面影
薄暗い宿の部屋に戻ると、アオイは机に向かい、熱心に羽ペンを走らせていた。騎士団への報告書をいたのだろう。
「アーチャ、頼みたい事がある・・・」
翌日、ゴンは再び貴族街にある白亜の屋敷を訪れていた。
門が開くや否や、待ちきれないといった様子でレオンが玄関から飛び出してくる。
その顔には昨夜の不安など微塵もなく、満面の笑みが広がっていた。
「グウ! また来てくれたんだね!」
「あぁ、少し用事があってな」
屋敷の一角にある庭園で、ゴンはレオンに向き直った。
昨夜、当主と交わした会話や自分自身がたどってきた血塗られた過去の重みが、この無垢な少年を守るための力を欲していた。
「レオン。自分で身を守りたいとは思わないか?」
レオンはきょとんとした顔をした後、ぎゅっと拳を握りしめて力強く頷いた。
そこから始まったのは、地味でキツい基礎を教え込む稽古だった。
足の運び方、重心の置き方、そして呼吸の整え方。
ゴンがかつて道場で叩き込まれた、あの過酷な修練の片鱗を優しく噛み砕いたものだ。
子供の体には過酷なはずの基礎稽古に、レオンは息を荒くしながらも弱音を吐かずに食らいついた。
その瞳には、かつての自分と同じ強い意志の光が宿っていた。
「今日はここまでだ。教えた基本の動きを、毎日欠かさず一人でやるんだぞ」
「うん! 絶対に毎日やる!」
汗だくになりながらも笑顔を見せるレオンに、ゴンは満足げに頷いた。
一息ついたところで、ゴンはふと気になっていたことを切り出した。
「なあ、レオン。お前が知っている『グウ』ってのは、どんな奴だったんだ?」
その問いに、レオンの表情がパッとさらに明るくなった。
彼は嬉しそうに目を輝かせながら、
楽しかった思い出を次々と語り始めた。
レオンが語る「グウ」の素顔は、ゴンが想像していたよりもずっと人間臭く、そして温かいものだった。
「グウね、もともとは王国騎士団――それも『獣人騎士団』の正規の騎士だったんだよ。でも、戦いで足を大きな怪我しちゃって、それで騎士を辞めたの。そのあとに、街でごろつきに絡まれてピンチだった僕を、グウが偶然通りかかって助けてくれたんだ。それがきっかけで、僕の従者になってくれたんだよ」
レオンは庭の木陰に腰を下ろし、誇らしげに胸を張る。
その瞳に浮かんでいるのは、強くて頼もしい、誇り高き恩人の姿だ。
「それからずっと一緒だったんだ。あ、そうそう! グウね、おやつの時間はいつもゴマのクッキーばかり食べてるの。『これが一番力がつく』って言ってさ。あと、毛並みがもふもふだから、夏場はすごく暑がりで、いつもぐったりして日陰を探してたっけ。あ、一番面白かったのは、夜寝てるときだよ。もの凄く大きな、いびきをかくんだから! 最初は屋敷の壁が崩れるのかと思ったよ」
レオンは楽しそうにケラケラと笑う。
その無邪気な笑顔を見ながら、ゴンは自分の胸の奥が締め付けられるような不思議な感覚を覚えた。
足の怪我で騎士を辞め、暗い過去を背負いながらも、この少年の光になった男。
自分が持っていない温もりと、誰かを守り抜いた誇りをその身に宿していた「グウ」という存在。
ゴンは、目の前で笑う少年を通して、もうこの世界にいないはずの彼の生き様に触れていた。
「そうか。そいつは、なかなか賑やかな奴だったんだな」
ゴンが低く呟くと、レオンは満足そうにうなずいた。
「うん! 世界で一番、かっこよくて優しい自慢の従者だったんだよ。……ねえ、ゴンも、少しグウに似てるところがあるよね。強くて、不器用だけど優しいところとかさ」
その言葉に、ゴンは思わず言葉を詰まらせた。
自分が「ゴン」であり。
あの残酷な道場で生まれ育った暗殺者である事。
この少年の純粋な眼差しの前では、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。




