第5章 第4話:解剖と戦慄 ~時限爆弾の正体~
帝都の夜は、二つの熱気に包まれていた。
一つは、ゴライアス・エクスプレスの華々しいデビューを祝う、祝祭の熱気。
街中の酒場という酒場では、「ゴライアス万歳!」「庶民の勝利だ!」という乾杯の声が響き渡り、赤い旗が打ち振られていた。
人々は酔いしれていた。
安くて豪華な列車を手に入れたという満足感と、鼻持ちならないエリート企業を出し抜いたという歪んだ快感に。
もう一つは、冷たい雨の降るゴミ捨て場に渦巻く、執念の熱気だ。
「……あったか?」
闇の中、低い声が響く。
アレクセイだ。
彼は泥濘の中に膝をつき、悪臭を放つ廃棄物の山を素手で掘り返していた。
かつて魔王城を攻略した英雄の手は今、油と汚泥にまみれている。
「こっちです、部長。……間違いない。ゴライアス号の試運転で出た廃材です」
部下のドワーフが、ひしゃげた金属の塊を拾い上げた。
それは、圧力に耐えきれずに破裂したと思われる、パイプの接合部だった。
ゴライアス商会の裏手にある産業廃棄物処理場。
本来なら部外者立ち入り禁止の場所だが、警備員を買収し、深夜に忍び込んだのだ。
プライドなどとうに捨てた。
敵を知るためには、敵の排泄物を調べてでも情報を得る。それが技術屋の戦い方だ。
「……酷えな」
アレクセイは、拾い上げたパイプを懐中電灯で照らした。
内側が赤錆で腐食している。
新品のはずがない。どこかの廃工場から解体してきた水道管か何かを、そのまま高圧蒸気の配管に流用したのだろう。
「持って帰るぞ。……会長が待ってる」
アレクセイたちは、まるで泥棒のように、スクラップの入った麻袋を担いで闇に消えた。
背後では、ゴライアス商会の本社ビルが、勝利の美酒に酔うかのように煌々と輝いていた。
◇
レオナルド商会、地下第三ラボ。
そこは、外界の喧騒とは隔絶された、静謐な空間だった。
手術台のようなステンレスの作業台の上に、アレクセイたちが持ち帰ったスクラップが並べられている。
「……始めようか」
白衣を纏ったレオナルドが、ゴム手袋をはめながら言った。
その目は、冷徹な検死官のそれだった。
感情はない。あるのは、事実を解き明かそうとする知的好奇心と、微かな危惧だけ。
ガチャン。
アレクセイが、回収した部品の一つ――焼け焦げた『制御弁』を分解した。
中から、ドロリとした黒い液体が流れ出る。
劣化した魔導オイルの臭いが、鼻を突く。
「……予想通りだ」
レオナルドがピンセットで、バルブの内部をつまみ上げた。
そこにあるべき「オリフィス(流量調整板)」が存在しない。
「流量調整機能を省いている。……これでは、魔力を送れば送るほど、無制限にエンジンに流れ込むぞ」
「アクセルを踏んだら踏みっぱなし、ってことですか?」
「そうだ。ブレーキをかけるには、燃料の供給自体を止めるしかない。……極めて原始的で、乱暴な構造だ」
次に、アレクセイが巨大な『熱交換器』の残骸に取り掛かる。
これは、エンジンから発生する高熱を冷却するための重要保安部品だ。
彼らが盗まれた設計図では、ここに特殊なミスリル合金製のフィン(放熱板)を採用していたはずだった。
「部長、これを見てください」
部下のドワーフが、呆れたような声を上げた。
彼が指差した先には、本来あるはずの放熱板がなかった。
代わりに、ただの鉄の板が溶接され、その上に『冷却水タンク』と書かれたブリキのバケツが取り付けられていた。
「……水冷?」
アレクセイが目を疑う。
「魔導エンジンは、摂氏二千度を超える超高温になるんだぞ? 水なんて一瞬で沸騰して蒸発しちまう!」
「だから、水を常に足し続ける構造にしたのでしょう。……蒸気機関車の真似事だ」
レオナルドがため息をついた。
「ハンスは、俺の設計思想を全く理解していなかったようだな。……俺がなぜ、高価なミスリル製の空冷ファンを採用したか。それは、メンテナンスフリーを実現するためだ」
