思議だ。
今、確かにあたし、余計なお世話よって思っちゃったもの。
昔はトージャさんを独り占めにしたいなんて、困らせてばかりいたのに。
まぁ、とっくの昔に見事キッパリとフラれちゃったんだけど。大事な上司の娘だからか、一応、可愛い妹みたいな存在、なんて当たり障りなく後腐れない感じで。
でも、別に妹でもいいのに、なんてあの頃は本気で思っていた。あたし恋の相手は、結ばれれば誰もが祝福してくれる、そんな優しい人が良かったんだ。「頼れるお兄ちゃんみたいな存在」寧ろ好都合だった。
サラザン家の女に生まれ、この血を繋げることが宿命なら、この命はあたしを何よりも大切にしてくれる人に捧げたいと。
その時がくるまでは、せめて幸せな恋がしたいと願っていた。そうすれば、父様も安心するだろう、と。
だけど、シン・ロウさまがあたしに触れている今、あの頃の自分がどんなにままごとじみた幻想を抱いていたか思い知った。
現実は、自分の足で自分の幸せを踏み潰してるような有り様だ。
いかにも一筋縄ではいかなそうな、一癖二癖とごろか全身癖だらけ、みたいな人に恋なんてしてしまって。
絶対に幸せになんかなるもんかって顔をした人に、誰よりも近くに、あたしの傍にいて欲しくて。
あたし、ほんとにこれからどうするつもりなんだろうか。
思わず他人事のような思考になってしまってるうちに、シン・ロウさまは素直に繋いだ手をほどいて、あたしの頭を撫でるのも止めてしまった。
あたしは素直に残念そうな顔をするわけにもいかず、だけどせめてもの意思表示として、その場から動かないことを選ぶ。
「いやなに、つい、出来心でね。うっかり誘拐してしまいました」
シン・ロウ様の良く通る声は、叔母様とトージャさんの後に控える魔導師さん達にもしっかり届く。あんまり響かないように普段は意識して喋っているみたいだから、たぶんわざとだろう。
二人の背後で再びざわめきが巻き起こる。
あたしも驚いて彼を見上げた。
「……二人は精霊不可侵と絶対不可侵の二重結界に守られたこの清火の離宮の中、しかも鍵のかかった密室から「消えた」と、報告を受けましたが」
叔母様が言った。まるでシン・ロウ様にあたしたちの失踪の状況を説明するように。
厠を鍵のかかった密室と表現したのはさすが淑女の鑑たる叔母さまだ。
不可能だ、と後ろの魔導師の一人が言う。
そう、不可能だ。ロイくんとあたしが清月の離宮まで移動陣で跳べたのは、ロイくんが清火の離宮の持ち主、サラザン家の一族で、しかも結界の内側で術を使ったからだ。
精霊不可侵の結界はガロン叔父様が開発した術だ。今では魔術学院や真宮の防御結界にも応用され使われていて、外部からの魔力干渉を完全に遮断する。
絶対不可侵の方は古くからある結界形式だけど、これはさっき言った親しい人間しか門を通れないなど、物理的な条件をつけて侵入者を阻む術だ。
つまり清火の離宮には、外からの魔術は跳ね返されるので移動陣では入れず、歩いて直接門を通って入るには、結界にあらかじめ設定された条件を満たすか、宮主の許可を得るかしなければいけないってことなんだ。
この二種類の結界で二重に覆ってある建物の中にいる人間を、「誘拐」するなんて、どう考えても不可能です、で正しいのだけれど。
「まぁ、わたしならば、可能ですよね」
白い導衣の袖を見せ付ける動作で整えながら、何かを確めるような口調で大魔導師様がそう言った。
ソニア叔母さまとトージャさんは複雑な顔をしてるけど、後ろに控える人達の殆どは、化け物でも見るような怯えた目でシン・ロウ様を見ていた。
世界の始まりから居る魔導師。
思わず、事実を知る当事者のあたしですら、彼に誘拐されたのだと納得してしまいそうなる。
実際、やろうと思えば本当に出来るのかもしれないし。
全ての精霊と魔術を嘲笑うかのような純白の装い。この人は「大魔導師シン・ロウ」なんだから。
一瞬で叔母様達の背後は、畏怖という名前の静寂に包まれていく。
