それは青天の霹靂
一目見たものは、漆黒の鋼で鋳られた精緻な像かと目を疑うだろうか。
地を踏む逞しい両脚から太い尾の先端まで筋骨が流線を描き、比べて小さな前脚を宙に泳がせながら、巨大な頭部には鋭い牙を持つ口蓋と、怜悧な光を宿す目を備えている。それは、二足で疾駆し他者を睥睨する獰猛な肉食恐竜の、完璧な立像とも思える。現に、それの背中では小動物が二匹うたたねしていた。
しかし、それを観察する者がいれば、すぐにきづく。
一定のリズムで動く胸は呼吸する者のあかしであろう。巌のように隆起する肌には、血流の生み出す拍動が感じられる。
まるで静止していることに飽いたとでもいうように、前触れもなく突然彼は身をよじった。
その動きで背中から振り落とされた二匹は、彼を立像だと勘違いしていたわけでもなかろうに、地面でしばし呆然とし、慌てふためくように走り去っていった。
彼は、再び身動きせぬ立像へと戻り、木々の向こうをジッと見つめた。
彼の脳裏では、大事な友人の姿と彼女の残していった言葉が、一瞬も消えることなく光っている。
「じっとしててね、ルウオ、すぐに戻ってくるから」
だからじっとしているのだ。
街道沿いには一定の間隔をあけて宿場が設けられている。だれかれの区別なく利用できる宿泊施設と変え馬用の厩が基本だが、場所によっては規模もまちまち、たとえばその宿場は、街道の交差点という理由によって、ちょっとした集落に匹敵する大きさを持っていた。
街道も宿場も王国の管理による公設の施設だが、この規模の場所となると、役人の運営する建屋も半数程度で、他は市民の運営による店舗などが主となる。
宿場を囲った板塀の内に接する小さな建物は後者の例で、傍目では廃屋寸前のあばら家だが立派な宿だ。
その二階にある一室で、タカシは途方にくれていた。
「とにかくビタミン摂取だよね・・・いや、栄養をとらせすぎてもすい臓の負担に・・・」
ぶつぶつつぶやきながら実際には一刻も仁王立ちで身動きとれないタカシの前で、ベッドに横たわる少女は熱い吐息をかせらせていた。
「ルウオ、・・・うーん、ルウオ違うよぉ」
ソナラには、離れた森の中で微動だにせぬ友人の姿が見えているのだろうか。
「・・・ハッチャキ草の根っこ、とってきて・・・」
いつもは天下無敵の健康を誇る彼女がぶっ倒れたのは、食後の遊びから帰ってきた途端のことだった。
「彼女の様子はいかが?」 部屋へ入ってきた女性は、焦るぱかりで働きのないタカシへ訊ねた。 「宿屋の主人から再三の呼び出しよ」
「ただの風邪だって伝えておいてよ」 いつも相手の顔と対するタカシには珍しく、背中で答える。 「はやり病いなんかじゃないんだ、心配するなって」
「それはさっき伝えたわ」
その女性はタカシの背中越しにソナラの様子を伺っていた。
「正確に伝わったはずよ。あたしの見立ても付け加えてね。・・・それにしても、二人とも、あたしはこの宿の伝言係じゃないのよ」
声に揶揄する調子がこもっていることからして文句でもあるまいが、まぎれもなく宿客の一人である女性に言われて、タカシは驚いて振り向いた。
「え、なんです?」
言葉の内容に驚いたわけではないらしい。
「あれ、あなたは?」
「宿の子はほかのお客の接待だ、って。さっきも同じ説明しなかった?」
呆れた、とつぶやいた女性はだから部屋を出るということもなく、ベッドわきへ進み出てソナラの長髪を軽くくしけずった。
「熱は変わらないのね。・・・主人はいつまで滞在の予定か、って気にしていたわ。こんな場末の宿屋に病人はきついのね」
「前にも言ったよ。連れが帰ってくるまでだ、って」
「はいはい、伝えておきましょう」と彼女は小さくため息をついた。「ただ、何度も言うけれど、あたしはこの宿屋の伝言係じゃない、ってコト、忘れないでね・・・いや、聞き落とさないで」
「じゃあ誰なのさ」
と、新しい返し文句を期待できない状態のタカシから新しい返し文句だ。
女性はタカシの肩をたたいた。
「ほら、そんなにテンパらないで。あたしはイーサ、隣のお客よ。この子はあなたの妹さんよね?」
「妹なんかじゃ・・・いや、妹だよ。それがなんなのさ」
「仲のいい兄妹なのね、思っただけよ」
イーサは、なぜか意味ありげにタカシの目を覗いていた。