第5章 第9話:死の並走 後編 ~渓谷に消える黄金~
「切り離し完了! 客車、停止します!」
ガルドの怒号と共に、プロメテウスの後部連結器が外された。
数百人の命を乗せた客車たちが、慣性で滑りながら遠ざかっていく。
重荷を降ろしたプロメテウスは、解き放たれた猟犬のように軽くなり、その身震いするような加速力を取り戻した。
「……行くぞ」
運転席のレオナルドが、スロットルを限界まで押し込む。
もはや、安全マージンなどない。
魔導エンジン『ヴァルカン・ツインターボ』が咆哮を上げる。
キィィィィィィン!!
甲高いタービン音が、重低音の排気音に重なり、大気を切り裂くようなジェットサウンドへと昇華する。
「目標、前方三キロ! 暴走機関車ゴライアス!」
通信機からアレクセイの声。
彼は機関室に戻り、魔力供給を直接制御している。
「ボイラー圧力、危険域突入! ……構わねえ! 全部燃やせ!」
石炭ではない。
高純度魔石を直接炉にくべる。
青白い炎が噴き出し、プロメテウスの速度計は時速百四十キロを突破した。
線路の継ぎ目を越える音が、タタッ、タタッというリズムから、ブァァァァッという連続音に変わる。
景色が溶ける。
重力が歪む。
だが、車体はレールに吸い付いたままだ。
レオナルドが削り出したサスペンションが、路面の凹凸を完全に吸収しているのだ。
「……見えた」
荒野の彼方。
黒煙と火花を撒き散らしながら疾走する、金色の点。
ゴライアス号だ。
その姿は、断末魔を上げながら走る手負いの獣そのものだった。
煙突から火を吹き、車輪からは異音を発し、左右に激しく蛇行している。
「……あと二分で『大渓谷』だ」
レオナルドは冷静に時間を計算した。
前方にそびえるのは、大陸の東西を分断する巨大な裂け目、グランド・キャニオン。
そこに架かる鉄橋は、レオナルド商会が総力を挙げて建設中の、世界最長の橋だ。
だが、まだ完成していない。
橋桁は繋がっているが、線路の固定が終わっておらず、強度試験も未実施だ。
あそこで爆発されたら、橋脚ごと崩れ落ちる。
「……追いつくぞ」
距離が縮まる。
五百メートル。三百メートル。百メートル。
ゴライアス号の背中が、視界いっぱいに広がる。
その姿は無惨だった。
黄金のメッキは熱で剥がれ落ち、下地の錆びた鉄が露わになっている。
装飾品は振動で脱落し、ただの鉄屑となって後方に飛んでくる。
「衝撃に備えろ!」
レオナルドが叫ぶと同時に、プロメテウスの先頭部にある排障器が、ゴライアス号の尾部に接触した。
ドォォォォォォン!!
凄まじい衝撃。
だが、プロメテウスは揺るがない。
厚さ三十センチのミスリル装甲が、衝撃を跳ね返す。
対して、ゴライアス号の後部は、アルミ缶のように簡単にひしゃげた。
安物の鉄板だ。
強度がまるで違う。
「……押し出せ!」
レオナルドはスロットルを緩めない。
さらに押し込む。
プロメテウスの推力が、前のめりになったゴライアス号を無理やり押していく。
連結ではない。
追突したまま、力技で押しているのだ。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
ゴライアス号の機関室。
床に這いつくばっていたバルバロスは、背後からの衝撃に跳ね飛ばされた。
計器が爆発し、ガラスの破片が降り注ぐ。
「……追いつかれたのか!? あの黒い悪魔に!」
バルバロスは、割れた窓から後ろを見た。
そこにいたのは、煙の中から現れた漆黒の死神――プロメテウスだった。
その先頭部は、牙を剥いた獣のようにゴライアス号に噛みつき、逃がそうとしない。
「ひぃっ……! 来るな! 押すな! 俺は王だぞ!」
バルバロスは狂乱し、壊れた操作盤を叩いた。
だが、機関車は彼の言うことを聞かない。
既に制御系は全滅している。
彼にできるのは、ただ運命に流されるまま、破滅へと運ばれていくことだけだった。
