第5章 第3話:パクられた「聖域」と、裏切りの設計図
その日は、帝国の歴史に残る晴天になるはずだった。
帝都中央駅、一番ホーム。
早朝の冷たい霧が立ち込める中、レオナルド商会の社員たちは、最後の仕上げに追われていた。
彼らが磨き上げているのは、全長百メートルを超える黒鉄の巨竜、大陸横断鉄道『オブシディアン』だ。
そのボディは、朝露に濡れて黒曜石のように輝き、静かに眠る魔導エンジンの鼓動を内包している。
「いいか、埃一つ残すなよ! 今日は会長の晴れ舞台だ!」
アレクセイが檄を飛ばす。
彼もまた、作業着を新品におろし、髭を剃り、髪を整えていた。
その目は、昨夜の安酒の酔いなど微塵も感じさせないほど澄んでいる。
「家電で負けた分は、こいつで取り返す。……世界中の度肝を抜いてやるんだ」
アレクセイは、愛おしそうに列車の装甲を撫でた。
この列車には、彼の技術者としての魂が詰まっている。
ゴライアス商会がばら撒く安物のコピー商品とは次元が違う。
数百年の耐久性を誇るミスリル合金のフレーム。
魔力効率を極限まで高めた多重積層型エンジン。
そして何より、レオナルドが私財を投じて大陸中に敷設した、総延長一万キロに及ぶ高規格レール。
これだけは真似できない。
これだけの巨大インフラを構築するには、莫大な資金と、土地買収の交渉力、そして数年単位の時間が必要だからだ。
ポッと出の成金に、一夜にして作れるものではない。
「会長、到着されました!」
社員の声に、全員が整列する。
レオナルドが現れた。
彼は、いつもの完璧なスリーピーススーツに身を包んでいたが、その顔色は少し蒼白かった。
ここ数日、銀行との折衝や株主への説明で、ほとんど寝ていないのだ。
だが、その瞳だけは、不屈の闘志で燃えている。
「……美しいな」
レオナルドは、オブシディアンを見上げて呟いた。
「準備は万端か、アレクセイ」
「ああ。いつでも発車できる。……乗客リストも確認済みだ。帝国の要人、各国の外交官、新聞記者……。全員、こいつの乗り心地に腰を抜かすはずだ」
「よし。……反撃の狼煙だ」
レオナルドは頷き、壇上へと向かった。
駅構内には、既に招待客や見物人が詰めかけ、楽隊がファンファーレの準備をしている。
この開通式が成功すれば、レオナルド商会の株価は回復し、再び市場の信頼を取り戻せるはずだ。
これは単なる式典ではない。
生存をかけた、起死回生の儀式なのだ。
午前十時。
鐘の音が鳴り響く。
レオナルドがマイクの前に立ち、口を開こうとしたその時だった。
「待った!!」
空気を読まないダミ声が、静寂を引き裂いた。
会場の全員が振り返る。
駅の入り口から、赤い絨毯の上を、派手なチェック柄のスーツを着た男が歩いてくる。
ゴライアス商会会長、バルバロスだ。
彼の後ろには、数人の男たちが従っている。
その中には、帝国の建設大臣の姿もあった。
「……何の真似だ、バルバロス」
レオナルドはマイクを握りしめ、低い声で問うた。
「ここは神聖な式典の場だ。招待状を送った覚えはないぞ」
「冷たいことを言うなよ、レオナルド君。……今日は、我々にとっても記念すべき日なんだ」
バルバロスはニヤリと笑い、建設大臣を前に押し出した。
「大臣、発表をお願いします」
恰幅の良い大臣は、脂ぎった額の汗を拭いながら、一枚の羊皮紙を広げた。
その手は小刻みに震えている。
何か、後ろめたいことを宣言しようとしている者の仕草だ。
「えー、本日付で……帝国議会において、『鉄道線路公有化法』が可決されたことをここに宣言する」
「……なんだと?」
レオナルドの顔色が凍りつく。
会場がざわめく。
「鉄道線路は、国家の血流であり、公共の財産である! よって、特定の企業がこれを独占することはまかりならん! 今後、全てのレールは帝国の管理下に置かれ、認可を受けた事業者は、使用料を払えば誰でもこれを利用できるものとする!」
「馬鹿な!」
シルヴィが叫んだ。
「あのレールは、我が社が土地を買収し、自費で敷設したものです! それを勝手に取り上げるなんて、財産権の侵害です!」
「補償金は払うよ。……雀の涙ほどだがね」
バルバロスが口を挟む。
「これは公正な競争のためだ。独占は悪だよ、お嬢さん。……さて、線路がみんなのものになったということは、だ」
バルバロスは指を鳴らした。
その合図と共に、反対側の二番ホームから、甲高い汽笛が聞こえた。
ポーォォォォォッ!!
