第8話:兵站という名の戦場
時計の針は、深夜2時を回っている。
王都の一等地、レオナルド商会本社ビルの明かりは、今夜も消えることはない。
フロアを埋め尽くすのは、数百人の社員たち。
彼らは皆、シャツの袖をまくり上げ、額に汗を滲ませながらも、その目はギラギラと輝いていた。
「第3倉庫、在庫確認完了! 乾燥肉のパッキング、目標値に到達!」
「北の港湾ギルドから入電! 『頼まれた魚50トン、全部用意した。倍額払うってのは本当だろうな?』とのことです!」
「払うと言え! 即金だ! その代わり、夜明けまでに輸送船を出させろ!」
怒号ではない。これは歓喜の合唱だ。
不可能と思われたミッションに挑み、それをねじ伏せていく快感に、フロア全体が酔いしれている。
執務室のドアが開け放たれ、私がフロアに飛び出した。
上着は脱ぎ捨て、ネクタイは緩めている。
手には冷めたコーヒーではなく、栄養ドリンク(ポーション割り)が握られている。
「みんな、聞け!」
私の声に、全員の手が止まり、視線が集まる。
「魔王軍到着まで、あと36時間だ! 敵の数は5万。対する我々の武器は、剣でも魔法でもない! 『ステーキ』と『作業着』だ!」
ドッと笑いが起きる。
だが、その目は真剣そのものだ。
今回のプロジェクトコードは『飽和給餌』。
魔王軍5万人が「もう食えねえよ!」と音を上げるほどの物資を叩きつけ、胃袋から陥落させる作戦だ。
しかし、口で言うのは簡単だが、実行は狂気の沙汰だ。
5万食のステーキを用意するには、牛を一千頭さばく必要がある。
5万着の制服を用意するには、王都中の布を集めても足りない。
「無理だ」と誰もが言った。
だが、だからこそ燃えるのが商売人だろう?
「物流課! 輸送ルートの進捗は!?」
「はい社長! 街道の魔物討伐は傭兵ギルドに委託済み! さらに『転移ゲート』の連結許可を、魔法省の役人を接待漬けにして強引にもぎ取りました!」
「でかした! 経費で一番高い酒を落としていいぞ!」
「調達課! 肉の焼き加減はどうなってる!」
「現在、市内20箇所の食品工場をフル稼働中! 火属性の魔導師を臨時雇用し、秒単位で焼き入れを行っています! 『外はカリッと、中はジューシー』の品質基準、クリアしています!」
「素晴らしい! 冷めないうちに時間停止コンテナへ放り込め!」
私はフロアを駆け抜ける。
ホワイトボードには、複雑なガントチャート(工程表)がびっしりと書き込まれ、次々と「済《DONE》」の赤いハンコが押されていく。
心地よいリズム。
思考が加速する。
かつて勇者パーティで「荷物持ち」と蔑まれていた頃、私は孤独だった。
だが今は違う。
私の指示一つで、世界中の物資が動き、金が回り、人が動く。
これだ。俺がやりたかったのは、このダイナミズムだ。
「社長! トラブルです!」
被服課のリーダー、ドワーフのガンテツが血相を変えて走ってきた。
「オーク族用の特注作業着(10Lサイズ)、生地の在庫が足りません! 王都中の問屋を当たりましたが、どこも青色の染料が切れていて……」
フロアの空気が凍る。
制服はPMI(意識統合)の要だ。バラバラの服では、彼らは「兵士」から「社員」に切り替わらない。
「青がないなら、染めればいい」
私は即答した。
「え?」
「南の湿地帯に生えている『ブルー・スライム』だ。あれの体液は強力な染料になる。冒険者ギルドに緊急クエストを発注しろ。『スライム乱獲祭り、買取額10倍キャンペーン』だ!」
「な、なるほど……! それなら間に合います! すぐに手配します!」
ガンテツが顔を輝かせて走り去る。
問題が発生しても、0.1秒で解決策を叩き出す。
そのスピード感が、この組織の原動力だ。
「社長、少しは休まれたらどうですか? もう40時間起きていますよ」
秘書のシルヴィが、新しい栄養ドリンクを持ってくる。
彼女の美しい銀髪も少し乱れているが、その表情は充実感に満ちていた。
「休む? 馬鹿を言え、シルヴィ」
私はドリンクを一気に飲み干し、不敵に笑った。
「今、最高に楽しいんだよ」
窓の外を見る。
東の空が白み始めている。
眼下には、王都中の工場から次々とトラックが出発し、集積所へと集まっていく光景が見えた。
ヘッドライトの列が、まるで地上の天の川のように輝いている。
あれはただの荷物ではない。
「平和」という名の商品だ。
そして、それを運んでいるのは、名もなきドライバーや作業員たちだ。
勇者の聖剣などよりよほど尊い、汗と泥にまみれた英雄たちだ。
「見ろ、シルヴィ。あれが我々の力だ」
「……はい。とても美しいです」
「さあ、ラストスパートだ! 魔王陛下との商談までに、完璧なプレゼン資料(現物)を揃えるぞ!」
『『『オオオオオオッ!!』』』
社員たちの雄叫びが轟く。
疲労など関係ない。
ゾーンに入った集団のパフォーマンスは、限界を超える。
そして迎えた「あの日」。
5万の魔王軍の前に、50台のトラックと共に現れた時。
私が涼しい顔で立っていられたのは、背後にこの数百人の「輝ける社員たち」の努力があったからだ。
私はステーキを頬張るオークを見て、心の中でガッツポーズをした。
(味はどうだ、お客様。うちの社員が徹夜で焼いた肉は)
美味いに決まっている。
そこには、最高のスパイス──「プロの矜持」が詰まっているのだから。
「社長、魔王城へのゲート、接続安定しました」
インカムから報告が入る。
私はネクタイを締め直し、ジャケットを羽織った。
「よし、行こうか。……世界を買いに」
私は執務室を出た。
その背中を、社員たちの拍手と喝采が見送ってくれた。