「……聞こえるか、バルバロス」
不意に、通信機からノイズ混じりの声が響いた。
レオナルドだ。
プロメテウスの外部スピーカーを使った、最大音量の警告。
『その先は地獄だ。……ブレーキをかけろ』
「う、うるさい! ブレーキなんてとっくに壊れてるんだよ!」
バルバロスは泣き叫んだ。
「助けてくれ! 金ならやる! 会社もやる! なあ、友達だろう!? 助けてくれよレオナルドォッ!」
『……商談は決裂だ』
レオナルドの声は冷徹だった。
『お前の会社は破産した。……そして、お前の命も、お前自身が安売りした結果だ』
前方。
視界が開ける。
断崖絶壁。
その間に架かる、細い鉄の糸のような橋。
大渓谷鉄橋だ。
下を見れば、千メートル下の谷底を流れる川が、細い蛇のように見える。
「……ここで決める」
レオナルドは、眼前の光景を凝視した。
橋の手前三百メートル。
そこに、工事用車両を引き込むための待避線がある。
本来なら、速度を落として進入する場所だ。
だが、今の速度でポイントに突っ込めば、遠心力で脱線する。
「アレクセイ! ポイント切り替え!」
『了解! ……遠隔操作、接続!』
アレクセイが魔力を飛ばす。
前方の線路脇にあるポイント切り替え機が、ガチャンと音を立てて動いた。
直進(橋へ)から、左の待避線(崖沿いの行き止まり)へ。
「……バルバロス。お前の行き先はあっちだ」
レオナルドは、プロメテウスのブレーキを一気に引いた。
同時に、逆噴射スラスターを展開する。
キィィィィィィィィッ!!
車輪から凄まじい火花が散る。
プロメテウスが急減速する。
慣性の法則。
押されていたゴライアス号だけが、そのままの速度で弾き出される。
「あ……ああ……」
バルバロスの視界から、黒い列車が離れていく。
そして、目の前に迫るポイントの分岐。
時速百四十キロ。
曲がれるはずがない。
「いやだ……いやだぁぁぁぁッ!!」
ガガガガガッ!!
ゴライアス号の車輪が、ポイントのレールに乗り上げる。
遠心力。
車体が大きく傾く。
外側の車輪が浮き上がり、内側の車輪がレールを削り取る。
耐えられない。
安物の車軸が、ポキリと音を立てて折れた。
ドォォォォォン!!
脱線。
ゴライアス号は、横倒しになりながら宙を舞った。
線路を外れ、砂利を巻き上げ、そのまま放物線を描いて断崖絶壁の空へと飛び出した。
スローモーションのような光景。
黄金の列車が、太陽の光を浴びて輝きながら、奈落へと落ちていく。
その窓枠にしがみつくバルバロスの姿が、一瞬だけ見えた気がした。
彼は何かを叫んでいたが、その声は風にかき消された。
数秒の静寂。
そして。
ズドオォォォォォォォォン!!
谷底から、紅蓮の炎が上がった。
ニトロを満載したボイラーが、地面に激突した衝撃で大爆発を起こしたのだ。
キノコ雲のような黒煙が、峡谷を埋め尽くす。
爆風が吹き上がり、橋の上に停車したプロメテウスの車体を揺らした。
「……終わったか」
レオナルドは、ハンドルから手を離し、深く息を吐いた。
全身から力が抜ける。
手のひらは汗でびっしょりと濡れ、震えていた。
「……会長! 大丈夫ですか!」
機関室から、アレクセイが飛び込んできた。
煤だらけの顔。
だが、その目は安堵の色に満ちている。
「ああ。……橋は守った」
レオナルドは窓の外を見た。
目の前には、無傷の鉄橋が伸びている。
そして、その横の崖下からは、どす黒い煙が立ち上っていた。
かつてゴライアスと呼ばれたものは、今はただの鉄屑となり、谷底の川を汚しているだけだった。
「……あっけないもんだな」
アレクセイが呟く。
彼の手には、半分に折れたタバコが握られていた。
「あいつ、最期まで気づかなかったのかな。……自分の作った列車が、なんであんなに簡単に脱線したのか」
「重心だ」
レオナルドは静かに言った。