水冷式は構造が単純で安い。
だが、水漏れのリスクがあり、頻繁な給水が必要になる。
長距離を走る大陸横断鉄道において、「途中で水がなくなる」ことは致命的だ。
荒野のど真ん中で停車すれば、乗客は干上がってしまう。
「コストカットのために、安全性を犠牲にした。……それだけじゃない」
レオナルドは、作業台の隅に置かれた、黒く焦げた金属片を手に取った。
それは、ゴライアス号の心臓部である『魔石炉』の一部だと思われる。
「これを見てみろ」
レオナルドが金属片を魔力顕微鏡の下に置く。
モニターに映し出されたのは、金属の結晶構造だ。
だが、その配列はズタズタに引き裂かれ、微細な亀裂が無数に走っていた。
「金属疲労……いや、これは『魔力侵食』か?」
「正解だ」
レオナルドは顕微鏡から目を離した。
「彼らは、魔石炉の遮蔽壁に、鉛を使っている」
「鉛!?」
アレクセイが叫んだ。
鉛は、確かに放射線を防ぐのには有効だが、高濃度の魔力に晒されると変質し、脆くなる性質がある。
魔導工学の基礎中の基礎だ。
「鉛は安いし、加工もしやすい。……だが、魔力耐性がない。このサンプルを見る限り、稼働時間はせいぜい五十時間といったところか」
「五十時間……。たったの二日!?」
「そうだ。二日後には、遮蔽壁がボロボロに崩れ落ちる。……そうなれば、炉内の高濃度魔力が外部に漏れ出し、乗客は急性魔力中毒で死ぬか、あるいは……」
レオナルドは言葉を切った。
その先にある未来は、あまりにも明白で、そして凄惨だった。
「爆発する」
アレクセイが、呻くように言った。
「遮蔽壁が崩れれば、制御不能になった魔力が一気に膨張する。……あの巨大な列車そのものが、五百人を乗せたまま、木っ端微塵になる」
戦慄が走った。
ラボの中の空気が、急激に冷え込んだように感じる。
これは欠陥品などという生易しいものではない。
走る処刑台だ。
バルバロスは、コストを削るために、客の命を守るための最後の砦を、段ボール細工のような脆い壁に置き換えたのだ。
「……会長。止めましょう」
アレクセイが、血走った目でレオナルドを見た。
「これは犯罪だ。いや、虐殺だ! 今すぐ衛兵に突き出して、運行を停止させないと!」
「証拠は?」
レオナルドは冷たく返した。
「これはゴミ捨て場から拾ってきたスクラップだ。法廷で証拠能力はない。『お前たちが捏造したんだろう』と言われればそれまでだ」
「じゃあ、指をくわえて見てろって言うんですか! ハンスも乗ってるんですよ!?」
「……ハンスには警告した」
レオナルドは目を伏せた。
「『乗るな』と。……奴が技術者なら、あの振動と排気音を聞けば、何が起きているか分かるはずだ。それでも乗っているなら、それは奴の選択だ」
レオナルドは知っていた。
ハンスが盗んだ設計図は、開発初期の『プロトタイプ』のものだったことを。
そのプロトタイプには、致命的な欠陥があった。
『熱排気循環不全』。
エンジンの排熱がうまく逃げず、炉内に熱が蓄積してしまう問題だ。
レオナルドとアレクセイは、半年かけてその問題を解決した。
特殊な形状の排気ダクトと、ミスリル製のヒートシンクを組み合わせることで。
だが、ハンスはその解決策を知らない。
そしてバルバロスは、その複雑な排気ダクトを「無駄な装飾」だと判断し、ただの煙突に置き換えた。
結果、ゴライアス号は今、自分の熱で内臓を焼きながら走っている状態だ。
人間で言えば、高熱を出して意識が朦朧としているマラソンランナーと同じ。
いつ倒れてもおかしくない。
「……止められない」
レオナルドは呟いた。
「客は熱狂している。政府も認可した。……今、俺たちが何を言っても『負け犬の嫉妬』としか受け取られない」
「くそっ……! くそぉぉぉッ!!」
アレクセイは、作業台を拳で叩きつけた。
ステンレスが凹み、鈍い音が響く。