安っぽい、調律の狂った音。
だが、それは確かに蒸気機関の咆哮だった。
白煙を上げながら入線してきたのは、レオナルドの『オブシディアン』に酷似した、しかし毒々しいほど金色に塗装された列車だった。
『ゴライアス・エクスプレス』。
車体には、そうペイントされている。
「な……」
アレクセイは絶句した。
似ている。
外見だけではない。
車輪の配置、連結器の形状、そして魔導エンジンの排気口の位置まで。
まるで、オブシディアンの生き別れの兄弟のようだ。
「紹介しよう! 我が社の最新鋭列車だ!」
バルバロスが両手を広げる。
「レオナルドの列車は金貨百枚だが、ウチなら金貨三十枚で乗れる! しかも、内装は豪華絢爛! 食事は食べ放題! ……さあ皆さん、地味な黒い列車より、夢の黄金列車に乗りたくはないか!?」
招待客たちがどよめく。
安さと豪華さ。
その甘い響きに、心が揺らいでいるのが分かる。
「ふざけるなッ!!」
アレクセイが壇上から飛び降り、バルバロスに掴みかかろうとした。
だが、それを制止したのは、バルバロスの背後にいた一人の男だった。
深くフードを被った、猫背の男。
「……ハンス?」
アレクセイの手が止まる。
その男に見覚えがあったからだ。
レオナルド商会開発部、第三課長ハンス。
アレクセイの直属の部下であり、一番弟子とも言える優秀な技術者だ。
ここ数日、体調不良で欠勤していたはずの彼が、なぜ敵の陣営にいるのか。
「……すみません、部長」
ハンスはフードを脱いだ。
その顔はやつれ、目は泳いでいた。
「お前、まさか……」
「ハンス君は、我が社の技術顧問に就任したんだよ」
バルバロスが、ハンスの肩に馴れ馴れしく腕を回した。
「彼は優秀だねぇ。君たちが秘密にしていた設計図を、全て頭の中に入れていた。おかげで開発期間を大幅に短縮できたよ」
「……盗んだのか。俺たちの図面を」
アレクセイの声が震える。
怒りではない。
深い悲しみが、喉を詰まらせる。
「なんでだ、ハンス! お前、言ってたじゃねえか! 『いつか自分の手で、世界一の列車を作りたい』って! それがこれかよ! こんなパクリ品を作ることが、お前の夢だったのかよ!」
ハンスは唇を噛み締め、俯いた。
そして、絞り出すように言った。
「……夢じゃ、飯は食えないんです」
「え?」
「部長たちは天才です。会長も天才です。……でも、俺は凡人なんです。毎日毎日、ミリ単位の精度を要求されて、徹夜して、それでもダメ出しされて……。給料だって、夢ややりがいを理由に抑えられて……」
ハンスは顔を上げた。
その目には涙が溜まっていたが、同時に暗い光も宿っていた。
「ゴライアスは、今の給料の三倍を提示してくれました。契約金だけで、借金も返せました。……娘の病気を治す薬も買えたんです!」
「……金か」
「そうです、金です! 金がなきゃ、誇りなんて守れないんですよ!」
ハンスの叫びが、駅構内に響き渡る。
それは、レオナルド商会が抱えていた歪みそのものだった。
「良いものを作れば売れる」「技術者は誇り高くあれ」。
その理想主義が、現場の人間を疲弊させ、心の隙間を作っていたのだ。
バルバロスはそこを突いた。
札束という最も単純で、最も強力な武器で、組織の絆を断ち切ったのだ。
「……よく言った、ハンス君」
バルバロスは満足げに頷き、レオナルドの方を向いた。
「聞いたか、天才君? これが現実だ。……君の技術は素晴らしかったよ。だから、私が有効活用してやったんだ。感謝してほしいくらいだね」
レオナルドは動かなかった。
表情一つ変えず、ただ静かにハンスを見つめていた。
裏切り者への憎悪はない。
あるのは、経営者としての自責の念だけだった。
