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恋と葛藤

らぶこめはむつかしいけども。

「申し訳ありませんでした!」


目の前の男の人、つまり大魔導師シン・ロウ様の張り詰めた気配が漸くほんの少しだけ弛み、あたしは金縛りから解けたようにロイくんを抱いたまま勢いよく頭を下げた。


あたしの身体は小刻みに震えていた。ロイくんを不安にさせたくなかったけど押さえることが出来ない。


だけどそれは、シン・ロウ様の腰元に構えられた刀が、あたし達を切り捨てられる間合いにあるからでも、何やらもの凄く怒っていらっしゃるからでもなかった。


この震えは、露台の下で始めてこの人が視界に入ってきた瞬間から止まらない。


怖い、とは思う。鋭い眼差しも、あからさまに偽物な口許だけの微笑みも。父様に喚ばれた精霊が時折、こんな気配を放つのを見たことがある。殺気、というんだろう。


だけどそれは父様の精霊達の方が百倍怖かったし、何よりシン・ロウ様が私たちを害する理由はないように思った。


皇后陛下との関係なら、その場に居合わせてしまったトージャさんですら咎めもなく見逃されていた。


二人の会話の内容はほとんど聞き取れなかったけど、神骸の目覚めについての話だったと思う。それならサラザン家には無関係なことじゃない。

盗み聞きはいけないけど、あたし達が知ってはいけない話ではない筈だ。


ロイくんの移動陣だっていくら無認可でも今どき死刑は大袈裟だし、喩えそういう法があったところで、サラザン家の嫡子を死刑には出来ない。単なる脅かしだ。


恐怖、というのとは少しだけ違う胸のざわめき。もしも、本当に身の危険を感じてるなら、あたしは震えるよりもまず、ロイくんを守ろうとする筈だもの。もう家族を失うのは嫌だ。


だけど、その必要はないという確信があった。


そう、今の状況を冷静に捉える思考はちゃんとあるというのに。


「顔をお上げなさい。何について謝っているのかも理解していない癖に」


頭上に降る冷やかな言葉。響きを抑えた囁くような声に、あたしは言われた通りにすら出来ず、ロイくんの髪に顔を埋めるようにして震えている。ロイくんは不安げにあたしの肩を擦った。


冷や汗が出た。


だってこんなの変態じゃないか。


この人、皇后陛下と、預言の巫女様と、あの凄まじく綺麗な人と、あんな、大人のキスをしてて、さっきまで気持ち悪いくらいいちゃいちゃしてたのに。あたし、まだこの人のこと、それだけしか見てない筈なのに。


どうして、恥ずかしい、じゃなくて、悔しい、と思った。羨ましい、なんて。


なんで、突き刺さる敵意に満ちた視線を、怖いじゃなくて、悲しいと感じてしまう。


そしてこのまま顔を隠していたら、もしかして次は優しい声をかけて貰えるんじゃないか、いや、それならまだいい、寧ろもっと感情を露にした怒りを見たい、なんて期待している。


最悪だ。


シン・ロウ様は、恐らくあたしが怯えきっていると捉えたんだろう。


「脅かしすぎましたか。ガルフの子だから、相当手に負えない性悪娘かなと先手を打ったんですけど……」


何かに言い訳をするような口調で、シン・ロウ様の困ったような小さな呟きが聞こえる。


さきほどまでの冷たい気配と違う感覚に、今、この人がどんな顔をしてるか知りたくて、あたしは恐る恐る顔を上げた。


いつの間にか、腰に構えていた刀は、まるで杖みたいに持ち替えられていて、シン・ロウ様は気だるげにそれに寄り掛かっていた。それにしてもなんで魔導師が刀なんか持っているんだろう。


濁った灰色の目は、その刀を気にするように伏せられていて、腫ぼったい目蓋の下から隈の濃い目許が酷く病んで見えた。口許にはやっぱりとって付けたような微笑が張り付いている。

