第3章 第1話:神界への殴り込み
世界を統べる方法は二つある。
一つは、剣と魔法による暴力的な支配。
もう一つは、金と流通による経済的な支配。
前者は旧時代の野蛮な手法であり、後者は私が確立した新時代の秩序だ。
人間界の国家を飲み込み、魔界の軍勢すらもM&A(合併・買収)によって我が社の傘下に収めた今、地平線の果てまで私の「商圏」は広がっていた。
だが、商人の欲望とは業が深い。
地図の余白が埋まれば、次は地図の外側へ手を伸ばしたくなる。
「……ここが、神界か」
私の革靴が、硬質な音を立ててその大地を踏みしめた。
そこは、色を剥奪された世界だった。
空には太陽がない。代わりに、空全体が均一な乳白色の光を放っており、影という概念が存在しなかった。
足元に広がるのは、継ぎ目一つない白亜の回廊。
埃一つ、塵一つ落ちていない。
清潔、というレベルを超越している。そこには「生命の営み」が排出する一切の不浄が許されていないのだ。
「会長……空気が、薄いですわ」
背後で、セレスティアが呼吸を荒げている。
彼女の額には脂汗が滲み、その表情は強張っていた。
元魔王である彼女の本能が、この空間を「絶対的な天敵」として拒絶しているのだ。
「気圧の問題じゃない。……『重圧』だ」
シルヴィもまた、青ざめた顔でタブレット端末を握りしめていた。
彼女の指先が小刻みに震えている。
無理もない。
この空間には、質量を持った「静寂」が満ちている。
呼吸音すら吸い込まれるような完全なる無音。それは、我々のような“不完全な生命体”を圧死させんばかりの威圧感を放っていた。
だが、私は震える膝を意志の力で抑え込み、口角を吊り上げた。
恐怖?
違う、これは武者震いだ。
目の前に広がっているのは、未だ誰も足を踏み入れたことのない、手つかずの巨大市場。
ここを切り拓けば、レオナルド商会は文字通り「神をも恐れぬ」企業となる。
「行くぞ。顧客が待っている」
私はジャケットの襟を正し、白亜の回廊を歩き出した。
カツ、カツ、カツ。
足音だけが虚しく響く。
やがて、前方に巨大な広場が現れた。
その中心に、彼らはいた。
「…………」
神々だ。
人間のような姿をしているが、決定的に何かが違う。
黄金比で構成された完璧な肉体。
陶器のように滑らかな肌。
そして、ガラス玉のように透き通った瞳。
彼らは広場に佇み、何もしていなかった。
会話をするでもなく、食事をするでもなく、ただ彫像のように虚空を見つめている。
数千、数万年もの間、そうしているかのように。
「(……なるほど。これが『永遠の退屈』というやつか)」
私は心の中でガッツポーズをした。
退屈。それは商売において最大のチャンスだ。
刺激に飢えた彼らに、私が持ち込んだ「至高の娯楽」と「美食」を提供すれば、彼らは狂ったように飛びつくはずだ。
神々の財布の紐が緩む音が、幻聴となって聞こえてくるようだ。
私は深呼吸をし、営業用の完璧なスマイルを張り付けた。
「お初にお目にかかります! 神界の皆様!」
私の声が、静寂を切り裂いた。
数人の神が、ゆっくりと――まるで錆びついた機械のように――首を回してこちらを見た。
「私は下界より参りました商人、レオナルドと申します! 本日は皆様に、退屈な永遠を彩る『素晴らしい提案』をお持ちしました!」
反応は鈍い。だが、注目は集めた。
私は畳み掛けるように、シルヴィに合図を送る。
「まずは、弊社自慢の『最高級エリクサー漬け・ドラゴンステーキ』をご試食ください! 一口食べれば、脳髄が痺れるほどの旨味が……」
シルヴィが震える手でワゴンを開け、真空パックされたステーキ肉を取り出す。
同時に、セレスティアが魔力を込めて「香り」を拡散させる。
下界であれば、この匂いだけで暴動が起きるほどの暴力的な「食欲の塊」だ。
だが。
神々の瞳には、何の色も浮かばなかった。
食欲も、好奇心も、嫌悪感すらもない。
ただ、路傍の石ころを見るような、無機質な視線。
「……?」
私の背中を、冷たい汗が伝う。
おかしい。
なぜ反応しない?
これは魔王軍5万人を陥落させ、各国の王族が土下座して求めた最高傑作だぞ?