「見た目だけを気にして、重心が高すぎた。それに、車体の剛性が足りずにねじれていた。……カーブに入った瞬間、物理法則が彼に『不合格』の判決を下したんだ」
技術は嘘をつかない。
真面目に作ったものは残り、手抜きをしたものは消える。
ただそれだけの、あまりにもシンプルな真理。
だが、その証明のために、どれだけの犠牲と労力が必要だったか。
「……帰ろう、アレクセイ」
レオナルドは、バックギアを入れた。
「客が待っている。……そして、世界も待っている」
プロメテウスが、ゆっくりと後退を始める。
その先頭部は、ゴライアス号との衝突で塗装が剥げ、傷だらけになっていた。
だが、その傷こそが、本物の証(勲章)だった。
無傷の美しさではない。
傷ついても壊れない、強靭さという美学。
◇
数時間後。
プロメテウスは、置き去りにしていた客車と再連結し、最寄りの駅へと到着した。
ホームには、新聞記者や警察、そして避難した乗客たちの家族が詰めかけていた。
「レオナルド会長! 事故の原因は!?」
「ゴライアス号はどうなったのですか!?」
フラッシュの嵐。
レオナルドは、煤けた作業着のまま、タラップを降り立った。
彼はマイクを向けられると、一言だけ答えた。
「……安さの代償は、高くついた。それだけだ」
多くを語る必要はなかった。
乗客たちの証言、そして谷底の惨状が、全てを物語っていたからだ。
翌日の新聞は、ゴライアス商会の破産と、レオナルド商会の英雄的な救助劇を大々的に報じた。
市場は一変した。
あれほどレオナルドを叩いていた人々が、掌を返したように称賛し、ゴライアス製品を捨て始めたのだ。
「やっぱりレオナルド製じゃなきゃダメだ」
「命はお金じゃ買えない」
街から赤色が消え、再び青色が戻ってくる。
だが、それは以前のような「惰性の青」ではない。
痛みを伴って学習した、「確信の青」だった。
レオナルド商会の工場は、再稼働した。
注文は以前の三倍に膨れ上がっていた。
だが、レオナルドは浮かれてはいなかった。
彼は知っている。
この熱狂もまた、いつかは冷めることを。
大衆は忘れっぽい。
だからこそ、商人は走り続けなければならない。
常に「本物」を提供し続け、彼らの記憶を更新し続けるために。
◇
一週間後。
レオナルドは、修理を終えたプロメテウスの運転席にいた。
隣には、ハンスがいる。
彼は懲戒解雇されたが、アレクセイの嘆願により、最下層の整備員として再雇用されたのだ。
今は油まみれになって、ボルトを磨いている。
「……勉強になったか、ハンス」
「はい。……骨の髄まで」
ハンスは深々と頭を下げた。
その目には、もう迷いはない。
華やかな出世よりも、地味だが確かな技術への渇望が宿っていた。
「ならいい。……仕事に戻れ」
「はい!」
ハンスが走っていく。
それを見送った後、レオナルドは懐中時計を取り出した。
正午。
世界中の駅に設置された時計が、一斉に時を刻む。
彼が導入した「標準時」だ。
「……鉄道は終わった」
レオナルドは呟いた。
物理的な距離は、もう克服した。
世界は鉄の網で結ばれ、物流は血管のように脈動している。
だが、まだ足りないものがある。
「次は『声』だ」
彼は空を見上げた。
そこには、見えない電波が飛び交っている。
今はまだ雑音でしかないその波を、意志ある言葉に変える。
人の心を動かす、最強の武器。
「……バルバロスは、プロパガンダ(宣伝)だけは上手かった」
レオナルドは認めた。
ゴライアスが一時的にでも世界を席巻できたのは、あの派手な広告と、巧みな煽動があったからだ。
技術だけでは勝てない。
技術を正しく伝える「言葉」が必要だ。
「アレクセイ。……ラジオを作るぞ」
「ラジオ? なんだそりゃ」
「箱だ。……遠くの声を、世界中に届ける魔法の箱だ」
レオナルドの瞳に、新しい野望の火が灯る。
産業革命の次は、情報革命。
物量で満たされた世界に、次は「物語」を売る。
そのための戦争が、始まろうとしていた。




