第4.5章 第4話:倍返しだ! 裏切り銀行への「債権回収(M&A)」
ノーム銀行・中央支店。
大理石で造られた重厚な支店長室には、不釣り合いなほど軽い、乾いた音が響いていた。
貧乏揺すりの音だ。
「……ま、まさか。そんな馬鹿な」
支店長のゴーンは、震える指で魔導通信機のニュース画面をスクロールしていた。
画面に映し出されているのは、ルメラ地方の復興の様子。
そして、かつて「悪魔」と罵られていた男――レオナルド商会会長が、英雄として称えられている映像だった。
「聖女が……負けた?」
ゴーンの顔から血の気が引いた。
一ヶ月前。
聖女エレナの人気が絶頂に達し、レオナルド商会の不買運動が起きた時、ゴーンは即座に決断した。
『レオナルド商会の口座を凍結しろ。融資はすべて引き揚げだ』
それは、銀行家として正しい判断のはずだった。
沈む船から逃げ出し、世論という勝ち馬に乗る。リスク管理の基本だ。
だが、賭けは外れた。
沈んだのは聖女の方で、レオナルドは不死鳥のように蘇った。
それどころか、魔界との独自ルートを開拓し、独占的な利益を上げているという噂まである。
「まずい……。非常にまずいぞ」
ゴーンは脂汗を拭った。
レオナルドは執念深い男だ。
資金が必要な時に梯子を外した我々を、許すはずがない。
もし彼が預金を全額引き出せば、この支店のキャッシュフローは崩壊する。
「し、謝罪だ! すぐにアポイントを取れ!」
彼は秘書に怒鳴り、最高級の菓子折りと、融資再開の提案書を鞄に詰め込んだ。
まだ間に合うはずだ。
彼は商人だ。
金利を下げて、媚びへつらえば、きっと機嫌を直してくれる。
そう自分に言い聞かせ、ゴーンは走り出した。
◇
神界デパート・最上階。
会長室の前で、ゴーンは一時間も待たされていた。
秘書のシルヴィからは「会長は多忙です」と冷たくあしらわれ、お茶の一杯も出ない。
通り過ぎる社員たちが、彼をゴミを見るような目で見ている。
針のむしろ。
だが、帰るわけにはいかない。
「……どうぞ。会長がお会いになります」
ようやく許可が出た。
ゴーンは強張った笑顔を作り、重厚な扉を開けた。
「やあ、レオナルド会長! お久しぶりです!」
彼は大袈裟に声を張り上げ、部屋に入った。
広い執務室。
その奥のデスクで、レオナルドは書類に目を通していた。
顔を上げない。
視線すら寄越さない。
「……あ、あの、本日は、先日の行き違いのお詫びに……」
ゴーンは菓子折りをデスクの端に置いた。
レオナルドの手が止まる。
彼はゆっくりと顔を上げ、氷のような瞳でゴーンを射抜いた。
「行き違い?」
静かな声だった。
怒鳴り声よりも遥かに恐ろしい、絶対零度の響き。
「あ、はい! 当行のシステムトラブルで、一時的に口座が……ハハッ、お恥ずかしい話で」
「システムトラブルか。随分と都合のいいシステムだな」
レオナルドはペンを置いた。
カチャリ、という音が、ゴーンの心臓を跳ねさせる。
「俺が石を投げられていた時、お前は言ったはずだ。『社会的信用がない企業には貸せない』とな。……あれは機械が勝手に喋ったのか?」
「そ、それは……その、上層部の判断というか、コンプライアンス的に……」
「言い訳はいい」
レオナルドは引き出しから一枚の紙を取り出し、デスクに放った。
それは、ノーム銀行がレオナルド商会に送った『融資打ち切り通知書』の写しだった。
あの日、ゴーンが得意げにハンコを押した書類だ。
「雨の日に傘を取り上げ、晴れたら返しに来る。……それがお前たちの商売か?」