部下を守れなかった。
彼らの生活を、人生を、理想という美名の下に搾取していたのではないか。
その隙を、このハイエナに利用されたのだ。
「……行こう、アレクセイ」
レオナルドは踵を返した。
「会長!? いいんですか! 言われっぱなしで!」
ガルドが吠える。
「ここで暴れても、彼らの思う壺だ。……法は彼らの味方をした。線路は奪われた。技術も盗まれた」
レオナルドは歩き出した。
その背中は、かつてないほど小さく見えた。
「……完敗だ」
雨が降り始めた。
予報にはない、冷たい氷雨だった。
招待客たちは、濡れるのを嫌って駅舎の中へ、つまりゴライアス号の方へと移動していく。
残されたのは、雨に打たれるオブシディアンと、レオナルド商会の社員たちだけ。
「会長……」
シルヴィが傘を差しかけようとするが、レオナルドはそれを手で制した。
冷たい雨が、彼の頬を伝う。
それは涙のように見えたが、彼の目は乾いていた。
極限の冷徹さが、感情を凍結させていたのだ。
「ハンス」
去り際、レオナルドは一度だけ振り返った。
バルバロスの横で縮こまっている元部下に向かって、静かに告げた。
「……その列車に乗るな」
「え……?」
「お前なら分かっているはずだ。……その設計図には、まだ解決していない『熱排気の問題』があったことを。それを解決しないまま出力だけ上げれば、どうなるかを」
ハンスの顔色が土気色になる。
彼は知っていた。
開発段階で、ボイラーの冷却機能に欠陥が見つかり、レオナルドたちが修正に苦戦していたことを。
ゴライアス号は、その欠陥を放置したまま、見た目だけをコピーして作られたのだ。
「縁起でもないことを言うな!」
バルバロスが唾を吐いた。
「負け惜しみは見苦しいぞ! ……さあ皆さん! 出発進行だ! ゴライアス号の初陣を飾ろうじゃないか!」
ポーォォォォォッ!!
ゴライアス号が動き出す。
歓声。拍手。
派手な音楽と共に、黄金の列車が駅を出て行く。
レオナルドが敷いたレールの上を、レオナルドの技術を盗んだ列車が、我が物顔で走っていく。
その光景を、アレクセイは拳から血が出るほど握りしめて見送った。
オブシディアンは動かない。
火の入っていない魔導エンジンは、冷たく沈黙している。
まるで、主人の敗北を嘆くかのように。
「……帰るぞ」
レオナルドは言った。
「会社へ戻る。……解散ではない。全員、開発ラボへ集合だ」
「会長……? まだ、やるんですか?」
若手社員が不安そうに問う。
金もない。線路もない。技術も盗まれた。
これ以上、何をどう戦うというのか。
レオナルドは、雨に濡れた髪をかき上げ、ニヤリと笑った。
それは、絶望の淵に立たされた者だけが見せる、凄絶な笑みだった。
「当たり前だ。……奴らはコピーしたつもりになっているが、一番大事なものを忘れている」
彼は、自分の胸を叩いた。
「『改善』だ。……俺たちの技術は、昨日より今日、今日より明日へと進化する。盗まれた図面は、もはや過去の遺物だ」
レオナルドの瞳に、青い炎が戻る。
「見せてやろう。……本物は、決して止まらないということを」
雨は激しさを増していた。
だが、その雨音に負けないほどの熱気が、男たちの背中から立ち上り始めていた。
泥沼からの再起。
それは、最も過酷で、最も熱い戦いの始まりだった。
翌日。
新聞の一面を飾ったのは、『ゴライアス号、華々しくデビュー』の見出しだった。
だが、その記事の片隅に、レオナルド商会の小さな広告が掲載されていたことに気づく者は少なかった。
『求む、挑戦者。……近日、重大発表あり』
短い一文。
それは、世界に向けた、そしてバルバロスに向けた、最後の宣戦布告だった。




