第4章 第4話:凍てつく大地と、聖女
深夜の神界デパート・会長室。
暖炉の火は消え、部屋は凍えるように寒かった。
だが、その寒さは気温のせいではない。
窓の外、かつて不夜城のように輝いていたデパートの敷地は、暴徒による投石と放火を避けるため、全ての明かりを落とし、死んだように静まり返っていた。
「……会長。コーヒーです」
闇の中で、秘書のシルヴィがカップを置く。
アレクセイが去り、アストライアが沈黙し、残ったのは彼女だけだ。
有能な元魔法使いは、沈没寸前の船で、淡々と業務を続けている。
「すまんな。……辞めたければ、いつでも言ってくれ」
「計算高い私を侮らないでください。今辞めたら、私の退職金は紙屑です。……会社を立て直して、満額回収するまでは逃げませんよ」
彼女の軽口に、私は力なく口角を上げた。
そして再び、デスクの上に並べた「証拠品」に目を落とす。
そこにあるのは、密かに入手した『聖女のパン』と、ルメラ地方から取り寄せた『一掴みの土』だ。
「……計算が、合わないんだ」
私は、虫眼鏡でパンの断面を覗き込みながら呟いた。
「どうしました? まだ『無限生成のトリック』が解けませんか?」
「ああ。物理法則として異常だ。パン一個……およそ300キロカロリー。これを質量保存の法則を無視して生成する場合、必要な魔力コストは膨大だ」
私は羊皮紙に数式を書き殴る。
「エレナは毎日、数万人にこれを配っている。彼女個人の魔力タンクなど、初日の数時間で空になるはずだ。……なのに、彼女は一ヶ月も配り続けている」
「信者たちは『神の奇跡』だと言っていますが」
「神はあそこにいるだろ。あれは神の力じゃない」
私は部屋の隅で膝を抱えている元女神を一瞥し、そして『土』のサンプルを手に取った。
ルメラ地方の畑の土だ。
かつては黒くて肥沃だった土が、今は白く乾き、ボロボロに崩れる砂になっていた。
「……シルヴィ。お前、魔法使いとして、このパンと土を『鑑定』してくれ」
「鑑定、ですか?」
「ああ。魔力の『質』を見るんだ。……どこから来た魔力なのか」
シルヴィはおずおずと手をかざし、目を閉じた。
数秒後。
彼女の顔色が、青ざめるのを通り越して真っ白になった。
「っ……!?」
彼女はバッと手を引っ込めた。
「な、何ですか、これ……! このパンに含まれている魔力……『古い』です」
「古い?」
「はい。昨日今日、大気から集めた魔素じゃありません。……何百年、いや何千年も前から、地層の奥底で眠っていたような、重くて冷たい魔力です」
「……やっぱりか」
私は戦慄と共に、仮説が確信に変わるのを感じた。
「ビンゴだ。彼女は『無償』でパンを作っているんじゃない」
私は乾いた砂のような土を、指で磨り潰した。
「彼女は、大地そのものの生命力を強制的に吸い上げ、パンに変換しているんだ」
「えっ……? そ、それって……」
「『星の寿命』を食ってるんだよ。あいつらは」
謎は解けた。
ルメラ地方で観測されている異常な冷え込み。作物の不作。井戸の枯渇。
それらは全て、聖女が「地脈」という星の血管から、エネルギーを搾り取った結果だ。
「タダより高いものはない。……彼女のやっていることは『粉飾決算』だ」
私は怒りで声を震わせた。
「未来の自分たちが使うはずだった資源(資産)を、勝手に切り崩し、現在の利益に見せかけて計上している。……これを続ければどうなる? 数ヶ月後には、ルメラ地方は草一本生えない死の大地になるぞ」
「そ、そんな……! 住民たちは気づいていないのですか!?」
「気づくわけがない。目の前の『タダ飯』に夢中で、足元が崩れていることに気づかない。……アレクセイも、母親もな」
許せない。
商人として、「不当廉売」で負けるならまだしも、こんなデタラメな「会計操作」で敗北など認められない。
これは善意ではない。
無知という名の、最も悪質な「横領」だ。
「……見えたぞ、シルヴィ」
私は立ち上がった。
暗闇の中で、私の目だけが、獲物を見つけた獣のように光った。
「敵の『弱点(簿外債務)』が見えた。……彼女の奇跡は、無限じゃない。大地が枯れれば終わる、自転車操業だ」
「で、ですが会長。それを公表しても、誰も信じませんよ? 『悪魔のデマ』だと言われて終わりです」
「ああ、言葉じゃ信じないだろうな。……だから、見せてやるんだ」
私は引き出しから、新しい羊皮紙を取り出した。
書くのは「反省文」でも「降伏文書」でもない。
レオナルド商会・全精力をかけた『再建計画書』だ。
「準備だ、シルヴィ。……あの聖女に、『監査』を入れてやる」
「監査、ですか?」
「そうだ。彼女が隠している『未払い請求書』を、白日の下に晒してやる。……アレクセイが泣いて戻ってくる準備をしておかないとな」
窓の外では、まだ暴徒たちの叫び声が聞こえる。
だが、もう恐れることはない。
理屈の通じない怪物だと思っていた相手は、実はただの「経営破綻寸前の自転車操業」だったのだから。
商人の目は死んでいない。
私は羊皮紙に、反撃の最初の一手を書き込んだ。




