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連載版『ポーションは自然に湧いてくるものだ』と本気で思っていた勇者パーティを追放されたので、補給線を全て遮断しました  作者: じょな


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第5.5章 第2話:シルヴィ視点 ~悪魔の秘書と、破り捨てられた契約書~

戦場が変わった。

かつて私が生きていた世界では、戦いとは鉄と血の臭いがするものだった。

剣が肉を裂き、魔法が大地を焦がし、敗者の屍の上に勝者の旗が立つ。

単純で、野蛮で、そして分かりやすい世界。


だが、今の私の戦場は違う。

帝都の一等地にそびえ立つ、レオナルド商会本社ビル、最上階。

空調の効いた快適なオフィス。

磨き上げられた大理石の床。

そして、絶え間なく鳴り響く電話のベル音。


ジリリリリリリッ!!


「……はい、レオナルド商会・社長室でございます」


私は受話器を取る。

声色は冷静に、しかし相手を威圧する適度な硬度を持って。


『おい! どうなってるんだ! 工場が止まったって本当か!?』

『ウチの商会の株価が大暴落してるぞ! 説明しろ!』

『レオナルドを出せ! 今すぐだ!』


受話器の向こうから、怒号と悲鳴が飛び出してくる。

株主、取引先、そしてパニックに陥った資産家たち。

彼らは武器こそ持っていないが、その殺意はかつての勇者一行にも劣らない。


「申し訳ございません。レオナルドは現在、重要案件の対応中でして席を外しております」


『重要案件だと!? 会社が潰れかけてるんだぞ! 何を悠長なことを!』


「ご安心ください。全ては計画通りです。……株価の変動に一喜一憂されるのは三流のすることかと存じますが?」


『なっ……貴様、秘書の分際で!』


「失礼いたしました。それでは、後ほど担当部署よりご連絡差し上げます」


ガチャン。


私は受話器を置く。

息つく暇もなく、次の回線が光る。

五本ある回線が全て埋まっている。

秘書課のスタッフたちは蒼白な顔で対応に追われているが、私のデスクに来るのは、その中でも特に厄介な「大物」たちからのクレームばかりだ。


ここ三日間、私は一睡もしていない。

レオナルドが「全工場の無期限停止」を宣言してから、このオフィスは地獄と化した。

世界中の物流が止まり、経済が麻痺しつつある。

その全ての責任と恨みが、この部屋に集約されていた。


「……シルヴィ様。応接室に、帝国貴族のギュンター男爵がお見えです。アポイントはありませんが、強引に入ってこられて……」


部下が泣きそうな顔で報告に来る。

私は深いため息をつき、眼鏡の位置を直した。


「通して。……私が相手をするわ」


          ◇


応接室のドアを開けると、恰幅の良い男がソファで貧乏ゆすりをしていた。

ギュンター男爵。

帝国の物流利権に食い込む古狸で、今回の騒動で最も損害を被った一人だ。


「遅いぞ! いったい何分待たせるつもりだ!」


男爵は私を見るなり怒鳴り散らした。

唾が飛ぶ。

かつての私なら、この瞬間に首を刎ねていただろう。

だが、今の私は「秘書」だ。

暴力は使わない。

もっと残酷で、効率的な武器を使う。


「お待たせいたしました、男爵。……して、本日はどのようなご用件で?」


私は優雅に一礼し、対面のソファには座らず、立ったまま彼を見下ろした。


「用件だと!? とぼけるな! お前たちのせいで、私の倉庫にある商品が出荷できないんだ! 損害賠償を請求する! 金貨一万枚だ!」


「一万枚……ですか」


私は手元のファイルをめくった。

そこには、男爵の裏帳簿のコピーが挟まれている。

レオナルド商会の情報網(というより、私が個人的に放った使い魔たち)が集めた、彼の汚職の証拠だ。


「男爵。……御社の倉庫に眠っている在庫ですが、大半はゴライアス商会からの横流し品ですね?」


「なっ……!?」


「ゴライアスの安物を仕入れ、ラベルを貼り替えて、正規の価格で帝国軍に納入している。……これは立派な詐欺罪に当たりますが?」


「き、貴様……どこでそれを……」


男爵の顔から血の気が引いていく。

私はファイルを持ったまま、一歩近づいた。

コツ、というヒールの音が、彼の心臓を叩く。


「今回の工場停止は、市場の正常化を図るための措置です。……貴方のような『寄生虫』を駆除するための燻煙消毒のようなもの。煙たくても我慢していただきます」


「……」


「もし賠償をご希望でしたら、このファイルを司法省に提出した上で、法廷で争うことになりますが……よろしいですか?」


男爵は震え出した。

彼は知っているのだ。

目の前にいる女が、ただの秘書ではないことを。

かつて「氷の魔女」と呼ばれ、魔王軍の一個師団を指揮していた女の、殺気の一端を感じ取ったのだ。


「……お、覚えておれ!」


男爵は逃げるように部屋を出て行った。

私はファイルを閉じ、大きく息を吐いた。


「……雑魚が」


口汚い言葉が漏れる。

いけない。レオナルド様に「言葉遣いには気をつけろ」と注意されているのに。

だが、この程度の脅しで済んで良かったと思うべきか。

レオナルド様のやり方は、もっとえげつない。

彼は相手を逃がさない。

骨の髄まで利用し尽くしてから、笑顔で捨てる。


私は窓の外を見た。

帝都の街並みが、夕闇に沈んでいく。

工場の煙突からは煙が出ていない。

街の灯りも、心なしか暗い。

世界が止まっている。

たった一人の男の号令で。


(……あの人は、本当に魔王ね)


