第2.5章 第2話:余の新しい城は、家賃銅貨50枚のワンルーム(風呂なし)じゃ
「……背中が痛い」
目が覚めた瞬間の第一声がそれだった。
目を開けると、そこは天蓋付きのベッドの中ではない。
シミだらけの天井が、手を伸ばせば届きそうな距離にある。
ここは王都の下町、裏通りにある木造アパート『ひだまり荘』の一室だ。
広さは四畳半。風呂なし。トイレ共同。
家賃は月額、銅貨50枚(約5000円)。
これが、かつて「賢王」と呼ばれた余、アルマン7世の新しい城である。
「やれやれ……水も自分で汲まねばならんのか」
余はギシギシと鳴る万年床から起き上がり、共同井戸へと向かった。
以前なら、手を叩けば侍女が銀の洗面器を持って飛んできたものだ。
だが今は、寝癖のついた頭で、欠けた柄杓を使って顔を洗う。
水は冷たく、肌を刺す。
だが不思議と、その冷たさが「生きている」という実感を余に与えていた。
レオナルド商会によって国を「買収」されてから、1ヶ月が過ぎた。
余たち王族と貴族は、城を追い出され、平民としての生活を強いられている。
最初のうちは屈辱で死ぬかと思った。
だが、人間というのは恐ろしいもので、慣れるのだ。
「さて、仕事に行くか」
余はよれよれの作業着に袖を通した。
現在の余の職業は、レオナルド商会・倉庫部門の『仕分け係』だ。
読み書きができることと、かつて国政で培った(無駄に細かい)チェック能力が買われたらしい。
◇
「おいじいさん! そっちの箱は『易損品』だ! もっと丁寧に扱え!」
「す、すまぬ。目が少々霞んでの……」
「言い訳すんな! 給料分は働けよ!」
若造の現場監督に怒鳴られながら、余は黙々とポーション瓶の検品を続けた。
かつて余に跪いていた民たちが、今は上司として余を顎で使っている。
最初は腹が立った。
「余を誰だと思っている」と言いかけたこともあった。
だが、彼らは余が「元国王」だと知った上で、手加減なしに怒鳴ってくる。
そこには忖度も、おべっかもない。
ただ「仕事ができるか、できないか」だけの、対等な関係があった。
(……意外と、悪くない気分じゃ)
王宮にいた頃、余の周りにいたのは、甘い言葉を囁くハイエナばかりだった。
「陛下は素晴らしい」「国の借金など問題ありませぬ」
そんな嘘に塗れ、余は裸の王様になっていた。
それに比べれば、この倉庫の埃っぽい空気の方が、よほど清潔に思えた。
「よし、今日の作業はここまで! あがっていいぞ!」
夕暮れ時。終業の鐘が鳴る。
余は強張った腰を叩きながら、倉庫を出た。
手の中には、日当の銅貨が数枚。
わずかな金だ。王宮のワイン一杯分にも満たない。
だが、これは余が自分の手足を動かし、汗をかいて手に入れた、正真正銘の「余の金」だ。
「……腹が減ったな」
足は自然と、赤提灯が揺れる屋台へと向かっていた。
『焼き鳥・権兵衛』。
最近の行きつけだ。
「おう、じいさん! いらっしゃい!」
威勢のいい店主が迎えてくれる。
余は丸椅子に座り、慣れた口調で注文した。
「エールを一杯。それと、皮と砂肝を塩で頼む」
「あいよ!」
ドンッ、と置かれたジョッキ。表面には水滴がつき、冷気が漂っている。
余はそれを両手で持ち、一気に喉へと流し込んだ。
「……ぷはぁっ!」
思わず声が出た。
美味い。
五臓六腑に染み渡るとは、まさにこのことだ。
王宮で飲んでいた最高級ヴィンテージワインよりも、労働の後のこの安酒の方が、何倍も美味く感じるのはなぜだろうか。
「へい、おまち! 焼き鳥だ!」
炭火で焼かれた鶏肉が、脂を滴らせている。
熱々の串にかぶりつく。
カリッとした皮の食感と、溢れ出す肉汁。塩加減が絶妙だ。
「……うむ。絶品じゃ」
余は独りごちて、夜空を見上げた。
屋台の隙間から、王都の中心にそびえる『レオナルド本社ビル』が見える。
かつての王城よりも高く、光り輝く摩天楼。
あそこには、今の王都の支配者がいる。
彼は今頃、山のような書類と、世界中からのプレッシャーに囲まれていることだろう。
かつての余がそうであったように。
「レオナルド殿。……すまぬが、代わってやりたいとは思わんよ」
余は焼き鳥を齧り、エールを煽った。
王冠の重責から解放され、こうして一人の老人として、美味い酒と肴を味わう。
皮肉なことに、国を失った今が、余の人生で一番「自由」な気がした。
「親父、おかわりじゃ! 今日は奮発して『つくね』も追加してくれ!」
「おうよ! じいさん、景気いいねえ!」
ポケットの銅貨は減っていくが、心は満ち足りていた。
家賃5000円のワンルーム。風呂なし。
だが、ここには確かに「生活」という名の温もりがあった。
余の新しい余生も、そう悪いものではないかもしれん。
そう思いながら、余は夜風に吹かれ、千鳥足で帰路につくのだった。




