剣技の質の違い
細かく説明すると長くなるので、要所だけを言えば、イッペイはこの世界の人間ではない。無免許で車を乗り回し、事故を起こして、気がついたら、深い森の中にいた。一年半ほど前のことだ。
車もなく、ケータイどころか電話もない。大使館もないし、電気も水道もガスもない。頼る警察もないから、自分の身は自分で守らねばならず、イッペイは言葉もわからぬまま、剣を取って戦った。
そして、一年ほど前のことだろうか。
野盗の群れに襲われていた旅の一隊を助けたのがきっかけで、この村へやってきた。当時すでに左腕を失って久しかったが、左目を失ったのは、かれらを助けたこの戦いにおいてだったからだ。
なんでも、彼らは元は山の民と呼ばれる民族で、今は定住しているが、かつては放浪を旨とする旅人の集団だったらしい。自らを傷つけてまでして助けてくれた若者を、放っておくのは、山の民の誇りが許さないそうだ。その若者が、言葉さえも通じない浮浪児のような格好となれば、なおのこと。
そういうわけで、彼が助けた一隊にいたカントとアイマの親子が、イッペイの面倒を見ることになった。カントは、町をしきる六人の長老の一人でもある。
祭りは、半年に一度。前回は、秋のブドウの収穫祭。
今回は、放浪の民であった頃の名残りの、狩猟祭。狩りの神へ捧げるものだ。
始まるのは昼からだというのに、朝から村はお祭りムードで一色になる。
早くも酒を飲みだす者もいれば、貧しい村なりに着飾った女たちが通りをねり歩き、男たちはこの日だけ許される帯剣でお互いの威容を競い合う。村を囲む柵の中では、基本的に帯剣は許されていないのだ。
祭りの日に真剣を持つなど、正気の沙汰じゃない、とイッペイなどは思ったが、実はこれ、お飾りのニセモノらしい。常に帯剣していた放浪の民時代の名残りなのだろう。
昼には村の中央の集会所前広場に村人が集まり、長老六人の音頭で名義上一杯目のぶどう酒をあおり、祭りは実質スタートを切る。
山の民であった頃の、歌や踊りが、いくつも華やかに続く。そして村人のボルテージが最高潮に達した時、クライマックスの闘技比べが始まる。
基本は一対一の剣での試合。最初は子供同士の微笑ましい殴り合いだが、それで怪我をすることもしょっちゅうだから、あの国じゃできないな、とイッペイは故国を思い出す。
大人たちは、六人の長老が見た技量の順に進められる。最初に選ばれた男は可哀想なものだ。
闘技比べに参加する男たちの間にいて、イッペイの名がなかなか呼ばれない。おかしいな、と思っていたら、最後の最後に、カントの苦々しい声がかかった。
「コルロ、イッペイ」
ちらりとカントの苦渋に満ちた顔を見て、なるほど、とイッペイは人の輪の中へと進んだ。
山の民がどうだ、と言ったところで、よそ者のイッペイに対する風当たりは、強い。よくしてくれる者と、そうでないもの、半々といったところか。もちろんカントは前者で、コルロは後者代表だ。
今回は、親イッペイ派が反イッペイ派に押されたわけだ。片腕片目のよそ者が、たっぷりじっくりなぶられ、笑いものにされるのを望む者が、彼らをトリにしたのだろう。
イッペイは、木刀というより、平たい木剣とでもいうそれを、静かに構えた。
村人の輪の中にあった野次や嘲笑が、静かに引いていった。
体を半身に開き、右手を前に出すのは、フェンシングに近い。だが、剣は斜めに立てている。
森の中で、自らの身を護るために戦ってきた。人を殺した。片腕を失って、それでも生きるために編み出した、独自の剣術だ。腕に覚えのある者ならば、ぴたりと決まった構えを見ただけで、その実力は推し量れよう。
コルロはしかし、嘲笑を隠さない。
「なんだ、そのへっぴり腰は」
コルロの体は、同世代の若者の中でも飛びぬけて大きい。イッペイとは身長にして頭一つ分、横幅にすれば、一回り違う。