私は苦笑した。

かつて仕えた魔王は、力と恐怖で世界を支配しようとした。

だが、レオナルドは違う。

彼は「欲望」と「利便性」で世界を支配している。

人々は彼の商品なしでは生きられない体にされ、彼の掌の上で踊らされている。

どちらが恐ろしいか。

言うまでもない。


          ◇


深夜三時。

電話のベルはようやく鳴り止んだ。

オフィスは静寂に包まれている。

私は給湯室に入り、コーヒー豆を挽いた。

レオナルド様は、酸味の強い豆を好まない。

深煎りの、苦味の強いマンデリンを、熱めの湯で抽出する。


カツ、カツ、カツ……。


廊下から足音が聞こえる。

規則正しいが、少しだけ重い足音。

私はカップを二つ用意し、社長室へと向かった。


ドアを開けると、そこには「浮浪者」がいた。

高級なイタリア製のソファに、泥だらけの作業着を着た男が沈み込んでいる。

顔は煤と油で汚れ、髪は乱れ、目の下には深いクマができている。

世界の経済を止めた張本人、レオナルド・ダ・ヴィンチだ。


「……お帰りなさいませ、会長」


私はコーヒーをデスクに置いた。

彼はゆっくりと目を開け、カップに手を伸ばした。

その手は傷だらけだった。

社長の手ではない。

職人の手だ。

爪の間に入った黒い油汚れは、何度洗っても落ちないだろう。


「……ああ。美味い」


彼は一口飲み、満足げに息を吐いた。


「外はどうだ、シルヴィ。……まだ俺の悪口で盛り上がっているか?」


「ええ。貴方は今、世界で一番嫌われている男ですわ」


「光栄だな。……無関心よりはマシだ」


彼は自嘲気味に笑った。

その笑顔を見て、私は胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。

この人は、孤独だ。

アレクセイやガルドといった優秀な部下はいるが、彼らは「技術」や「現場」の人間だ。

レオナルドが見ている「経営」という孤独な戦場を、本当に理解できる者はいない。

だからこそ、私がここにいる。


「……バルバロスが来た時のことを、覚えていますか?」


私は唐突に尋ねた。

あの日。

ゴライアス商会の会長が、この部屋に乗り込んできた日。

彼はレオナルド商会の買収を提案した。

条件は破格だった。

借金は帳消しになり、レオナルドは一生遊んで暮らせるだけの金を手に入れられたはずだ。


「……ああ。安っぽい香水の臭いがする男だったな」


「貴方は、契約書を破り捨てました」


あの時の光景が、脳裏に焼き付いている。

バルバロスは言った。『欲しいのは技術じゃない。ブランドだ』と。

その瞬間、レオナルドの空気が変わった。

怒りではない。

もっと冷たく、鋭利な殺意。

彼は契約書を破き、こう言ったのだ。

『俺のロゴは、品質への保証書だ。客を騙すための道具ではない』


私はあの時、震えた。

恐怖ではない。

歓喜で震えたのだ。

ああ、この人は「本物」だと。

金のためなら何でもする商人の皮を被っているが、その芯にあるのは、誰よりも潔癖なプライドだ。

彼は、自分の名前ブランドが汚されることを、死ぬこと以上に嫌う。

その矜持が、たまらなく美しかった。


「……シルヴィ。お前は、なぜ俺についてくる?」


レオナルドが問いかけてきた。

彼は疲れ切った目で、私を真っ直ぐに見つめていた。


「元魔王軍の幹部なら、もっとマシな就職先があっただろう。……こんな泥舟に乗らなくても」


「泥舟……ですか」


私はクスリと笑った。


