第4.5章 第3話:灼熱のデス・ロード ~オーク将軍の「意地」~
「警告。第三区画、温度上昇。摂氏八十五度を突破」
「冷却水圧、低下。ラジエーターが悲鳴を上げているぞ!」
赤く点滅する計器類。
唸りを上げる魔導エンジンの振動が、骨の髄まで響いてくる。
ここは地上の理屈が通用しない世界。
地下深度一万二千メートル。地殻とマントルの狭間に存在する、通称「地獄の回廊」だ。
「ガタガタ抜かすな! アクセルを床まで踏み抜けッ!!」
運転席で怒号を飛ばしたのは、オーク族の将軍ガルドだ。
彼は、岩のような筋肉でハンドルをねじ伏せていた。
彼が駆るのは、レオナルド重工製の特注車両『全地形対応型・魔導装甲トレーラー』。
全長二十メートル、総重量五十トン。
その背には、地上で飢える数千人の命を繋ぐための黒小麦が満載されている。
「ボスからの厳命だ! 『夜明けまでにルメラ広場へ届けろ』とな! 一秒たりとも遅れるわけにはいかねえんだよ!」
フロントガラスの向こうには、道などない。
あるのは、ドロドロと脈打つ紅蓮のマグマの川と、天井から突き出した鋭利な黒曜石の牙だけ。
タイヤが溶けるような焦げ臭さと、鼻をつく硫黄の臭いが、空調魔法の隙間から侵入してくる。
「ガルドさん! 二号車の右舷タイヤがバースト寸前です! このままじゃ横転します!」
通信機から、部下のドワーフの悲鳴が聞こえる。
「構わねえ! 横転したらウインチで引きずってでも連れて行く! 荷物は絶対に落とすな!」
ガルドは、ダッシュボードに置かれた一枚の羊皮紙を睨んだ。
『輸送契約書』。
依頼主、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
報酬、金貨五千枚。
そして特記事項には、『いかなる犠牲を払っても、商品とドライバーを無事に届けること』と記されている。
かつて、彼ら亜人は人間たちから「魔物」と呼ばれ、討伐の対象でしかなかった。
森の奥で泥水を啜り、人間を憎みながら生きてきた。
だが、あの男は違った。
レオナルドは、オークの怪力を「重機」と呼び、ドワーフの器用さを「精密工学」と呼んだ。
そして、人間と同じ給料と、最高の飯と、ふかふかのベッドを与えた。
『お前たちは豚じゃない。俺の商会が誇る、世界最高の物流部隊だ』
その言葉が、ガルドの魂に火をつけた。
俺たちは魔物じゃない。
プロの仕事人だ。
だったら、どんな地獄だろうが、納期通りに荷物を届けるのが流儀ってもんだろう。
「おい、前方! なんだありゃ!?」
突然、助手席のドワーフが指差した。
マグマの川が隆起し、巨大な影が立ち上がる。
溶岩を纏った、全長三十メートルはある火炎竜だった。
灼熱のブレスを吐き散らし、行く手を阻む古代の守護者。
「ゲッ、火炎竜かよ! ここは奴らの寝室か!」
「引き返しますか!? ルート変更を!」
「馬鹿野郎! バックギアなんて入れてる暇あるか! 正面突破だ!」
ガルドはシフトレバーを叩き込んだ。
エンジンの回転数がレッドゾーンを振り切る。
「総員、武装展開! 魔導砲、撃ち方用意! ……道がねえなら、こいつの死体を橋にするぞ!」
『了解!』
五十台の装甲トレーラーから、一斉に砲塔がせり出す。
青白いマナの光が充填される。
相手は神話級の怪物。
だが、こっちは「生活」と「意地」を背負ったトラック野郎だ。
「撃てェェェッ!!」
ズドドドドドッ!!
