第4章 第5話:奇跡の空売り
「……それで、ボス。どうするつもり?」
闇に沈んだ会長室。
ソファで膝を抱えていたセレスティア(元魔王)が、気だるげに問いかけた。
彼女の赤い瞳だけが、暗闇の中で妖しく光っている。
「聖女のパンが『星の寿命』を削っていることはわかったわ。でも、それを公表したところで、誰が信じるの? 今や彼女は『生き神様』よ。対する貴方は『石打ち刑にされるべき悪魔』」
「ああ、言葉は届かないな」
私は、書き上げたばかりの羊皮紙をデスクに広げた。
「だから、言葉じゃなく『商品』で語る。……セレスティア、お前の故郷・魔界の『耐熱小麦』を買い占めろ」
「は? 魔界の小麦?」
セレスティアが眉をひそめる。
「あんなの、殻が硬くて不味いわよ? 下界の人間なんて、見向きもしないでしょう」
「今はな。……だが、一ヶ月後はどうだ?」
私は窓の外、北の空を指差した。
「聖女の『粉飾決算』は限界に近い。ルメラ地方の地脈は枯れかけている。……遠からず、パンの生成が止まる日が来る」
「……その時、畑も死んでいるから、普通の小麦も取れない」
「そうだ。飢餓が来るぞ。それも、未曾有の大飢饉だ」
私はニヤリと笑った。
それは、獲物を追い詰める捕食者の笑みではなく、嵐の中へ船を出す船長の、決死の覚悟の笑みだった。
「その時、世界で唯一、食料を持っているのが我々だとしたら? 背に腹は代えられない人間たちは、殻の硬い魔界小麦でも、涙を流して買うだろう」
「……なるほど。『空売り(ショート)』ね」
セレスティアが口元を歪めた。
彼女は元魔王だ。破滅の匂いには敏感だ。
「聖女のシステムが『破綻する』ほうに、全財産をベットするわけか。……性格悪いわねえ、相変わらず」
「商人の嗜みだ。……それに、これは『人助け』でもある」
「人助け?」
「聖女が倒れた瞬間、信者たちはパニックになり、暴徒化し、殺し合いを始めるだろう。……その時、誰かが泥をかぶってでも『食い物』を用意しておいてやらなきゃ、あいつらは本当に全滅する」
私は、アレクセイの顔を思い浮かべていた。
あいつが飢え死にするのは見たくない。
たとえ憎まれても、生かしておくのが上司の務めだ。
「いいでしょう。乗ったわ」
セレスティアが立ち上がる。
その背中から、漆黒の翼がバサリと展開された。
「魔界へのゲートを開くわ。……ただし、問題が一つある」
「なんだ?」
「『聖女の結界』よ。彼女の支配領域である北大陸全土には、強力な『聖なる結界』が張られている。魔族や、邪悪な魔力を帯びた物資は、入った瞬間に浄化(焼却)されるわ」
「……物流封鎖か」
私は舌打ちした。
魔界で小麦を確保しても、それを飢えているルメラ地方へ運び込めなければ意味がない。
正規ルートは検問で止められる。転移ゲートも封じられている。
「抜け道はないのか?」
「空も陸もダメ。……通れるとしたら、『地下』深くの、地脈よりもさらに下層……マグマ溜まりスレスレの『地獄の回廊』くらいね」
「地獄の回廊……」
その時、会長室のドアが乱暴に開かれた。
「呼んだか! 会長!」
入ってきたのは、物流部門の責任者、オーク族のガルドだった。
彼は鼻息を荒くして、太い腕まくりをした。
「話は聞いたぜ! 魔界から密輸ルートを開拓するんだろ? 俺たちオークとドワーフの出番じゃねえか!」
「ガルド……。だが、相手はマグマの側だぞ。トラックは走れない」
「へっ、ナメんじゃねえ! 俺たちが作った『全地形対応型・魔導装甲車』がありまさぁ!」
ガルドが親指を立てる。
「それに、俺たち亜人は『聖女様』のお高くとまった結界が大嫌いでね。……清らかすぎて、肌に合わねえんだよ。ここらで一発、泥臭い商人の底力を見せてやろうぜ!」
役者は揃った。
資金は底をつきかけている。
信用はマイナス。
世間からは悪魔扱い。
だが、ここには「世界を救うための密輸」を企てる、最高にクレイジーなプロフェッショナルたちがいる。
「……よし、作戦開始だ」
私は号令をかけた。
「セレスティアは魔界で小麦を買い占めろ。値段は言い値でいい、ありったけだ。ガルドは地下ルートを掘削し、輸送路を確保しろ。……誰にも気づかれるなよ。我々は『悪の密輸団』として動くんだ」
「了解!」
「御意!」
二人が部屋を出て行く。
残された私は、再びデスクに向かい、一枚の新しい計画書を書き始めた。
タイトルは『ルメラ地方・復興支援計画(極秘)』。
「待ってろよ、エレナ。……お前の奇跡が尽きた時、俺が『現実』という名のパンを焼いてやる」
窓の外、東の空が白み始めていた。
それは、聖女の支配する「偽りの楽園」の終わりの始まりであり、商人が仕掛ける「最後の大博打」の夜明けだった。




