第3章 第4話:神殺しのハッキング
「……準備はいいか」
私の声は、地下の冷たい空気に吸い込まれるように低く響いた。
場所は『忘却の墓場』の最深部。
周囲には、数百本ものガラス瓶が並べられている。
中身は、あの地下カジノで神々から巻き上げた『神気』――黄金色に輝く、純度100%の神の生命エネルギーだ。
暗闇の中でそれらが放つ光は、美しくも、どこか毒々しい。
「システム接続、バイパス構築完了。……いつでもいけます、会長」
シルヴィが膝をつき、地面に描かれた複雑な魔方陣に手を触れている。
彼女の顔色は紙のように白い。
神界のシステムに干渉するための演算処理は、彼女の脳に焼き鏝を当てるごとき負荷をかけているはずだ。
「出力調整、臨界点まで固定。……これ以上は、私の体が持たないわよ」
セレスティアが、両手に集めた神気を凝縮させながら唸る。
元魔王である彼女ですら、この膨大なエネルギーを制御するのは命懸けだ。
その肌には血管が青く浮き上がり、玉のような汗が滴り落ちている。
私は、中央に鎮座する「解析機」――ガラクタの神器を組み合わせて作った、不格好な端末の前に立った。
狙うのは、私の魂の深層にかけられた『凍結』だ。
秩序の女神アストライアは、私の『アイテムボックス』を「理に反する」として封印した。
ならば、その理ごと「欲望」という熱量で焼き切るしかない。
「始めるぞ。……作戦名『強制執行』」
私が端末に手を叩きつけた瞬間。
ズズズズズズッ……!!
空間が悲鳴を上げた。
数百本のボトルが一斉に砕け散り、黄金の奔流となって魔法陣に吸い込まれていく。
『警告。警告。不正なアクセスを検知』
脳内に、あのアストライアの声に似たシステム音が響く。
拒絶反応。
全身の骨がきしむような圧力が私を襲う。
「ぐぅぅ……ッ!」
「会長! 意識を保ってください! ここで気絶したら、脳が焼き切れます!」
シルヴィが叫ぶ。彼女の鼻から、ツーと一筋の血が流れた。
演算負荷が限界を超えているのだ。
『排除します。排除します。権限がありません』
システム音が、不快な高音に変わる。
目の前に、白い光の壁が現れた。
神のファイアウォール。
「秩序」という名の、絶対的な拒絶の壁。
「権限がない……だと?」
私は歯を食いしばり、血の味を噛み締めながら笑った。
「ふざけるな……! 俺は商人だぞ……!」
商人が、自分の倉庫を開けるのに、誰の許可がいるというんだ。
俺が稼いだ金だ。俺が集めた物資だ。
それを「ルール違反」の一言で没収だと?
そんな理不尽な商法が、まかり通ってたまらせるか。
「セレスティア! 全エネルギーを注ぎ込め! 『欲望』の重さを思い知らせてやれ!」
「言われなくてもッ!!」
セレスティアが絶叫し、魔力を炸裂させる。
カジノで渦巻いていた、神々のドロドロとした欲望。
「勝ちたい」「取り戻したい」「生を実感したい」。
その汚く、粘り気のあるエネルギーが、白い光の壁に衝突する。
バチバチバチバチッ!!
光と闇が拮抗し、火花が散る。
白い壁に、黒い亀裂が入っていく。
『エラー。エラー。論理矛盾が発生。秩序係数が低下しています』
「まだだ……まだ足りない……!」
壁は砕けない。
さすがは最高神の施した封印だ。
あと一押し。
何か、決定的な「鍵」が必要だ。
私は懐から、一枚のコインを取り出した。
それは、かつて人間界で最初に稼いだ、ボロボロの銅貨。
神界では価値ゼロと言われた、ただの金属片。
だが、私にとっては違う。
これには、私の「初心」が詰まっている。
泥水をすすり、這いつくばってでも生き残ろうとした、あの日の渇望。
「女神よ、お前は言ったな。『欲望は不純物だ』と」
私はその銅貨を、端末の核へと押し込んだ。
「その通りだ! だからこそ、不純物は混ざり合い、化学反応を起こし、爆発的な力を生むんだよ!」
私の魂の底にある、底なしの強欲。
世界中のすべてを値踏みし、手に入れ、支配したいという、業のごとき渇き。
それが、銅貨を触媒にして、システムへと流し込まれる。
『警告、警告、けいこく……計測不能……未知のエネルギー……』
システム音がバグり始めた。
白い壁が、どす黒く変色していく。
「開けろォォォォッ!!」
私が叫び、端末を殴りつけた、その瞬間。
パリーンッ!!
世界が割れる音がした。
白い壁が粉々に砕け散り、目映い光が溢れ出す。
『……認証、完了。管理者権限を、レオナルド・ダ・ヴィンチに仮譲渡します』
静寂。
巻き起こっていた風が止み、光の粒子が雪のように降り注ぐ。
シルヴィが崩れ落ちる。セレスティアが肩で息をする。
そして、私は。
「……はっ、はは……」
私は虚空に手を伸ばした。
そこには、見慣れた「空間の裂け目」が開いていた。
暗く、深く、そして無限に広がる私の倉庫。
「おかえり。……待ちくたびれたぞ」
私は裂け目に手を突っ込んだ。
指先に触れる、冷たい金属の感触。
懐かしい。
私の血肉、私の魂、私の力のすべてが、そこにあった。
「会長……成功、ですね」
シルヴィが血を拭いながら、弱々しく微笑む。
「ああ。これでもう、俺たちは無力な難民じゃない」
私はアイテムボックスから、一本のボトルを取り出した。
最高級回復薬。
まずはこれを部下たちに飲ませ、労わねばならない。
だが、その次に私が取り出したのは、ポーションではない。
一着の、真新しい「スーツ」だ。
ボロボロの服を脱ぎ捨て、袖を通す。
ネクタイを締め、革靴を履く。
泥だらけの敗残兵から、世界を統べる支配者へ。
その変身こそが、反撃の狼煙だ。
「さあ、行こうか」
私はカフスボタンを留め、遥か頭上の「上界」を見上げた。
その瞳には、もはや絶望の色はない。
あるのは、獲物を前にした肉食獣の、冷徹な光だけだ。
「アストライア。……お前の作った『綺麗な世界』を、俺の商品で埋め尽くしてやる」
神殺しの準備は整った。
次は、この地下経済の熱狂を、上界へと伝染させる番だ。