「ご、誤解です! だからこそ、今日は新たな提案を! 金利は優遇します! 限度額も倍に……」
「いらんよ」
レオナルドは冷たく切り捨てた。
「金ならある。……お前たちが想像もつかないほどな」
彼は指を鳴らす。
秘書のシルヴィが進み出て、分厚い書類の束をゴーンの前に積み上げた。
ドサッ、と重い音がする。
「な、なんですか、これは」
「読んでみろ」
ゴーンは震える手で、一番上の書類を手に取った。
そこに書かれていた文字を見て、彼の呼吸が止まった。
『株式譲渡契約書』。
「ノーム銀行の株価は、ここ一ヶ月で暴落したな。……当然だ。英雄である俺を見捨て、聖女という泥船に乗ったんだからな」
レオナルドは淡々と語る。
「預金者は逃げ出し、株主はパニック売り。……紙屑同然になったおたくの株を、俺が買い集めておいてやったぞ」
「か、買い集めた……? ま、まさか……」
「51%だ」
レオナルドは、悪魔のように微笑んだ。
「過半数だ、ゴーン支店長。……つまり、今この瞬間から、俺がお前の『オーナー』だ」
ゴーンの膝から力が抜けた。
床に崩れ落ちる。
謝罪に来たつもりが、いつの間にか首輪をつけられていたのだ。
融資を再開するかどうかではない。
銀行そのものを、彼は飲み込んでしまったのだ。
「そ、そんな……乗っ取りだ! 違法だ!」
「合法的だよ。市場のルール通りにな」
レオナルドは椅子に深く腰掛け、ゴーンを見下ろした。
「お前は俺を裏切った。だが、俺は感情でビジネスはしない。……ノーム銀行の持つ『決済ネットワーク』と『地下金庫』。それらは俺の次の事業に必要だ」
次の事業?
ゴーンは呆然と見上げた。
この男は、銀行を手に入れて、まだ何かを始めるつもりなのか。
「あ、あの……私の、私の進退は……」
「ああ、そうだったな」
レオナルドは、ゴーンが持ってきた菓子折りを手に取った。
包装紙を破り、中身を確認する。
高級な饅頭だ。
「……味見は必要ないな」
彼は菓子折りを、そのままゴミ箱に放り込んだ。
ガシャッ。
「明日から、ルメラ支店へ行け」
「ル、ルメラ? あそこはまだ瓦礫の山じゃ……」
「そうだ。そこで一から出直せ。……泥にまみれて、労働者たちに頭を下げて、小銭を集めてこい。それが銀行家の本来の仕事だろ?」
「ひ、ひぃぃ……ッ!」
「嫌なら辞めてもいいぞ。……この業界で、俺に睨まれて生きていけるならな」
ゴーンは床に額を擦り付けた。
プライドも、地位も、すべて粉々に砕かれた。
彼は理解した。
目の前の男は、商人ではない。
金という武器を使って国すら支配する、現代の「魔王」なのだと。
「失礼します……ッ! 申し訳ありませんでしたァッ!!」
ゴーンは逃げるように部屋を出て行った。
彼の背中は、入室した時よりも一回り小さく、そして老け込んで見えた。
部屋に静寂が戻る。
レオナルドは、ゴミ箱の菓子折りを一瞥もしなかった。
「……汚い仕事ですね、会長」
シルヴィがポツリと漏らす。
レオナルドは書類に視線を戻しながら、独り言のように答えた。
「銀行は『財布』だ。……これから行く場所には、とびきりデカい財布が必要だからな」
彼は窓の外を見た。
夕暮れの空。
その遥か上空に、微かに輝く星々。
地上の敵はすべて平らげた。
資金も、技術も、人も揃った。
「準備はいいか、シルヴィ。……次は、重力すら経費で落とすぞ」
商人の目は、既に大気圏を突破していた。
裏切り者を踏み台にして、彼はまた一つ、高みへと登っていく。