悔しい。
技術が、正義が、あんなハリボテに負けるなんて。
そして、そのハリボテが、罪のない人々を巻き込んで破滅しようとしているのを、ただ見ていることしかできないなんて。
「……だが、準備はできる」
レオナルドは、白衣を脱ぎ捨て、いつものスーツに着替えた。
「アレクセイ。……『オブシディアン』の改造だ」
「改造? 今からですか?」
「ああ。……当初の予定していた『豪華客室』を全て撤去しろ」
「は? じゃあ客はどうするんですか?」
「客は乗せない。……代わりに、これを積む」
レオナルドは、一枚の図面を広げた。
そこに描かれていたのは、客席ではなく、巨大な水槽や、クレーンアーム、そして医療機器が満載された、奇妙な車両の設計図だった。
「……救助用車両?」
「そうだ。……それと、消火剤散布用の放水砲だ。機関車の出力も、スピード重視からトルク重視にセッティングし直せ」
「会長……あんた、まさか」
「奴らが事故を起こした時、一番近くにいるのは誰だ?」
レオナルドは、壁に貼られた路線図を指差した。
レオナルド商会のレールの上を、ゴライアス号が走っている。
つまり、同じ線路の上に、自分たちの列車も走れるということだ。
「俺たちだ」
レオナルドは断言した。
「奴らが自滅するのは勝手だ。だが、俺の敷いたレールの上で、死体の山を築くことは許さん。……事故が起きた瞬間、俺たちが現場に急行し、客を回収する」
「……損得勘定ですか?」
「そうだ。……死んだ客からは金を取れないが、助けた客からは一生分の感謝と、高い治療費を取れる」
レオナルドは悪戯っぽく笑った。
だが、アレクセイには分かっていた。
それが、不器用な商人の精一杯のヒューマニズムであることを。
彼は、ライバルを助けるために、自分の最高傑作を「救急車」に改造しようとしているのだ。
「……了解だ、ボス」
アレクセイは涙を拭い、工具を握り直した。
「最高に頑丈で、最高に力の強い奴に仕上げてやる。……地獄の底からでも引きずり戻せるような、最強のレッカー車にな!」
「頼む。……時間は二日しかない」
レオナルドは懐中時計を見た。
秒針が進む。
それは、ゴライアス号の崩壊へのカウントダウンでもあった。
◇
翌日。
新聞の一面には、『ゴライアス号、快調に大陸を疾走!』という見出しが躍っていた。
記事には、豪華な食事を楽しむ乗客たちの笑顔や、得意げにインタビューに答えるバルバロスの写真が掲載されている。
『レオナルド商会の列車より静かだ』
『揺れも少ない。これが最新技術か』
乗客たちのコメント。
だが、レオナルドは知っていた。
静かなのは、遮蔽壁の鉛が音を吸収しているからだ。
揺れが少ないのは、サスペンションが柔らかすぎて、車体が沈み込んでいるからだ。
全ては、破滅の予兆。
「……今のうちに楽しんでおくがいい」
レオナルドは新聞を畳み、工場の窓から空を見上げた。
空は晴れ渡っている。
だが、彼の目には見えていた。
地平線の彼方から、真っ黒な死神が、大鎌を振り上げて近づいてくる姿が。
その頃、ゴライアス号の機関室では、ハンスが青ざめた顔で計器を見つめていた。
水温計の針が、レッドゾーンを行き来している。
給水ポンプの音が、心なしか悲鳴のように聞こえる。
「……大丈夫だ。まだいける」
ハンスは自分に言い聞かせた。
バルバロス会長は言った。「多少の熱は問題ない。走りきればボーナスだ」と。
家族のために。
娘のために。
彼は、警告灯の上にガムテープを貼り、見なかったことにした。
その小さな隠蔽が、やがて数百人の運命を狂わせる引き金になるとも知らずに。
解剖は終わった。
死因は特定された。
あとは、その時が来るのを待つだけだ。
レオナルド商会の工場からは、昼夜を問わず、鉄を打つ音が響き始めた。
それは葬送の鐘の音ではなく、命を救うための、力強い再生のリズムだった。