「確かに、今の御社は泥まみれですわね。……でも」


私は彼の前に跪いた。

かつて魔王に忠誠を誓った時と同じように。

だが、今の私の主は、玉座に座る怪物ではなく、油まみれの作業着を着た人間だ。


「私は、強い方が好きなんです」


「……俺は強くないぞ。魔法も使えないし、剣も振れない」


「いいえ。貴方は誰よりも強い」


私は彼の手を取った。

汚れた、傷だらけの手。


「貴方は、剣を使わずに世界を跪かせました。……魔法を使わずに、人々の生活を変えました。そして今、たった一つの『信念』を守るために、世界中を敵に回して戦っている」


バルバロスは、目先の利益のために魂を売った。

ハンスも、生活のために誇りを捨てた。

だが、この男だけは捨てない。

金がなくなろうと、信用を失おうと、自分の作ったものが「最高」であるという事実だけは、決して譲らない。


その狂気じみた頑固さ。

それこそが、王の資質だ。


「私は秘書です。……社長が世界を敵に回すなら、私はその世界を相手にスケジュール調整をするだけです」


「……ふっ」


レオナルドが吹き出した。

肩の力が抜け、彼本来の不敵な表情が戻る。


「スケジュール調整か。……大した秘書様だ」


彼は立ち上がり、窓際に立った。

眼下には、眠る帝都。

その暗闇の中に、ゴライアス商会の本社ビルだけが、下品なネオンで輝いているのが見える。

明日のレースで、決着がつく。


「シルヴィ。……新しい契約書を用意しろ」


「契約書……ですか?」


「ああ。……ゴライアス商会の買収契約書だ」


彼は振り返った。

その瞳には、青い炎が燃えていた。

疲労の色は消え、獲物を狙う狩人の目になっていた。


「明日のレース、俺たちが勝つ。……奴らは破産し、資産は競売にかけられるだろう。その時、奴らの工場、土地、そして奴らが囲い込んでいた労働者たち……全てを我々が買い叩く」


「……安値で、ですね?」


「当然だ。……底値で拾って、再生させる。奴らの作った負債も、ゴミも、全て俺が金に変えてやる」


ゾクリとした。

この人は、転んでもただでは起きない。

ライバルを倒すだけでは満足せず、その死体すらも肥料にして、さらに大きくなろうとしている。

慈悲はない。

あるのは、徹底的な合理性と、商魂だけ。


「承知いたしました。……明朝までに、完璧な書類を作成しておきます」


「頼む。……それと、コーヒーをもう一杯」


「かしこまりました」


私は給湯室へと戻った。

足取りは軽い。

疲れなど吹き飛んでいた。


明日は決戦だ。

レオナルド様は、自らハンドルを握り、死のレースへと挑む。

なら、私はここ(城)を守らなければならない。

レースが終わった瞬間、勝利の鐘を鳴らし、敗者の首(資産)を回収するために、万全の準備を整えておく。

それが、私の戦いだ。


「……まったく。人使いの荒い魔王様だこと」


私は独りごちて、微笑んだ。

マンデリンの香ばしい匂いが、夜明け前のオフィスに満ちていく。

外はまだ暗い。

だが、この部屋だけは、世界で一番熱い場所だった。


電話線は繋がっている。

書類は整った。

資金の計算も済んだ。

さあ、行ってらっしゃいませ、社長。

貴方が世界一の「本物」であることを、愚かな大衆たちに教えてあげてください。

そして帰ってきたら、最高の勝利の美酒を、お注ぎいたしますから。


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