第5.5章 第3話:ガルド視点 ~鋼鉄の腕が抱いたもの~
俺たちオークの肌は、緑色で硬い。
牙は長く、腕は丸太のように太い。
人間たちは、俺たちを見ると目を逸らすか、あるいは蔑みの視線を向けてくる。
「野蛮だ」「臭い」「知能が低い」。
魔王軍が敗北して以来、俺たちは日陰者だった。
力が強いだけの、便利な肉体労働者。
あるいは、いつ暴れ出すか分からない危険な猛獣。
だが、今の俺は違う。
俺が着ているのは、油で汚れた灰色のツナギだ。
背中には、誇らしげな青い歯車の刺繍が入っている。
レオナルド商会、物流警備部。
それが俺の居場所であり、戦場だ。
「おいガルド! 第四車両のアンカー、緩んでねえか確認しろ!」
「おうよ! 任せとけ!」
俺は巨大なスパナを片手に、プロメテウス号の屋根を歩く。
足元には、時速百キロで流れるレールが見える。
風圧が凄まじい。
普通の人間なら立っていることすらできないだろう。
だが、俺の太い足は、ミスリルの装甲板をしっかりと踏みしめていた。
「……へっ、いい眺めだ」
俺はゴーグル越しに、並走するゴライアス号を見た。
向こうは火の車だ。
煙突から火を噴き、車体はガタガタと悲鳴を上げている。
中からは人間の悲鳴も聞こえる。
本来なら、ざまあみろと笑ってやるところだ。
俺たちを馬鹿にし、安物に飛びついた愚かな連中だ。
自業自得だ。
だが、俺のボス――レオナルドは違った。
『助けるぞ』と、あいつは言った。
『死体からは金が取れない』なんて悪ぶっていたが、俺には分かる。
あいつは、自分の目の前で人が死ぬのが許せないのだ。
それがたとえ、自分を裏切った客であっても。
「……お人好しの魔王様だぜ」
俺はニヤリと笑い、アンカーの鎖を握りしめた。
俺たちの仕事は単純だ。
暴れる猛獣(ゴライアス号)に首輪をつけて、腹の中にいる獲物(乗客)を吐き出させることだ。
力仕事なら任せろ。
この筋肉は、岩を砕くためだけにあるんじゃない。
何かを守るために使う時こそ、一番いい音が鳴るんだ。
◇
「連結用意! ……撃てェッ!」
アレクセイの合図で、俺は巨大な射出機のトリガーを引いた。
ドォォン!!
反動が肩にくる。
太い鎖に繋がれた錨が飛び出し、ゴライアス号の手すりに食い込む。
ガギンッ!
火花が散る。
「引けぇぇぇッ!」
俺は鎖を腕に巻きつけ、魔導ウィンチと一緒になって引っ張った。
相手は五十トンの鉄塊だ。
腕の筋肉が断裂しそうなほど軋む。
血管が浮き上がり、心臓が早鐘を打つ。
うおおおおおッ!
雄叫びと共に、二つの列車が引き寄せられる。
ガリガリガリッ!
側面が接触する音。
今だ。
俺は床下のレバーを蹴り飛ばした。
プロメテウスから、ミスリル製の板が飛び出し、相手のデッキに突き刺さる。
即席の橋だ。
「行くぞ野郎ども! ……客を担いでこい!」
俺は部下のオークたちを引き連れ、ブリッジを渡った。
足元は見ない。
見れば竦む。
俺たちは戦士だ。
前だけを見ろ。
ゴライアス号のデッキに飛び移る。
ドアを蹴り破る。
熱気が顔を打つ。
中は地獄だった。
煙が充満し、壁は赤熱し、床は傾いている。
「ひぃっ! 怪物だ! オークだ!」
客たちが俺を見て悲鳴を上げた。
こいつら、死にかけてるのまだ差別かよ。
だが、腹は立たない。
今は緊急事態だ。
俺は一番近くにいた男の首根っこを掴み、立たせた。
「おう、怪物のお出迎えだ。……死にたくなきゃ、その細い足を動かせ!」
俺は男をブリッジの方へ放り投げた。
男は悲鳴を上げながらも、必死で橋を渡っていく。
「マ……ママ……!」
足元で小さな声がした。
見ると、瓦礫の下に小さな女の子が挟まれていた。
母親らしき女性が、必死に瓦礫をどかそうとしているが、重すぎて動かない。
火の手が迫っている。
このままじゃ黒焦げだ。
「どいてな!」
俺は母親を押しのけ、瓦礫に手をかけた。
熱い。
鉄骨が焼けている。
手の皮が焼ける臭いがする。
だが、関係ない。
ンンンッ……フンッ!!
