突然の訃報
まずは書き溜めたものを放出。基本のろのろもたもたお話は進みます。
「エンジューー!」
振り向いちゃだめだったんだ、と思った時にはもう遅かった。
もうちょっとで完成する筈だった術印は一瞬の集中切れであえなく霧散し、おまけに術の動力用に集めておいた魔力にひっかかって、ぼふん、と真っ黒い煙に変わった。
あーあ、こんどこそ上手く行くと思ったのに。
「けほっ……もう、なによ、ミチ。もうちょいだったのに〜」
顔に飛んだ煤を拭い、咳き込みながら、あたしは部屋に入ってきた友だちを恨めしげに睨み付けた。
彼女の名はミチルダ・サザシラ。あたしの同級生で、この魔術学院きっての秀才。美人でやさしくって、自慢の友人だ。
栗色の髪をお団子に結って、今日は休日だから指定の導衣ではなく、黄緑と浅葱を合わせた上品な着物を着ていた。
「まぁ……エンジュったら相変わらず下手っぴよねぇ。名前呼ばれたくらいでいちいち集中途切れてたら、小鬼一匹呼び出せやしないわよ」
ミチは呆れ顔で部屋中に舞い散らばった煙と魔力に咳き込みながらも、さっと風の魔術を起こして当たりの粉塵と自分の着物に着いた灰を払った。うぅ、この優等生め。
「だーかーら、こうやって一人で特訓してたの!」
頬を膨らまして勢いよく顔を背けると、ミチは苦笑いしながも、ごめんとあたしの頭を撫でた。
「エンジュが誰よりも頑張りやさんなのは、わたしが一番知ってるわ」
そう、そしてその頑張りが一向に報われていないことも、ミチはちゃんと知っていて。それでも嫌味や見え透いた世辞は言わず、本音であたしと付き合ってくれる数少ない友人だった。
「ぜぇーったい、いつかミチよりも、父様だって超えちゃうような、すっごい魔導師になるんだから!」
「そうね、あんな偉大な魔導師がお父様なんだもの。エンジュにだってきっとすごい才能が眠ってるのよ。だから、焦っちゃだめよ?」
ミチは微笑みながら、あたしの頬にこびりついた煤をハンカチで拭ってくれた。ふたりとも同じ14歳なのに、なんだかミチのがお姉さんに見えるのは何故だろう。
「そう!あたしって大器晩成型なのよ!きっと!」
「はいはい。それよりエンジュ、学長がお呼びよ。急いで学長室に来なさいって」
「叔母様が?」
ここはアダンのほぼ中心に位置する、精霊に祝福されし国アネイ。この国の魔導師を養成する皇立エジン・サラザン学院。
そして、あたしの名はエンジュ・サラザン。
そう、皇立の魔導学校にあたしのご先祖様の名前が付けられている。つまり、物凄い名門なんだ、あたしの家。
ご先祖様、エジン様は神話時代の、初代皇王陛下と並び立つ英雄だし、現在だってあたしの父、ガルフ・サラザンは世界に五人しかいないという「大魔導師」の肩書きを持つ偉大な魔導師だ。
アダンの大陸で一番歴史も古く国土も広い、このアネイ皇国の宮廷魔導師長として大活躍してる。
つまりつまり、その一人娘であるあたしは超っっエリート魔導師の卵なわけなんだけど……。
「うぅ……叔母様、なにか怒ってるみたいだった?」
あたしはサラザン家の証でもある真っ赤な髪に付いてしまった煤を払って、結び直しながら、恐る恐るミチに尋ねた。
「怒ってはいらっしゃらなかったようだけど……そうね、なんだか深刻なお顔だったわ。ここはわたしが片付けておくから、とにかくいってらっしゃい」
ミチは言いながら軽く指で空に陣を書いて、小さな魔食い鼠を呼ぶ。部屋中に飛び散った魔力の灰はみるみる彼等にかじりとられていった。
ここは学園内でも魔力生成にもっとも適した環境が整えられている術部屋。上級生が高位召喚とか危険な術を練習するのにも使われている場所だ。
あたしの足下でぷすぷす燻っているのは、火々虫っていう竈の火種なんかによく使われる小精霊を召喚する為の単純な陣……の真っ黒焦げになった成れの果て。
その気になれば、五歳児でも使用可能な超基礎術なんだけど。
