第3話:謁見の間の決闘
王城、謁見の間。
かつて大陸の覇者が座したその場所は、今や墓場のように静まり返っていた。
足を踏み入れた瞬間、鼻をついたのはカビと埃、そして焦燥感という名の体臭だ。
窓は締め切られ、薄暗い空間に頼りない蝋燭の炎が揺れている。
「……面を上げよ」
玉座から響く声には、もはや往年の覇気はなかった。
国王アルマン七世。
かつて「賢王」と謳われた彼も、今や頬がこけ、目の下に深いクマを作った一人の老人に過ぎない。
その左右に控える大臣や将軍たちも同様だ。彼らの視線は、私の顔ではなく、私が連れている秘書シルヴィが抱える「書類の束」に釘付けになっていた。
私は玉座の前の赤い絨毯で立ち止まり、軽く一礼した。
跪きはしない。
今日の私は、臣下としてではなく、債権者としてここに立っているからだ。
「レオナルド商会代表、レオナルドです。陛下、お呼び出しと伺い参上いたしました」
「うむ。……単刀直入に言おう。我が国は今、危機に瀕している」
王の横から、宰相が一歩前に出た。彼は尊大な態度で、私の全身を値踏みするように見下ろした。
「レオナルド殿。貴殿の商会が保有する物資と資金を、全て国庫へ『寄付』していただきたい。これは国王陛下からの慈悲ある要請であり、貴殿にとっては名誉ある義務である」
出た。寄付。
強制徴収を美辞麗句でラッピングしただけの、国家公認の強盗宣言だ。
周囲の大臣たちが「そうだそうだ」「平民が王家に尽くすのは当然だ」とヒソヒソ囁き合うのが聞こえる。
私は表情筋一つ動かさずに答えた。
「なるほど。国家への貢献、素晴らしいことです」
私が肯定すると、王の顔に安堵の色が浮かんだ。
だが、その表情は次の瞬間、凍りつくことになる。
「ですがその前に、現状の『精算』をさせていただきたく」
私はシルヴィに合図を送った。
彼女は手際よく、分厚い羊皮紙の束を宰相に手渡した。
ズシリ、と重い音がするほどの厚みだ。
「な、なんだこれは?」
「請求書です」
私が告げると、宰相は怪訝な顔で書類をめくった。
一枚、また一枚。
めくるたびに、彼の手が震え出し、額から脂汗が噴き出す。
「直近三ヶ月、騎士団が各所のギルドからツケで購入した食料、武具、資材。および、未払いの傭兵報酬。さらに、勇者アレクセイ一行が私の商会名義で使い込んだ交際費と損害賠償金……。すべて私が一時的に『債権』として買い取りました」
私は一歩前に出た。
「その総額、金貨にして八百億枚。……陛下、この国の国家予算の約三年分にあたりますが、お支払いの目処は?」
静寂。
呼吸音すら消えたかのような、完全なる静寂が謁見の間を支配した。
八百億。
その数字の暴力に、大臣たちは口をパクパクと開閉させるだけで、声が出ない。
「ふ、ふざけるな……!」
沈黙を破ったのは、筋骨隆々とした大男、騎士団長だった。
彼は顔を真っ赤にして、腰の剣に手をかけた。
「貴様! 数字を改竄しているな!? 一介の商人が、そんな額を立て替えられるはずがない! これは国家への反逆だ!」
「改竄? 全て商業ギルドの認印付きですよ。疑うなら照会すればいい。もっとも、通信が繋がればの話ですが」
私は懐から、真っ赤なリンゴを取り出した。
軽く宙に放り、キャッチする。
「騎士団長。その剣で私を斬るのは簡単です。ですが、その前に一つ質問が」
「……なんだ!」
「あなたの部下たちは今、何を食べていますか?」
私はリンゴをかじった。
シャクッ、という瑞々しい音が、静まり返った大広間に響き渡る。
甘酸っぱい香りが広がる。
それだけで、空腹を抱えた大臣たちの何人かが、ゴクリと喉を鳴らしたのがわかった。
「私が死ねば、商会の物流システムはロックされます。王都の食料庫も、武器庫も、二度と開きません。私を斬るということは、明日からこのリンゴ一つすら手に入らなくなるということです」
「ぐ……っ」
騎士団長の動きが止まる。
彼は理解したのだ。目の前の男は、ただの商人ではない。この国の生命線そのものであると。
「……はっ、はははは!」
その時、乾いた笑い声が響いた。
玉座の上の王だった。
「陛下?」
「愉快だ。実に愉快な道化だ、レオナルド。商人が王を脅すとはな」
王の瞳から、怯えが消え、濁った殺意が浮かび上がっていた。
腐っても王。
彼は「ルール」で勝てないなら、「盤面」ごとひっくり返せばいいという、権力者の醜悪な論理に行き着いたのだ。
「騎士団長! 近衛兵! 何をしている、この無礼者を捕らえよ!」
「はッ!」
王の一声で、空気が変わった。
迷っていた騎士団長が、獰猛な笑みを浮かべて剣を抜き放つ。
周囲の扉が開き、重武装の近衛兵たちが雪崩れ込んできた。
出口が塞がれる。
「残念だったな、商人風情が。貴様の言う通り、物流を止めるシステムとやらは脅威だ。だが──」
騎士団長が切っ先を私の喉元に突きつける。
「そのシステムを解除する魔法鍵を、拷問で吐かせてしまえば問題ない。貴様が死ぬ前に、全てを白状させてやる」
「……なるほど。借金を踏み倒すだけでなく、債権者を拉致監禁ですか。それが一国の王のやることとは」
私はやれやれと首を振った。
シルヴィが身構えるが、私は手で制する。
「交渉決裂ですね。残念です」
「強がりを言うな! 跪け! 靴を舐めて命乞いをするなら、指一本くらいは残してやるぞ!」
騎士団長が剣を振り上げる。
大臣たちが嘲笑う。
これだ。これが彼らの本性だ。
法も契約も関係ない。暴力こそが正義だと信じている野蛮人たち。
だからこそ、叩き潰す甲斐がある。
「シルヴィ。時刻は?」
「予定通り、一四時〇〇分です、社長」
「よし。これより『特別回収プロトコル』を実行する」
私は指をパチン、と鳴らした。
その瞬間、世界がバグった。
「な、なんだ!?」
騎士団長の悲鳴。
彼が振り上げた剣が、光の粒子となって霧散したのだ。
いや、剣だけではない。
彼が身につけているミスリルの鎧、兜、そしてマント。
それらがシュウウゥゥ……と音を立てて、次々と消滅していく。
「う、うわあああっ!? 俺の装備が!?」
ガシャン、ドサッ!
