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連載版『ポーションは自然に湧いてくるものだ』と本気で思っていた勇者パーティを追放されたので、補給線を全て遮断しました  作者: じょな


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第5章 第7話:決戦前夜、禁断の秘薬と静かなる怪物

決戦前夜。

帝都の空は、鉛色の雲に覆われていた。

湿った風が、明日の嵐を予感させるように吹き抜けていく。


ゴライアス商会本社ビルの最上階。

そこは、死体安置所のように静まり返っていた。

床には、破り捨てられた契約書や、督促状、そして新聞記事が散乱している。

『ゴライアス製品、欠陥の疑い』

『火災事故、相次ぐ』

『安さの代償とは?』


かつてバルバロスを持ち上げていたメディアは、手のひらを返したように彼を叩き始めていた。

大衆とは、残酷なまでに正直だ。

自分たちが損をしたと気づいた瞬間、昨日までの英雄を、今日は石打ちの刑に処す。


「……くそっ、どいつもこいつも」


バルバロスは、空になったブランデーの瓶を壁に投げつけた。

ガラスが砕け散る音が、彼の神経を逆撫でする。

金がない。

信用がない。

あれほど群がっていた銀行家たちも、潮が引くように去っていった。

残されたのは、膨大な借金と、在庫の山。


「会長……。明日のレースですが、勝算は……」


側近が恐る恐る尋ねる。

バルバロスは血走った目で彼を睨みつけた。


「あるに決まってるだろうが! 勝てばいいんだ! 勝てば全てがひっくり返る!」


彼は立ち上がり、金庫を開けた。

中には、金貨の山はない。

代わりに、厳重に梱包された一本のガラス瓶が入っていた。

中身は、ドロリとした不気味な蛍光色の液体。


『高濃度魔力液・ニトロ』。


それは、鉱山で岩盤を爆破するために使われる、極めて不安定な液体爆薬だ。

燃料に混ぜれば、エンジンの出力は一時的に三倍になる。

だが、その代償としてボイラーの温度は融点を超え、金属疲労を一気に加速させる。

いわば、機械に覚醒剤を打つようなものだ。


「こいつを使え」


バルバロスは、瓶を側近に押し付けた。


「スタートと同時に全量を投入しろ。……最初の十キロで勝負を決める。レオナルドの列車を置き去りにして、観衆の度肝を抜くんだ」


「し、しかし会長! そんなことをしたらエンジンが持ちません! ハンス技師も『今の構造では耐えられない』と……」


「ハンス? ああ、あの裏切り者か」


バルバロスは冷たく笑った。


「あいつを機関車に乗せろ。……自分の設計したエンジンと心中させてやれ。それが技術者としての本望だろう?」


狂気。

追い詰められたネズミは、猫を噛むのではない。

自らの巣を燃やしてでも、道連れを作ろうとするのだ。

バルバロスにとって、もはや明日のレースは競技ではない。

生き残るための、手段を選ばない殺し合いだった。


          ◇


翌朝。

帝都中央駅は、異様な熱気に包まれていた。

空は晴れたが、空気は重い。

数万人の観衆が、駅前広場から沿線までを埋め尽くしている。

彼らの目は、以前のような無邪気な興奮には満ちていない。

疑念、不安、そして僅かな期待。

「本当にゴライアスは悪なのか」「レオナルドは正しかったのか」。

その答えを、自分の目で確かめに来たのだ。


午前九時。

一番ホームに、ゴライアス号が入線する。


キィィィィィィン!!


