第2話:国王からの赤紙
王都の中心街にそびえる『レオナルド商会』本社ビル、最上階。
執務室の空調は、常に最適な温度と湿度に保たれている。
床には足音が吸い込まれるほどの分厚い絨毯が敷かれ、壁一面のガラス窓からは、眼下に広がる王都の街並みが一望できた。
「社長、本日の紅茶は『ダージリン・ファーストフラッシュ』です。東方の島国から独自ルートで仕入れました」
秘書のシルヴィが、湯気の立つ白磁のカップを音もなくデスクに置く。
琥珀色の液体から、花のような香気が立ち上る。
私は書類から目を離し、カップを手に取った。
「……悪くない。香りが若いな」
「はい。今の王都で、この茶葉を楽しめるのは国王陛下と、社長くらいかと」
「陛下は無理だろう。王室の財政状況じゃ、茶葉どころか白湯をすするのが関の山だ」
軽い冗談のつもりだったが、シルヴィは真顔で「確かに」と頷いた。
平和だ。
泥にまみれてポーションを詰め替えていたあの日々が嘘のように、今の私には「選択する自由」がある。
飲む茶葉を選び、座る椅子を選び、そして付き合う人間を選べる。
だが、そんな優雅な時間は、無粋な訪問者によって唐突に破られた。
バンッ!!
ノックもなしに、重厚なマホガニーの扉が乱暴に開け放たれたのだ。
「おい! レオナルドとかいう商人はどこだ!」
怒鳴り込んできたのは、王国騎士団の紋章が入ったマントを羽織る男だった。
年の頃は四十代半ば。恰幅の良い腹と、手入れされていない無精髭。
足元の革ブーツは泥だらけで、私がこだわって選んだ絨毯に汚い足跡を刻んでいく。
シルヴィが眉をひそめ、冷ややかな声で遮った。
「失礼ですが、アポイントメントは? ここは社長室です。関係者以外の立ち入りは──」
「うるさい! たかが亜人風情が、騎士に向かって口を利くな!」
男はシルヴィを突き飛ばそうとした。
瞬間、私はデスクの引き出しから一枚のカードを取り出し、魔力を込めた。
『空間固定』。
男の腕が、見えない壁に阻まれたように空中で止まる。
「……私の秘書に指一本でも触れてみろ。その腕、二度と剣を握れないようにへし折るぞ」
私はカップを置き、ゆっくりと立ち上がった。
男は私の殺気に一瞬怯んだが、すぐに虚勢を張って鼻を鳴らした。
「ふん、元冒険者崩れが……。私は王宮騎士団、第三連隊長補佐のバロンだ。貴様に王命を伝えに来てやったのだ。光栄に思え」
「王命?」
「そうだ。これを見ろ!」
バロンは懐から、赤い封蝋がされた羊皮紙を取り出し、私のデスクに叩きつけた。
書類の上で紅茶のしずくが跳ねる。
私はため息をつきながら、ハンカチでデスクを拭った。
「……汚いな。で、これはなんだ」
「『国家総動員法』に基づく、徴用令状だ」
その言葉に、私は思わず失笑しそうになった。
徴用令。
要するに、「国が大変だから、国民は財産と労働力を無償で提供しろ」という、国家公認の強盗予告だ。
「貴様には、直ちに『補給部隊長』として前線へ赴いてもらう。北のガラディア砦が危機的状況なのは知っているな? 貴様のその小賢しい収納スキルとやらで、物資を運べ」
バロンは私の鼻先で指を振った。
「もちろん、報酬はないぞ。これは『名誉ある義務』だからな。ああ、それと、貴様の商会にある在庫……ポーションと食料も、全て軍が接収する。国難なのだ、喜んで差し出せ」
(……なるほど。これが沈みゆく船の末路か)
私は呆れを通り越して、憐れみすら覚えた。
彼らは何もわかっていない。
私がなぜ、ここまで商会を大きくできたのか。
それは「信用」と「契約」を絶対視してきたからだ。
それを、彼らは「権威」というカビの生えた看板一つで踏み倒そうとしている。
「断る」
私は短く告げた。
バロンの目が点になる。
「……は? き、貴様、正気か? これは国王陛下の命令だぞ!? 拒否すれば反逆罪で即刻処刑──」
「処刑? やってみればいい」
私はデスクの上の魔導通信機を指差した。
「この通信機は、大陸中の商業ギルド、そして傭兵組合と常時接続されている。もし私が『王国の不当な圧力で拘束された』と発信すれば、どうなると思う?」
「な、なんだと……?」
「一分後には、王都への食料搬入が全てストップする。穀物、肉、野菜、塩。全ての商人がボイコットを開始する契約になっているからな。明日には王都のパン屋から小麦粉が消え、明後日には暴動が起きるだろう」
私はバロンに近づき、冷たい瞳で見下ろした。
「私が物流を握っているというのは、そういうことだ。お前たちの剣で私一人を殺すことはできても、その代償として国が餓死する」
バロンの顔から血の気が引いていく。
脂汗が滲み、口元がわなわなと震えている。
彼はただの武官だ。経済という見えない武器の恐ろしさを、今初めて肌で感じているのだろう。
「そ、そんな……まさか……」
「わかったら帰れ。絨毯のクリーニング代は後で請求する」
私はデスクに戻ろうとした。
だが、その時。
ふと、ある考えが脳裏をよぎった。
待てよ。
国がここまで追い詰められているということは、逆に言えば、今は『買い叩き』の絶好のチャンスではないか?
暴落した株を底値で買う。
経営者の基本だ。
腐りきった王国など価値はないが、その『土地』と『権限』には利用価値がある。
私は足を止めた。
振り返り、震えるバロンに向かって、営業用の笑みを浮かべる。
「……いや、訂正しよう。招待は受けようか」
「え……?」
「ただし、『徴用』されるわけではない。一人の事業者として、国王陛下と『商談』をしに行く」
私はシルヴィに向かって指を鳴らした。
優秀な彼女は、私の意図を瞬時に理解し、分厚いファイルを取り出した。
「シルヴィ、例の『対国家支援事業計画書』……通称『王国のっとりプラン』を持ってこい。あと、最高額の見積書もな」
「はい、社長。違約金条項をマシマシにしておきました」
「素晴らしい」
私は赤い令状を指先でつまみ上げ、バロンの胸ポケットにねじ込んだ。
「案内しろ。陛下に伝えておけ。『救世主が来てやるから、王座を磨いて待っていろ』とな」
バロンはパクパクと口を開閉させていたが、私の圧倒的な圧に押され、よろよろと後退った。
彼には見えているだろうか。
これから始まるのが、剣と魔法の戦争ではなく、もっと残酷で血の通わない『経済戦争』だということが。
私はジャケットを羽織る。
香りの良い紅茶を一口飲み干し、戦場へと向かう足を踏み出した。