ぐしゃぐしゃの髪に、よれよれの暗い柄の着物。ぼろぼろの外套。唯一、綺麗なのは白い鞘の刀ぐらいだった。


信じられない。ちっとも格好良くない。


そりゃ、あたしの初恋はトージャさんだったし、自分が面食いだとは思ってなかったけど。


いやいや、この人、ひょろひょろだし。軟派っぽいし。トージャさんと正反対だし。女にだらしないようだし。不健康そうだし。や、二千年も生きてるから実際は健康なのかな。ていうか、二千歳って、父様より遥かに年上じゃない。


だけどなんだか困りはてたように刀を眺める姿がとても可愛らしく……は、ない。断じてない。


とにかく、あたしは胸を打つ動悸を振り払うように大袈裟に首を振った。


ロイくんは心配そうながら、下ろしてのポーズをとったので、あたしはゆっくりとロイくんを地面に立たせた。


ロイくんを抱いてた胸元がぽっかり空いて、それだけで、目の前の人との距離が縮まってしまったような錯覚がして焦る。重症だ。


「ねーちゃを、いじめないでください」


ロイくんはあたしの着物を握って、いつもの臆病風が嘘のように、シン・ロウ様に向かって、きっと強く睨んで言った。


「ろ、ロイくん、違うの」


あたしはあまり説得力のない顔で、珍しく勇しい様子のロイくんを宥める。


シン・ロウ様は、漸くあたしが顔を上げてたことに気が付いたようで、刀から視線を外し、改めてあたしとロイくんを交互に眺め回した。


二度三度、何かを言おうと口を開き掛けて、シン・ロウ様は結局口を噤んで、全部を飲み込んでしまうような盛大な溜め息を吐いた。


「おいで。君たちの宮まで送りましょう」


「いいえっ。あの、お気遣いなさらず!ちゃんと帰れますっので!」


これ以上、自分の性癖に絶望したくないあたしは、渾身の力で親切な大魔導師の提案を辞退する。


あたしの固辞をなんと理解したのか、シン・ロウ様は重そうな目蓋を上げて、ふと何かに気が付いたように頷いた。


「ああ、なるほど。それもそうですね。……二人とも、ちょっとそこで待ってなさい」


納得を得たようにうんうん頷く大魔導師様は、てっきりあたしの言い分を了解してくれたのかと思ったが、そう上手くはいかなかった。あたしの足は帰路へと動く前に待てと命じられて固まってしまう。


別に魔術で止められた訳じゃなかったけど、羞恥とか乙女心とかの為に、大魔導師シン・ロウの命令を違えるほどあたしは命知らずでも世間知らずでもなかった。


だからシン・ロウ様が無造作に刀を長椅子に放り、そそくさと二階へと上がって行ってしまっても、身動ぎもせず、刀とにらめっこをしてたのだった。


まるで契約された精霊みたいに従順に。


そういえば幼かった頃に一度だけ、父様に呼び出されて嫌々働く精霊に尋ねたことがある。


何故、何でも言いなりになってしまうとわかってて、人間と契約なんてしたんですか、と。その精霊は苦笑しながら、たしかこう答えたんだ。


人の感情に当て嵌めることが許されるなら、恋に落ちるのに少し似ているのかもしれないね、と。


緊張が解けてそわそわ始めたロイくんを、寝台の端に座らせて宥めながら、あたしはぼんやりとそんなことを思い出していた。


父様のお気に入りだったあの反抗的な精霊は、今は何処にいるんだろう。あの子も父様の亡骸を貰ったんだろうか。父様が便利だと誉めてた位だから、もしかしたら今はもう既に別の魔導師と契約をしてしまったのかもしれない。