耳をつんざくような金属音。

ブレーキの効きが悪いのか、車輪が火花を散らしながら、強引に停車する。

車体は黄金色に輝いているが、よく見れば塗装は剥げ、あちこちに黒い煤がついている。

煙突からは、不完全燃焼を示す黒煙が断続的に吐き出され、駅構内に鼻をつく硫黄臭を撒き散らした。


「……なんか、臭くないか?」

「音もすごいな。壊れそうじゃないか?」


観衆がざわめく。

デッキに立ったバルバロスは、満面の笑みで手を振ったが、その額には脂汗が滲んでいた。

彼は知っている。

この黄金の巨体が、内側から悲鳴を上げていることを。

機関室では、ハンスが震える手で『ニトロ』の瓶を抱えていることを。


そして、午前九時十分。

反対側の二番ホームの空気が変わった。

音ではない。

圧だ。

空気が圧縮されるような重圧感が、観衆の肌を粟立たせた。


無音。

汽笛も、排気音もない。

ただ、朝霧の向こうから、漆黒の塊が滑るように現れた。


『プロメテウス』。


全長百五十メートル。

装飾の一切を削ぎ落とした、機能美の極致。

その表面は、光を反射しないマットブラックの装甲で覆われている。

車輪の回転音すらしない。

アレクセイたちが研磨したベアリングと、レオナルドが設計した磁気浮上サスペンションが、五十トンの質量を羽根のように支えているのだ。


「……なんだあれは」

「静かすぎる……本当に動いているのか?」


観衆は息を飲んだ。

ゴライアス号が「吠える獣」なら、プロメテウスは「泳ぐ鮫」だ。

圧倒的な技術力の差が、動いているだけで伝わってくる。


ホームに降り立ったレオナルドは、作業着のままだった。

スーツではない。

油と煤で汚れた、全工場のエンブレムが入ったツナギ。

それが、今の彼にとっての礼服だった。


「……よう、天才君。随分と汚い格好だな」


バルバロスが、引きつった笑みで声をかける。


「金がなくてスーツも売ったか? ……まあいい、ウチのゴライアス号の輝きを見てくれよ。これぞ王者の風格だ」


レオナルドは、バルバロスを一瞥もしなかった。

彼は鼻をひくつかせ、ゴライアス号の方を見た。


「……臭うな」


「あ?」


「酸っぱい臭いだ。……ニトロか?」


バルバロスの顔色がさっと変わる。

レオナルドは冷徹な目で彼を射抜いた。


「魔導エンジンの燃料に爆薬を混ぜる。……古い手だ。瞬間的な出力は上がるが、燃焼室の耐熱限界を超える。自殺行為だぞ」


「ふ、ふん! 負け惜しみを言うな! これは特殊な添加剤だ! ……お前の遅い列車じゃ、ウチの背中すら見えないだろうがな!」


「そうか。……なら、精々離れて走ってくれ。巻き添えは御免だ」


レオナルドは踵を返した。

言葉など不要。

技術者にとって、相手の不正を見抜くことなど、呼吸をするより容易い。

彼は哀れみすら感じていた。

機械を愛さず、理解もせず、ただ道具として使い潰す男の末路を。


「総員、配置につけ」


レオナルドの声は静かだが、ホームの端まで届いた。


「アレクセイ、機関室へ。ガルド、安全装置の最終確認。……俺は運転席に乗る」


「了解だ、ボス」


アレクセイが敬礼する。

その目は、少年のように輝いていた。

最高傑作を、世界に見せつける時が来たのだ。


レオナルドが運転席に乗り込む。

革張りのシート。

目の前には、無数の計器類が並んでいる。

圧力計、温度計、魔力流量計。

全ての針が、ピクリとも動かず、正常値のど真ん中を指している。

完璧なチューニング。

1ミクロンの狂いもない。


「……ハンス」


レオナルドは、隣のホームにいるであろう、かつての部下を想った。

窓越しに見えるゴライアス号の機関室。

その小さな窓から、蒼白な顔をしたハンスがこちらを見ている気がした。


(お前は選んだ。……安易な道を。その代償を、技術者として払ってもらう)


感傷はない。

あるのは、事実への冷徹な認識だけだ。

彼がニトロを注入した瞬間、あのエンジンは死ぬ。

それは物理法則という絶対神が下す、不可避の判決だ。


「発車一分前!」


駅長の号令。

信号機が赤から青へと変わる。

ゴライアス号からは、凄まじい蒸気と火の粉が噴き出した。

バルバロスが叫んでいるのが見える。

「入れろ! 全部入れろ!」と。


一方、プロメテウスは静寂を保ったままだった。

だが、その内側では、十二気筒の魔導エンジンが、目覚めの時を待っていた。

アイドリング状態から、戦闘モードへ。

吸気弁が開く。

魔力が流れ込む。


ドクン。


低い、地響きのような音が一度だけ鳴った。


「出発進行ォッ!!」


旗が振り下ろされる。


その瞬間。

ゴライアス号が爆発したかのような加速を見せた。


ズドオォォォォン!!