俺は雄叫びと共に、数百キロある鉄骨を持ち上げた。
筋肉繊維がブチブチと切れる音が体内で響く。
「……行け!」
鉄骨を放り投げ、女の子を抱き上げる。
軽い。
羽毛のように軽い。
こんな小さな命が、大人の欲望の犠牲になろうとしていたのか。
「い、いやぁ! 離して! 食べないで!」
女の子が俺の腕の中で暴れる。
緑色の肌、飛び出た牙。
絵本に出てくる人食い鬼そのものだからな。
無理もない。
「食わねえよ。……俺は今、ダイエット中なんだ」
俺は不器用に笑ってみせたが、余計に怖がらせたかもしれない。
構うものか。
助かればいいんだ。
「しっかり捕まってな! ……ジェットコースターより速いぞ!」
俺は女の子を右腕に抱え、左手で母親の手を掴んだ。
そして、揺れるブリッジを一気に駆け抜けた。
背後でゴライアス号の一部が爆発し、熱風が背中を焼く。
だが、俺の背中は分厚い。
この程度の熱じゃ、俺の腕の中までは届かない。
◇
プロメテウス号に移ると、そこは天国だった。
冷たい空調。
安定した床。
そして、シルヴィたちが水と毛布を用意して待っていた。
「……はい、到着だ」
俺は女の子を床に下ろした。
女の子は呆然と俺を見上げている。
涙でぐしゃぐしゃの顔。
俺の腕には、彼女が暴れた時の爪痕と、鉄骨で火傷した痕が残っていた。
「……あ、ありがとう……」
母親が震える声で言った。
彼女は俺の手を握った。
人間が、オークの手を握ったのだ。
汚れて、ゴツゴツして、緑色の手を。
その手は温かかった。
「……礼には及ばねえよ。仕事だからな」
俺はぶっきらぼうに答え、手を引っ込めた。
なんだか顔が熱い。
火傷のせいじゃない。
慣れていないんだ、こういうのには。
「ガルドさん! 次の車両です! まだ三十人残ってます!」
部下が叫ぶ。
俺は現実に引き戻された。
そうだ、まだ終わっていない。
感傷に浸るには早すぎる。
「おう! 今行く!」
俺は再びブリッジへと向かった。
何度往復しただろうか。
五回? 十回?
感覚がない。
腕は鉛のように重く、呼吸をするたびに肺が焼けるようだ。
だが、止まれない。
俺が止まれば、誰かが死ぬ。
最後の乗客――足を怪我した老人を背負って戻ってきた時、ゴライアス号の連結器が限界を迎えていた。
金属が悲鳴を上げ、火花が散る。
「切り離せ! もう持たん!」
アレクセイの声。
俺は老人をシルヴィに預け、巨大な斧を構えた。
連結器を断ち切る。
それが最後の仕事だ。
「うおおおおらぁぁぁッ!!」
渾身の一撃。
斧が鎖を断ち切る。
ガギンッ!!