なかなかに整った顔だが、頬から顎にかけての傷を見ただけで、歴戦の戦士を思わせる。
隻腕隻眼のイッペイを嘲笑うのも、イッペイ自身、わかる気がする。
「いくぞ、かたわ野郎」
ほとんど突進という感じで、コルロが間をつめてきた。
ぎりぎりでかわすつもりだったが、イッペイは、振り下ろされた木剣を慌ててはじかねばならなかった。
距離感がまったく掴めない。
片目を失ってから、散々工夫してきたつもりだったが、実戦形式では一瞬の判断が要求される、その瞬間の距離がわからない。
怒涛のごとく繰り出されるコルロの暴剣を、気配を勘で察してかろうじてはじくものの、それが精一杯だ。
相手の剣先に集中しすぎていて隙になった腹部を蹴られ、イッペイはしりもちついて倒れこんだ。
村人の輪の一部で、わっと嘲笑がわいた。
「カッコだけかよ」 コルロが嘲る。「ハンパ野郎。半殺しにして村から追い出してやる」
けっきょく、お前の言うことはそればかりだ。イッペイは心の中で笑った。出て行け、追い出してやる、かたわ野郎。その何倍もの嘲弄を、俺は知っている。
立ち上がったイッペイは、もう一度かまえた。ただし、今度は構えが違う。
前を向き、左手があるつもりで剣道の中段をとった。いわゆる正眼だ。
「これは、闘技比べだったな」
イッペイが言うと、なにを当たり前のことを、という顔でコルロがうなずく。
「殺し合いではないのだった。忘れていた」
言うやいなや、イッペイは小走りで間をつめると、勢いよくコルロの懐へぶつかっていった。
二人の間で、木剣が押し合う。
「これなら、距離感なんぞ関係ない」
「片腕で力比べかよ!」
コルロのプライドに傷がついたらしい。顔に血が昇り、みるみる赤くなる。
瞬間、イッペイは力を抜いて後方へ跳んだ。コルロが、つっかいぼうを突然はずされたようにたたらを踏む。
イッペイは、置き土産のようにコルロの左手首を叩いていた。いわゆる籠手を打ったわけだ。
「な、なめやがって!」
「舐める? 実戦なら、あんたの手首は落ちていた」
ほとんど猛突進という感じで向かってきたコルロの巨体へ、イッペイは構えを崩さず対した。
力のかぎり振り下ろされる木の刃。
イッペイは横斜めに受けの姿勢へ移り、その一瞬を待った。
ほんの瞬間。木剣と木剣が触れ合った一瞬の感触。
誰が見ても、コルロの強力な打ち下ろしにやぶれるイッペイを想像したろう。
だが。
イッペイの木剣がコルロの頭を叩き、コルロの切っ先は地面を殴っていた。
力に反発せず、その力の流れを剣をすり落とすことで変えたのだと、何人が気付いただろうか。
距離感が掴めずとも、剣はイッペイにとって触角にも似たセンサーにひとしい。
人々が、沈黙した。
「案外、片目でもやれるもんだな」
イッペイのつぶやきが、コルロをさらなる激昂へと立ち昇らせた。
「手加減するんじゃねぇ、なんだ今の腑抜けた一撃は!」
「いや、じゅうぶんイッポンだろ」
「わけわかんねぇんだよ、てめぇの言うことはいつもよぉ!」
――それはしかたがない。俺はこの世界の人間じゃないから。
イッペイは一旦後方へ跳びすさった。
「逃げるんじゃねぇ! 後ろに下がるのは卑怯者か臆病者だ!」
「最終的に勝てれば、なんと言われてもかまわない」
「すかしやがって!」
手加減するな、か。イッペイは心の内で嘆息した。ならば。
距離の把握にはアバウトでかまわない、突進系でいこう。つまり……
強絶な突きを胸に受けて、コルロは吹っ飛んだ。
胸への打突は、さすがに喉に突きは危険だ、というイッペイの判断による。
コルロが立ち上がらないことを確認して、イッペイは右腰に木剣をおさめた形を取り、深く一礼した。それが、彼なりの礼儀だったからだ。
祭りは一時、静まった。
唖然とした、という形容がぴったりだろうか。彼らは、自分たちが引き取った居候の実力を、初めて知ったのだ。