ふいに吸い込んでしまった煙に、あたしは込み上げる乾いた咳を無理矢理飲み込んだ。


どうやら視界から大魔導師様が消えて初めて、甘苦い香りの煙が周囲を漂っていたことにあたしの身体が気付いたみたい。

今さっきまで、あたしはまともに息をすることすら忘れていたらしい。

この煙に魅了の魔術でも込められているんなら、あたしの気持ちも少しは楽になるんだけど。


この香りは父様の職場や、ガロ叔父様の研究院で何度か嗅いだことがあった。あたしは小さい頃からこの匂いは嫌いじゃなかった。


とろけるように甘いのに喉の奥でじわりと苦い煙を、まだ何も知らない子供のあたしは、魔力の香りだと信じていた。

今は僅な鎮静作用のある薬草と花蜜を煮詰めた匂いだと知っているけど。


そうか、あの人の匂いだったんだ。


「ねーちゃ、あのひと、おふろー?」


無垢なロイくんの問いに、まだ頭が沸いているあたしは、余計な想像に返事をつっかえて激しく咳を振り返してしまった。


確かに彼が上っていった二階には、印象深いとても珍しい浴場があるが、今までの会話の流れで風呂に入りにいったわけじゃないだろう。


なんとなく全身で汗ばんだ感じのぼろぼろ感を漂わせていたから、お風呂に入りたいってご本人は思っていらっしゃるかもしれないけど。

あの浴場はそう気軽にほいほい使えるもんじゃない。この離宮には何故か動力源に魔術具が一切使われていないんだ。


「たぶん、装いを改めていらっしゃるんだと思うよ。送ってくださるみたいだから、もう少しお待ちしましょうね」


二階には浴場の他に、小さな衣装部屋があった。たまに陰干ししたりして丁寧に保管されていた幾揃いかの少し古風な導衣や、父様には少し丈の短い男物の着物は、やはりあの人のものだったんだ。


流石にあそこまで草臥れた格好では、いくら大魔導師様でも宮廷内をおいそれと闊歩できないんだろう。


て、あの格好でどうやってこの宮門から一番奥のこの離宮まで来たんだろう。やっぱり大魔導師様ともなれば存在を消す、とか凄い魔術を使ったのかもしれない。でも移動陣の方がてっとり早いような……。あ、昔すぎて離宮の場所忘れちゃったのかな。


「ここなんかくさいー。ねーちゃ、おうちにとんでく?」


とんでく、とは移動陣を潜るときの魔導師の隠語だ。しかも「おうち」って。目的地が今度は宮廷の外になってるし。無邪気な天才五歳児の恐ろしさを改めて噛み締める。

大魔導師様の「死刑」の言葉は脅しでも、ソニア叔母様の「私刑」はきっと現実のものとなる。


「駄目!危ない術だって、今もロウ大導師に怒られたでしょ?これからはソニア叔母様の知らないところで、勝手に術を使ってはいけません!」


あたしの強い口調に、ロイくんは神妙な表情で頷いた。


まるで言葉と同じように、どんどん魔術を覚えていくロイくんには、とても窮屈な制約だとは思うけど。だけどもう今は、この子の魔力を導く父様は居ないんだ。

ストレスなんて惨めなものに負けて、ロイくんに危険な術を使わせてしまった浅はかさを、あたしは改めて心の底から反省した。


「でもありがとう、ロイくん。もう大丈夫だよ。ねーちゃん、元気になったから」



胸を叩いてあたしは宣言した。久しぶりにちゃんと笑えた気がする。


父様の死は、たとえばこれから一生、実感できないままだとしても、あたしはこうやって少しずつ、二度と会えないって事実を受け入れてていくしかないんだと思う。


未だに本気で悲しむことすらもできない親不孝な娘だけど。出来損ないの娘だけど。おまけにとんでもない人に恋をしてしまったかもしれないんだけど。


「ねーちゃ、ロイが守るからね」


今はとにかく、前を向くんだ。こうやって近くにいる大切な人のために、あたしが出来ることを探そう。


暫くは置きっぱなしの白い刀を遠くから興味津々に観察したり、退屈ぎみのロイくんに昔ガロン叔父様に教わった、部屋に漂う煙の元になっている香り煙草の調合法を教えたりして時間を潰した。煙草の調合なんて五歳児に講じる内容じゃないけど、この子なら明日には完璧な煙草を仕上げて持ってくるんだろうなぁ。


そうこうしている内にシン・ロウ様が二階から降りてきた。


予想はしてたけど、真っ白な古めかしい導衣を着て。




誰の視点か、サブタイで分かるほうが読みやすいでしょうか。

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