だけど、あの移動陣が発動された厠に残ってた魔力を、ロイくんのものだって知っていただろう叔母様は、シン・ロウ様の嘘に気が付いている筈だ。
トージャさんも、たぶん、分かっている。だって、嘘を吐く目的が見抜けずに腹が立ってしょうがない、そういう顔をしているもの。
「……お、お、恐れながら、だ、大導師様、どのような術を用いれば、この結界を破って、しかもそれを誰にも気付かれず、人を拐うことができるのですか?」
勇気のある魔導師さんが、わなわなしながらも、堪えきれない好奇心を吐き出した。うん、魔導師ならそこは絶対に知らなきゃ眠れないよね。
答えたのはシン・ロウ様ではなく、ソニア叔母さまだった。
「聞いたところで私達になどには到底理解の及ばぬことでしょう。この離宮に居た魔術師の一人として、二人を拐われたことに気が付きも出来なかったのですから」
そりゃ拐われたんじゃなくて、移動陣で逃げたんだから、気が付かなくて当然なんだけど。
叔母様の言葉に悔しそうに項垂れている護衛さん方には本当に申し訳ないと思う。
宮廷魔導師は侵入を拒む結界内に無理矢理入る、とかで無ければ、移動陣の使用に制限はない。
だから基本的に移動の際はこの陣を敷くのが普通だ。一歩も歩かないのがエリート魔術師のステータス、みたいな風潮すらある。
そうやって日常的に魔術を使うことで、魔術師は宮内に自らの存在を知らしめる。
様々な揉め事、引いては国家転覆なんかを目論む危険分子を生む抑止力となる、それも、宮廷魔導師の大切な勤めだからだ。
そもそも、移動陣の使用に国の免許が必要なのは、術の危険性というよりも政治的な思惑が濃いと思う。
確かに難術ではあるけど、特別強力な術ではないから、結界内とか入れない場所には端から跳べないし、失敗しても発動無し以外のリスクはないから。
しかも宮廷の免許を得れば、魔導院からの補助として術印に軌道補正が付くようになるから、アネイ国内であればまず、失敗の心配はない筈だ。
百人の宮廷魔導師にあなたの一番使用頻度の高い魔術は何ですかって聞けば、八十人くらいは移動陣と答えるだろう。
一定レベル以上の魔導師にとって、移動陣とは、なくてはならないとても身近な術なんだ
あたしとロイくんは軟禁状態だったんだけど、清火の離宮自体には、父様の遺術の処理なんかで結構頻繁に人の出入りがあった。
そうでなくても、護衛の魔術師さんたちは、報告やら交代やらしょっちゅう魔導院と往復しなければならないみたいだった。
結界で侵入を制限されてある内側に無理矢理入ってきた、とかなら兎も角、外へ出ていく人が使う移動陣へ、いちいち気を向ける者など居るはずがなかった。
安心したのか、ソニア叔母の腕の中でうとうと微睡んでいるロイくんが、まさかそんなことまで考えて術を使ったなんてことはないだろうけれど。
護衛の魔導師さん達や衛兵さん達は、よもや五歳のロイくんが移動陣を使ったとは夢にも思ってないだろうし、あたしの魔術に関する評判もちゃんと伝わっていたようだったから、あたしだって疑われなかっただろう。
あたしたちが離宮の外に出たとすら考えてなかったと思う。叔母さまとトージャさんがが来るまで、必死で離宮の中を探し回っていたかもしれない。
そんなあたしとロイくんが、実は門の外に居たってことだけで、充分、理解しがたい状況なのに。
挙げ句の果てに、伝説の大魔導師シン・ロウが自分が二人を侵入不可能な離宮内から連れ去ったのだと自白した、なんて。
確かに冷静な判断が出来ないのは当然なんだけど。
気が付けば、魔導師さん達は口々にシンロウ様を恐れ敬う言葉を囁きあっている。
「これが始まりの魔導師……」
「全ての結界が無意味とは真だったのか……」
「なんという力なのだ……!」
それにしても、ちょっと誰かよく考えてみて、と言いたくなるほど、見事にみんな、シン・ロウ様の言葉に騙された。
この白い導衣がいけないんだ。ロイくんが言ったみたいにまるで絵巻物から出てきたみたいだもの。