轟音。
閉鎖空間での砲撃は、鼓膜を破るほどの衝撃波を生む。
魔導弾が火炎竜の鱗を砕き、溶岩の飛沫がフロントガラスに降り注ぐ。
ワイパーが溶けたマグマを拭い去る。
「グオォォォッ!!」
竜が悲鳴を上げ、炎のブレスを吐く。
先頭車両の装甲板が赤熱し、塗装が焼け焦げる。
車内温度は瞬く間に百度を超えた。
「熱っちぃな畜生! だが、俺たちの情熱に比べりゃ涼しいもんだぜ!」
ガルドは叫び、さらにアクセルを踏み込んだ。
トレーラーが加速する。
物理的な質量弾となって、怯んだ竜の腹部へと突っ込む。
ドゴォォォォン!!
鋼鉄と怪物の激突。
衝撃でエアバッグが作動しそうになるのを、ガルドはナイフで切り裂いた。
視界を塞ぐな。前を見ろ。
竜がバランスを崩し、マグマの海へと沈んでいく。
その背中を、後続の車列が踏み越えていく。
「突破ァッ!!」
歓声が上がる暇もない。
ナビゲーターが絶叫する。
「現在深度、地下二千メートル! 地上まであと少しですが……岩盤が厚すぎます! 通常のドリルじゃ時間が足りません!」
時計を見る。
夜明けまであと十分。
地上のルメラ広場では、おそらく今頃、聖女の奇跡が切れ、暴動が始まっているはずだ。
遅れれば、顧客の計画が狂う。
餓死者が出る。
「通常出力でダメなら、リミッターを外せ!」
「はぁ!? エンジンが爆発しますよ!」
「爆発する前に地上に出ればいいんだよ! ……俺たちのドリルは、天をも貫く男のドリルだ! 岩盤ごときに負けてたまるか!」
ガルドは、コンソールの赤いカバーを殴り開け、『緊急出力』のボタンを拳で叩き潰した。
キュィィィィィィィン!!
エンジンの音が、重低音から甲高いジェット音へと変わる。
車体に取り付けられた超硬度ミスリルのドリルが、目にも止まらぬ速さで回転を始めた。
「うおおおおおおッ!! 行くぞ野郎ども! 歯ァ食いしばれ!」
車列は垂直に近い角度で、天井の岩盤へと突撃した。
ガガガガガガガガッ!!
凄まじい振動。
歯が砕けそうなほどの揺れ。
岩石が雨のように降り注ぎ、車体を削っていく。
「進め! 進め! 進めェェッ!!」
ガルドの目は血走っていた。
脳裏に浮かぶのは、地上で待っているボスに、「へい、お待ち」と言って納品書を渡す瞬間だけ。
そのためなら、エンジンの一つや二つ、くれてやる。
「温度危険域! 爆発まであと三十秒!」
「あと十メートル!」
「二十秒!」
「五メートル!」
「十秒!」
「ぶち抜けぇぇぇぇぇッ!!!」
ガルドの咆哮と同時に、視界が真っ白に染まった。
固い岩盤の感触が消え、車体がふわりと浮く。
ドオォォォォンッ!!
轟音と共に、装甲トレーラーは地上の空気を切り裂き、広場の中央へと躍り出た。
土煙。アスファルトの破片。
そして、硫黄とマグマの残り香。
ガルドは荒い息を吐きながら、サイドブレーキを引いた。
エンジンフードから白煙が噴き出し、ボロボロになった車体が軋みを上げる。
だが、止まった。
目的地、ルメラ広場の中央。
時間は、夜明けと同時。
完璧だ。
プシューッ……。
圧縮空気が抜け、ドアが開く。
流れ込んできたのは、地獄の熱波とは対照的な、キンと冷えた北国の朝の空気だった。
そして、呆然とこちらを見つめる数千人の人間の顔。
ガルドは、煤だらけの顔を袖で拭い、ニヤリと笑った。
怖がらせてしまったか?
まあいい。
俺たちは魔物じゃない。
希望を運ぶ、世界一のトラック野郎だ。
彼は拡声器を掴み、喉の調子を整えた。
第一声は、最高にクールで、そして商売人らしくなければならない。
『よう、腹ペコ共!! 餌の時間だぜぇぇぇッ!!』
その声は、地下の底から這い上がってきた者だけが持つ、圧倒的な生命力に満ちていた。