実はまだ、一回も成功したことがない。
あたし、悔しいけど、エジン学園きっての落ちこぼれ生徒なんだ。
「ありがとー、助かるよっ」
「いいのよ。用事が済んだら、一緒にお昼に行きましょう」
うっかり、ウジウジといじけてしまいそうな心を振り切って、あたしは持ち前の明るい笑顔をつくる。
落ち込んでも、人を妬んでも、ぜったい成長なんて出来ないもの。
あたしはもう一度念入りに、体に付いた煤を払った。
父様から入学祝いに貰った、サラザン家の家紋が刺繍された深紅の導衣。召喚に失敗しても煤まみれ程度で済んでいるのは、この衣に施された高度な守護術のお陰だ。
「じゃ、行ってくる!」
あたしは肩口に付いた煤を食べてる鼠を摘まんでミチに渡すと、勢いよく部屋の外に飛び出して学長室へと向かった。
「失礼します!叔母さ…じゃなかった、学長、お呼びで……」
「エンジュ」
学長室に入るなり、あたしはその重苦しいほどの深刻な空気に、言葉を詰まらせてしまった。
部屋にはエジン学園の学長であたしの叔母、ソニア・サラザンと、どうしてか父様の部下で宮廷魔導師のトージャ・マディタさんがいた。
「あれ?トージャさん?今日はどうしたの?」
トージャさんは父様の右腕とも呼ばれてる魔導師で、昔から家族ぐるみのお付き合いをしていた。四角い顔のまるで武人みたいな無骨な容姿に似合わず、気さくで陽気な人だ。
だけど今日は叔母様に輪を掛けて難しい表情をしていた。
「エンジュ、とにかくこちらへ。お座りなさい」
トージャさんの答えを待たず、叔母様があたしを二人が腰かけている向かい側の長椅子に促した。
あたしは怪訝な顔をしながらも、素直に従う。だけど椅子に腰掛けても、叔母様は瞼を伏せたまま、中々話を始める気配がない。
ソニア叔母様は少し陰りのある顔色の線の細い女性だ。まっすぐな黒い髪と、露草色の切れ長の瞳。
魔力のある人はその魔力の量に比例して、寿命が長くなる。
父様のお師匠様である大魔導師シン・ロウ様が、会ったことはないけど、現存する最高齢の魔導師で、その人は創世の時代からもう何千年も生きているんだそうだ。
魔導を修めると、成人を越えた頃から普通の人より年をとるのが凄く遅くなって、人によっては何百年も若いままだったりする。
ソニア叔母様も、父様も、見た目は精々二十代半ば位にしか見えない。だけど実際はソニア叔母様だってもう40歳半ばだし、父様なんて、今年で150歳になる。
だから、魔力のない常人から見ると、魔導師は寿命も長くて、しかもいつまでも若いままで、いいことずくめねっ、なんて思われがちなんだよね。
だけど、それはほんとに大きな間違いなんだから。
この学院で最初に教わるのは「魔導に過信することなかれ」っていう言葉。
実際、父様のように百年超えて長く生きる魔導師なんてほんとに稀だし。
魔物や天災の脅威から人々を守るのが魔導師の役目だけれど、それは当然、危険な使命を任せられるということ。強大な力を求めれば求めるほど代償やリスクだって高くなる。魔術を使うのは常に命がけなんだ。
何千年も研究し続けているのに、まだまだわらないことだらけの分野だから、事故や暴走も絶えない。
それに、寿命が長くて老いが緩やかな分、環境や身体の変化には弱く病に掛かりやすい人も多かったりする。
治術では治せない病もまだまだ沢山あるから、百歳どころか、成人する前に死んでしまう人も珍しくない。
あとね、魔力のある人は子供を授かることもすごく難しいといわれているの。
たとえ奇跡的に授かったとしても、魔導師の女性が子供を産むのは普通の人のお産より何倍も危険を伴うことで。あたしの母様も、父様の母様もお産が元で亡くなっているんだ。
だから魔導師の男の人は、素質のある子供が産まれる可能性に賭け、魔力のない常人をお嫁に貰ったりもするんだけど。でもそれは二分の一なんて生易しい可能性ではなくて。まず、魔導師と常人では命の種類が違うから、赤ちゃんを授かること自体が奇跡に近いんだ。