いやまぁ、絵ではかなり美化されて描かれちゃったみたいだけど。だけどそれがある意味、実物ならではの現実的な迫力を醸し出している。
常に薄笑いの顔なのに、何故かあからさまに不機嫌そうで近寄りがたいし。この得体の知れない感は凄い。
確かに、魔術の理なんて全部曲げて、この人なら何ができちゃっても不思議がないって思ってしまう。
ただ、魔力を纏わない衣を着て、冷めた目で世界を見、詰まらなそうに笑っているだけで。
でも、だとしたらそれは。
それはとても怖いことだ。
シン・ロウ様に関わる人全てにとって。
そして何よりも彼自身にとって。
あたしはこの人について考えを巡らすうちに、どんどん膨らんでいく不安に堪えられず、シン・ロウ様の手を、後ろ手でこっそり握り直した。この位置でなら、トージャさんからは見えないはずだ。
シン・ロウ様は、思った以上に驚いた顔をした。それはもう、先が思いやられるほどの嬉しさだった。
いきなり抱き付いてキスをしてくる絶世の美女がライバルなら、別にこれくらい大胆な行動でもなんでもない。
あたしをまじまじと見たシン・ロウさまを見返しながら、そう自分に言い聞かせる。
シン・ロウ様は途方にくれたような顔であたしから視線をはずし、ソニア叔母様達の方を見る。手はほどかれなかった。
「そのような強引な手段を取られずとも、お会いしたいと仰られるなら、勿論、喜んでこちらから挨拶に行かせましたのに。せっかちな方ですわね」
叔母様も、どうやらシン・ロウさまの嘘に乗るつもりらしい。
「世界が終わるっていうなら、さすがに少しは慌てたほうがいいんじゃないかと思って」
シン・ロウ様の言葉に誰もがぎくりと身を固くした。
はっきりとは誰も言わなかったけれど、父様の死から、皆その予感に怯えていたはずだ。
トージャさんが鋭い目でこちらを睨んでいる。ソニア叔母さまは悲しそうな顔だった。
何故か、シン・ロウ様の手を握る力が強まった。
シン・ロウ様は飽くまで作り物めいた笑顔のまま、意地でも誰にも思考を読み取らさせないぞっていう、柔らかい声を出した。
「だけど、この娘はとんだ出来損ないですね。拐ってみて解りましたが、とても赤の導師が務まるとは思えない」
面と向かって言われたことこそないけど、誰もがそう思ってることは分かっていた。
いっそのことはっきり言われれば清々しいだろうって思っていたけど、実際にはっきり言われちゃうとやっぱり悲しいものだ。
しかも、好きな人から出来損ない呼ばわりはきつい。
「逆にソニアさんの子はさすが、素晴らしい才能を持っています。あと五年くらいあれば、充分に世界を救う魔術師になれるでしょう」
あぁ、たぶんこれも、皆が思っていても言えないことだ。
「あ、でも暁は「サラザン家の当主」に憑くことになってるんでしたっけ。なら双子とはいえ兄のガルフの子じゃなきゃ駄目ですよねぇ」
まるで、独り言の口調だけど、声を聞けば、この人が聴かれることを目的として喋っているのは明らかだった。
あたしは、泣かないようにするだけで精一杯だ。いつの間にかシン・ロウ様の手が、絡まるみたいになって、あたしを逃がさないように捉えていた。
酷い、としか思えないのに、あまりにその手が冷たく汗ばんでいて、絡み付く指が必死そうで。どうしてもほどけなかった。
もう、この人はあたしの味方ではないと、認めなきゃならないのに。
「神骸の目覚めは近い。わたしの力だけで、どれだけの間、抑えられるか。暁はすぐ主を見付けるでしょう。もしも、彼女を選んだら……」
白の導師、最古の魔導師シン・ロウ様が言う。
その声だけで、精霊を呼んでしまいそうな、誰もが思わず従ってしまいそうな、そんな深く響く通る声。
「世界は終わる」
世界が、恋に落ちてしまった相手が、あたしの敵に回った瞬間だった。
完結するまではちょこちょこ前の方も訂正かけていきます。誤字とか脱字とか。従弟がずっと甥っ子になってました。