武装を失った近衛兵たちが、次々とただの下着姿になって立ち尽くす。
ある者はパンツ一丁、ある者はふんどし姿。
威厳もへったくれもない、マヌケな裸の集団がそこにいた。
「な、何をした貴様ァ!」
「言ったはずです。装備品は全て、各ギルドからの『ツケ(未払い)』だと。支払いが履行されない場合、所有権は販売元に戻ります。私が今、遠隔操作で返品処理を行いました」
「ば、馬鹿な……!」
「ああ、それだけじゃありませんよ」
私は天井を指差した。
ズズズ……と重い音が響く。
豪華なシャンデリアが消えた。
壁のタペストリーが消えた。
床に敷かれたフカフカの赤い絨毯が、足元から高速で巻き取られて消えていく。
「ひぃっ!? 床が! 冷たい!」
大臣たちが慌てふためく。
石造りの冷たい床がむき出しになり、謁見の間は瞬く間に、廃墟のような寒々しい空間へと変貌した。
「そ、そして……陛下」
私は玉座の王を見上げた。
「な、なんじゃ……わしの王冠が……マントが……!」
王の頭上に輝いていた王冠。
背中の深紅のマント。
そして、座っていた黄金の玉座までもが、音もなく消滅した。
ドスンッ!
支えを失った王が、無様に尻餅をつく。
彼が着ていた豪奢な衣装も消え、残ったのは薄汚れた肌着一枚。
老人の痩せこけた肢体が晒される。
「あ、ああ……」
「王冠の地金代、マントの染色代、玉座の補修費。すべて未払いです。よって回収しました」
私は静まり返った廃墟──いや、元・謁見の間の中央に立った。
周囲にいるのは、パンツ一丁の男たちと、肌着姿の老人だけ。
スーツを着ている私だけが、この場の支配者だった。
「さて、アルマン元国王陛下」
私は冷たい石床にへたり込む老人を見下ろした。
「暴力で解決しようとした違約金として、城壁と土地も差し押さえ対象に追加されました。あと十分もすれば、この城の屋根も消えます。雨ざらしの王宮生活を楽しんでください」
「ま、待て……」
王が震える手を伸ばした。
その目に、もはや反抗の色はない。
あるのは、圧倒的な「力」への根源的な恐怖だけだ。
剣や魔法ではない。
「所有権」という、絶対的な理への敗北感。
「サインする……サインするから……頼む……」
王は地べたを這いずり、私の革靴にすがりついた。
「服を……威厳を返してくれ……このままでは、兵にも国民にも示しがつかん……」
「威厳とは、与えられるものではなく、支払うべき対価を払った者が纏うものです」
私はシルヴィから契約書を受け取り、王の前に放り投げた。
「ですが、私は商人です。契約さえ結べば、サービスは提供します」
「う、うう……」
王は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、震える手で羽ペンを握った。
インク壺はない。
彼は自らの指を噛み切り、血判を押すようにサインした。
『全権委任』。
その文字が血で刻まれた瞬間、私は満足げに頷いた。
「契約成立です。毎度あり」
再び指を鳴らす。
シュンッ、と音を立てて、王のパンツの上に、安物のローブが一枚だけ出現した。
王冠も玉座も戻らない。
最低限、凍死しない程度の布切れだ。
「え……こ、これだけか……?」
「現在の王家の信用ランク(クレジット)では、それが限界ですね。実績を積んでいただければ、ランクアップも可能です。……それでは」
私は踵を返した。
背後で、かつての権力者たちが、寒さと恥辱に震えながら身を寄せ合っている。
「社長、素晴らしい『強制執行』でした」
廊下に出たところで、シルヴィがうっとりとした顔で囁いた。
私はネクタイを少しだけ緩め、歩き出した。
「手荒な真似は好きじゃないんだがな。……さて、次は現場のアレクセイ君だ。彼には、この城の『消えた内装』を買い戻すための労働をしてもらわねば」
私の言葉に、シルヴィは鈴を転がすように笑った。
王城の廊下には、すでに私の会社のロゴが入ったポスターが貼られ始めていた。