だから、実際は偶然に魔力を持って産まれた子供を探してきて養子にすることがほとんどなのだそうだ。ミチも幼いころ、辺境の遊牧民の村からサザシラ家に引き取られてきたのだと言っていた。
サラザン家が皇宮家をも凌ぐ名門だっていうのも、結局、正しく真祖の血を繋げている魔導師の家柄は、例外的な血筋であるハロナ皇家を除けば、広大なアネイ国で唯一、うちしかないっていうところが大きい。
サラザン家は、決して真祖の血を跡絶えさせてはならない。
それが初代エジン様の御遺言で、ご先祖様たちが何千年も守り続けてきたことなんだ。このアダンの存亡に深く関わることだと伝えられ、神様とか世界とか、とても大きな次元で大切な決まり事なんだと教えられてきた。
だからサラザン家の女性は、その血を繋がりを守るために、危険なお産に臨まなければならない。
子供が出来ないと、たとえ愛し合って結ばれた相手でも、強制的に離縁しなければならないことになるから。父様はあたしが生まれる前に二回、結婚しているそうだ。
ソニア叔母様は、あたしとは血の繋がりはなくて、父様の亡くなった双子の弟、ガロン叔父様の奥さんに当たる人だ。
ガロン叔父様が魔術実験の事故で突然帰らぬ人となってしまったのは5年前のこと。念願の新しい命が、叔母様に宿ったと知った矢先の出来事だった。
それでも叔母様は気丈に悲しみに耐え、そして奇跡的に無事に元気な男の子を産んだ。今は叔父様の遺志を継いで、エジン学園の学長を立派に務めている。
叔父様の訃報が届いたあの日から、昔のようにはあまり笑顔を見せなくなってしまった叔母様だけど、生まれてすぐ母様を失ったあたしにとって、ソニア叔母様は母親のように信頼出来る人でもあり、女性として尊敬し憧れる存在でもあった。
「叔母様?トージャさん?」
重苦しい空気に耐えられず、あたしは口を開く。緊張と嫌な予感にぎゅっと両手を握りしめた。
落ち着け、エンジュ、こういうときは、予想できる最高最悪のパターンを考えるんだ。
外出届も出さずに、こっそり街へ遊びにいってることがばれちゃったとか、この間の自主研究で作成した魔道具は八割型ミチが作ったものだからやり直しとか。
…………もう、流石にどんなに名門でも血統だけでは容認しきれない程あたしが落ちこぼれだから、退学、とか。
自分の想像に涙が出そうになり、あたしは更に指先に力を入れた。
でも、こうして最高に悪いことを予め考えて置けば、大抵、現実はそれよりはいくらかマシなことになるはずだから。
「……エンジュ」
意を決したように、叔母様が顔を上げ、漸く口を開いた。
だが、トージャさんがそれを遮る。
「ソニア、やっぱり、俺から話そうか」
「いいえ、大丈夫。私はこの子の家族ですから。私から」
あたしはお世辞にも頭の回転の速い子とは言えない。
だから、いつもなら暖かさ以外は感じられないはずの「家族」という言葉に、こんなにも薄ら寒い予感を感じた理由をすぐには見付けられない。酷く心細い思いで叔母様を見つめた。
だってあたしの家族っていたら、叔母様と、従弟のロイくんと……。
「父、さま?」
あたしは一昨日届いた父様からの手紙をぼんやりと思い出した。
今は毒竜という病んだ竜を鎮める為に西海に出張中で、暑くて大変だと愚痴っていた。
早く返事を書いてあげないと、心配症の父様からすぐに次の手紙が届いてしまう。
「エンジュ、落ち着いて聞くのよ」
そういえば先月から父様と一緒に西海へ赴いている筈のトージャさん、どうしてこんなところに居るんだろう。
トージャさんは、あたしとおんなじポーズで両手をぐっと握りしめた。
あれ、なんでトージャさん目尻があんなに赤いんだろう。お酒も飲めない真面目な人なのに。
「お父上……ガルフが、赴任先の西海で、亡くなった……そうよ……」
絞り出すような叔母様の声を、あたしはただ茫然と聞いていた。