反動で俺は尻餅をついた。
ゴライアス号が離れていく。
火だるまになった鉄の塊が、遠ざかっていく。
「……終わったか」
俺は大の字になって床に寝転んだ。
天井のライトが眩しい。
身体中が痛い。
だが、不思議と気分は悪くなかった。
周囲を見渡す。
助け出された数百人の乗客たち。
彼らは俺たちオークを見て、もう悲鳴を上げなかった。
恐怖の目ではない。
畏敬と、感謝の目だ。
一人の少年が、俺の方へ恐る恐る近づいてきた。
手には、ハンカチを持っている。
「……おじちゃん、血が出てるよ」
少年は俺の腕の切り傷を指差した。
そういえば、窓ガラスで切ったんだったか。
緑色の血が流れている。
「……ああ、サンキュな」
俺はハンカチを受け取り、傷口に巻いた。
真っ白なハンカチが、緑色に染まる。
「痛くないの?」
「痛くねえよ。……俺たちは頑丈にできてるんだ」
俺は少年の頭を、ごわごわした手で撫でた。
少年は笑った。
その笑顔を見た瞬間、俺の中で何かがストンと落ちた。
俺はずっと、人間になりたかったのかもしれない。
知能が高く、綺麗な服を着て、魔法を使う人間たちに憧れていた。
だから、魔王軍時代は人間を憎み、殺そうとした。
でも、違ったんだ。
俺が欲しかったのは、人間になることじゃない。
「仲間」として認められることだったんだ。
レオナルドは、俺に居場所をくれた。
そして今日、俺はこの腕で証明した。
オークだって、人を守れる。
英雄になれるんだってことを。
◇
全てが終わった後。
駅の裏手で、俺たちはささやかな祝杯を上げていた。
高級なワインじゃない。
ドラム缶みたいな樽に入った、安物のエールだ。
だが、今日の酒は格別に美味かった。
「ぷはぁっ! 生き返るぜ!」
俺はジョッキを空け、ゲップをした。
部下のオークたちも、泥だらけの顔で笑い合っている。
全員、生きて戻った。
擦り傷や火傷はあるが、欠損はない。
上出来だ。
「……ご苦労だったな、ガルド」
不意に、背後から声がした。
レオナルドだ。
あいつのスーツも、今日はボロボロだった。
油と煤で汚れ、高級な生地があちこち破れている。
だが、その立ち姿は相変わらず不敵で、憎らしいほど様になっていた。
「よお、ボス。……一杯やるか?」
俺は新しいジョッキを差し出した。
普段なら「そんな安酒は飲めん」と断るだろう。
だが、今日のレオナルドは違った。
無言でジョッキを受け取り、一気に飲み干した。
「……不味いな」
「だろ? 安酒だからな」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
言葉はいらない。
あの極限状態で、俺たちは背中を預け合った。
あいつは運転席で、俺たちの命綱を握っていた。
俺は現場で、あいつの計算通りに動いた。
完璧な連携だった。
「……請求書を作っておけよ」
レオナルドは空のジョッキを置き、いつもの調子に戻った。
「今回の救助活動にかかった経費。……燃料代、修理費、そしてお前たちの危険手当だ。バルバロスの資産から、一セント残らず回収する」
「危険手当か。……弾んでくれよ?」
「ああ。……特別ボーナスだ。お前たちの腕がなければ、死人の山ができていた」
レオナルドは、俺の腕の包帯を一瞥した。
あの少年のハンカチだ。
「……いい布だな」
「ああ。勲章だ」
俺は包帯を撫でた。
これはただの布切れじゃない。
俺たちが「化け物」から「守り手」に変わった証だ。
「さて、帰るか。……風呂に入りたい」
レオナルドが背を向ける。
その背中は、以前よりも少し大きく見えた。
ただの金持ちじゃない。
修羅場をくぐった男の背中だ。
「へいへい。……おい野郎ども! 撤収だ! トラックに乗り込め!」
俺は号令をかけた。
オークたちが「ういっす!」と元気よく返事をする。
その声には、以前のような卑屈さは微塵もない。
レオナルド商会物流警備部。
世界最強の運送屋。
その誇りが、彼らの胸に刻まれていた。
俺はトラックの荷台に揺られながら、夜空を見上げた。
星が綺麗だ。
腕の傷が少し疼くが、心地よい痛みだった。
明日からはまた、荷物を運ぶ日々が始まる。
重い荷物も、クレームも、泥道も。
どんとこいだ。
この鋼鉄の腕がある限り、俺たちはどこへだって行ける。
プロメテウスの汽笛が、遠くで鳴った。
それは、新しい時代の夜明けを告げる、力強いファンファーレのように聞こえた。