車輪が空転し、レールを削りながら、ロケットのように飛び出す。

ニトロの力だ。

物理限界を超えた出力が、五十トンの鉄塊を無理やり押し出す。

速い。

確かに速い。

観衆が「おおっ!」とどよめく。

一瞬にして、ゴライアス号はホームを駆け抜け、視界の彼方へと消えていった。


「……見たか! これがゴライアスの力だ!」


バルバロスの高笑いが、煙の中に残る。


対して、プロメテウスは動かない。

いや、動いている。

だが、あまりにも滑らかすぎて、静止しているように見えたのだ。


ヌルリ。


音もなく、巨体が動き出す。

急加速はしない。

レオナルドはスロットルをミリ単位で操作し、トルクを最適に配分していく。

車輪がレールを噛む。

滑らない。

空転によるエネルギーロスをゼロにする。

地面を鷲掴みにしたまま、確実に、そして指数関数的に速度を上げていく。


「……行こうか」


レオナルドは呟いた。

背中がシートに押し付けられる。

Gがかかる。

だが、コップの水は溢れない。

不快な振動が一切ないからだ。

まるで氷の上を滑るように、あるいは空を飛ぶように。

黒い怪物は、加速の頂点を目指して走り始めた。


帝都を抜けると、広大な平原が広がる。

遥か前方には、黒煙を上げて疾走するゴライアス号の姿が見える。

その差は一キロ以上。

だが、レオナルドは焦らない。

計器を見る。

ボイラー内圧力、正常。

魔力変換効率、九十八パーセント。


「アレクセイ。……第二段階セカンド・ステージだ」


通信機で告げる。


『了解。……過給機ターボ、回すぜ』


機関室のアレクセイがレバーを引く。

ヒュイィィィィン……。

甲高い音が重なる。

魔導ターボチャージャーが作動し、圧縮された魔力が燃焼室に叩き込まれる。


ドンッ!


背中を蹴られたような衝撃。

速度計の針が跳ね上がる。

時速八十キロ、九十キロ、百キロ。

当時の人類が未体験の領域へ。


景色が流線になる。

だが、それでも車内は静かだった。

あまりの精度の高さゆえに、風切り音さえも整流され、美しい和音となって響く。


前方のゴライアス号が近づいてくる。

相手は必死だ。

煙突から火を吹き、車体をガタガタと揺らしながら、悲鳴を上げて走っている。

まるで、死に物狂いで逃げる傷ついた猪のようだ。


「……見えた」


レオナルドは冷静に距離を測る。

あと五百メートル。

三百メートル。


ゴライアス号のデッキにいるバルバロスが、後ろを振り返った。

その顔が、驚愕に歪むのが見えた。

信じられないという顔だ。

ニトロを使ったのに。

限界を超えたはずなのに。

なぜ、あの黒い列車は、涼しい顔で追いついてくるのか。


「……格が違うんだよ」


レオナルドは、スロットルをさらに押し込んだ。

プロメテウスが咆哮する。

それは、偽物を断罪し、王者の座を奪還するための、圧倒的な宣言だった。


並ぶ。

一瞬の並走。

バルバロスの顔が、スローモーションのように横を過ぎ去る。

そして、抜き去る。


風圧で、ゴライアス号の金箔が剥がれ飛ぶ。

プロメテウスが起こした衝撃波が、脆くなった相手の車体を揺さぶる。


「終わりだ」


レオナルドは前を向いた。

バックミラーの中で、ゴライアス号が小さくなっていく。

だが、その直後。


キィィィン……バシュッ!!


不吉な破裂音が、後方から聞こえた。

レオナルドの眉が動く。

予言通りだ。

ニトロの熱に耐えきれず、鉛の遮蔽壁が溶け落ちたのだ。


「……アレクセイ。準備しろ」


レオナルドはスロットルを緩めず、しかしブレーキに手をかけた。


「救助活動だ」


勝負はついた。

だが、本当の戦いはこれからだ。

技術者として、そして人間として。

自滅した愚か者たちを、地獄の底から救い出すという、最も困難で、最も高貴な仕事が待っていた。


プロメテウスが減速を始める。

それは勝利の凱旋ではなく、救急救命の現場への急行だった。

黒い怪物は、慈悲深い巨人の顔を見せ、炎上する黄金の棺桶へと向き直った。


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