「あ、あの……もしやお口に合いませんか? でしたら、こちらの『魔導エンターテインメント・ゲーム機』はいかがでしょう! 没入感100%の仮想現実で……」
私は焦りながら、次々と商品を取り出した。
極上の酒。
美しい宝石。
最新の魔導具。
だが、神々は誰も手を伸ばさない。
それどころか、一人の神が、私が差し出した最高級ワインのボトルを、邪魔な枝でも払うかのように無造作に弾いた。
ガシャンッ!!
乾いた音が響き、赤い液体が白亜の床に広がる。
それはまるで、血痕のように見えた。
「不要だ」
初めて、神が口を開いた。
その声には抑揚がなく、まるで自動音声のようだった。
「我らは満たされている。空腹も、渇きも、退屈もない。故に、貴様らの持ち込んだ『不純物』は必要ない」
「ふ、不純物……だと……?」
「欲望とは、欠落の証明。我らは完全なる存在。欠落などない」
神々は興味を失い、再び虚空を見つめ始めた。
無視。
拒絶よりも残酷な、完全なる無関心。
私の「商売」が、その前提となる「需要」ごと否定された瞬間だった。
「……待て。待ってくれ!」
私は叫んだ。
このまま引き下がれるか。
私はレオナルドだ。世界を牛耳った男だ。
ここで認めさせなければ、私のアイデンティティが死ぬ。
「金ならある! この世界の通行料か!? いくらだ!? 1000億か!? 1兆か!?」
私は狂ったように『アイテムボックス』を発動させようとした。
中にある莫大な金貨の山を見せつければ、彼らも考えを変えるはずだ。
金こそが絶対の共通言語なのだから。
「出ろ! アイテムボックス、展開ッ!」
私は空間に手を突き入れた。
だが。
『――不正なアクセスを検知しました』
脳内に、無機質なシステム音が響いた。
「……は?」
『当該スキル【アイテムボックス】は、世界の理を逸脱したバグ・コードと認定されました。セキュリティ・プロトコルに基づき、凍結《BAN》します』
ブツンッ。
何かが切れる音がした。
次の瞬間、私の手は、何もない空をつかんでいた。
「な……んだ……これ……?」
開かない。
私の全財産が。
数多の商品が。
築き上げてきた富のすべてが詰まった、あの無限の空間が開かない。
「騒がしいな、下界のネズミは」
頭上から、圧倒的な「圧」が降ってきた。
重力が増したかのように、私の膝が地面に打ち付けられる。
ガアンッ!
激痛が走るが、顔を上げることすらできない。
視界の端に、黄金の翼が見えた。
目隠しをした、長身の女神。
その手には、巨大な天秤が握られている。
「私は秩序の女神、アストライア。……商人レオナルド。貴様の存在は、この清浄なる世界にとって『エラー』である」
女神の声は、氷の刃のように私の鼓膜を突き刺した。
「貴様は『欲望』という名のウイルスを撒き散らす汚物だ。貴様の持つ小賢しいスキルも、薄汚れた金貨も、ここでは何の意味も持たない」
「か、返せ……俺の……俺の金を……!」
私は地べたを這いずり、女神の足元に縋り付こうとした。
だが、見えない壁に弾かれ、無様に転がる。
「スキル凍結。資産没収。および、下層区画への強制退去を執行する」
女神が天秤を傾けた。
その瞬間、私の足元の床が消失した。
「え?」
「会長ーッ!!」
「レオッ!!」
セレスティアとシルヴィの悲鳴が遠ざかる。
私たちは真っ逆さまに落下していた。
白亜の美しい回廊から、底の見えない暗黒の淵へ。
風切り音の中で、私は呆然と上空を見上げていた。
遠ざかる女神が、ゴミを見るような目で見下ろしている。
(負けた……?)
手も足も出ずに?
商談すらさせてもらえずに?
ただの「異物」として処理されて?
「あ……あああああッ……!」
絶望が、遅れてやってきた。
私の喉から、言葉にならない叫びが漏れる。
落下していく。
栄光の頂点から、何も持たない無一文の地獄へ。
所持金ゼロ。
スキルなし。
あるのは、ボロボロになったプライドと、二人の部下だけ。
暗闇に飲み込まれる直前、私は理解した。
これは「商売」ではない。
これは「生存競争」だ。
神殺しの戦いは、最低最悪の敗北から幕を開けた。




