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09.うちの子じゃなくて、俺の

 目が覚めたら全裸だった。

 いやいやいや、何でだよ。

 起き上がって辺りを見回す。……自分の部屋だ。小学生のときから使ってる見慣れた部屋。


「……えっと……?」


 たしか、あれだ。昨日、昼過ぎに澪の母親がうちに来て、イラついたから藤乃と飲みに行ったんだ。で、帰ってきて……。


「あれ、澪は?」


 寝るときまで隣にいた澪がいない。……ちょっと、ショックだった。そんなに嫌だったかな……。いや、トイレとかかもだし。

 でも待っても澪は戻らない。昨日飲みに行ってそのまま寝たからシャワー浴びたいし、口の中も気持ち悪い。

 諦めて起き上がり、下着だけ着けて階段を降りると、台所から物音がした。


「瑞希さん! おはようございます!」


 覗くと、澪が振り向き、今までになく明るい顔で駆け寄ってきた。


「……はよ」

「朝ごはんを用意してました。すぐ出来ますので、もう少しお待ちください」

「う、うん。シャワー浴びてくる」

「はい! ……あ、あの、一個お願いしてもいいですか……?」


 澪が口元に手を当てるので屈んで耳を寄せる。


「あの、おはようのキスしてもらっていいですか?」

「……は?」


 予想の何倍もかわいいことを言われた。俺の反応に、澪は少ししょげた顔になる。


「だ、ダメですか……」

「ダメっつうか、ヤダ。待て、違う、泣くなよ、そうじゃねえって!」


 半泣きの澪の頭を撫でる。


「昨日飲みに行って、歯磨きしないで寝ちまったから、口が臭いんだって」

「……今更では……?」

「そうかもしれねえけどさ! つーか、してほしいなら、俺が起きる前にいなくなるなよ。傷つくだろうが」


 澪はポカンとした顔で俺を見上げた。なんなんだよ、もう。


「傷ついたんですか?」

「……ちょっと」

「それは……ごめんなさい。先に目が覚めて……いていいか、わからなくて」

「いいに決まってんだろ、ばか」

「ごめんなさい。次から、気をつけます」

「いいよ。とにかくシャワー浴びて、歯磨いてくるから」

「わかりました。行ってらっしゃい」


 やたら嬉しそうな澪の額に軽くキスして風呂場に向かった。……俺はいつからそんなキザなことをするようになったんだ。たぶん、藤乃に毒されてる。


 とにかくさっぱりして風呂を出る。いつもの倍くらい時間をかけて歯も磨いた。


「……っし」


 洗濯を回してからダイニングに向かうと、テーブルに朝飯が並んでいる。

 ……なんでか、泣けてきた。いや、なんでだよ。泣く要素なんかねえだろ。


「瑞希さん、朝ごはんの用意できてますよ」

「……うん、ありがと」


 座ろうとしたら、澪がコップを持って寄ってきた。頼まれてたのを思い出して、腕を掴んで引き寄せる。

 何度か唇を合わせて離すと、澪は真っ赤になって目を逸らした。


「おはよ」

「……おはようございます……。な、なんだか、昨晩と違いますね……」

「何が?」


 茶をひと口飲むと、澪はうつむいて指をいじっていた。


「その、昨晩は……もっと……」

「お前……、朝からあんなんしねえだろ……。飯どころじゃなくなるだろうが」

「そ、そうなんですか……」

「なに、してほしかった?」


 からかうつもりで笑いながら聞くと、澪は俯いたままボソボソ、


「ちょ、ちょっと……」


 と答えた。深呼吸して、いろいろ飲み込む。


「……とりあえず、飯」

「は、はいっ。あ、瑞希さん。あの……隣じゃなくて、向かいに座ってもいいですか?」

「いいけど」


 澪はニコニコしながら向かいに座った。なんでそんなに嬉しそうなのかと思ったけど、確かに向かいはいいな。話しやすいし、顔がよく見える。


「今日の仕事は?」

「今日必須の仕事はないです」

「そっか。俺は水やりくらいだから、一時間そこらで終わる。昨日のビュッフェ、夕方に予約変えといたから、後で行こう」

「はい!」


 飯の後、片付けは一緒にやって、俺は畑に向かう。家を出るとき、澪は「行ってらっしゃいのキスもしていいですか? さっきみたいなのでいいので」と言ってきた。

 ……行ってらっしゃいのキスで、ヤるときみたいなキスは普通しねえんじゃねえかな……。


 一回寝たくらいで彼女面されるのは面倒なはずなんだけど、澪がやたら甘えるようになったのは、まあいいかと思ってる。

 元からツンケンしてたわけじゃなくて、少しずつ近寄ってきていたのが、寝たことでわかりやすくなっただけだし。


 水やりを済ませて家に戻ると、ちょうど澪も家のことを終えていた。時間はまだ午前中の早い時間で、晩飯どころか昼にも早い。


「……ちょっと、コンビニ行ってくる」

「わかりました」


 澪がわかりやすくしょげた顔をするんで、つい笑ってしまう。


「すぐ戻るって。……ゴム、あったほうがいいだろ」

「わ、はい、わかりました。待ってます!」


 一瞬で笑顔になった澪に、また触れるだけのキスをして家を出た。

 帰ると澪は玄関で待ち構えている。


「……俺の嫁さんはずいぶん甘えたになったな」

「嫌ですか?」

「全然」


 抱き上げて二階に上がる。カーテンは閉めたままだけど、外が明るいから澪の顔がよく見えた。


「どうしてほしい?」

「……昨晩みたいな、キスしてほしいです」

「キスだけでいいんだ?」

「い、意地悪ですね……」

「次は、起きたときも隣にいてくれ」

「はい。必ずいます」


 顔を寄せるとハミガキ粉の匂いがした。



 夕方、時間はギリギリだったけど、ビュッフェの予約に間に合った。

 澪は目を輝かせてキョロキョロしている。


「瑞希さん、チョコがダバーってしてます」

「チョコレートファウンテンな。隣に置いてあるバナナとかマシュマロつけるんだよ。いちごもある」

「……これ、全部食べていいんですか?」

「好きなだけ食えよ」

「ここが天国……?」

「大袈裟だろ。いや、わからんでもないけど」


 はしゃぐ澪と一緒に、片っ端からデザートを皿に載せる。昼飯を食い損ねていたから、つい取り過ぎる。澪は量は食わないけど、一口食べては歓声を上げた。


「瑞希さん、これ、美味しいです」

「そらよかった」

「わ、こっちは見た目より苦いですね。でも後味がすっきりしてて美味しい」

「お、ほんとだ。食いやすいな」

「そうですか? 家でも作ってみますね」

「楽しみにしてる」


 澪は何を食べても美味しいと言うけど、ちょいちょい、それが何かわからないとも言う。その度に食材の名前と料理の名前を教える。俺だって詳しいわけじゃねえのに。


「……お前の母親は馬鹿だな」

「な、なんですか、いきなり……?」

「澪は何食ってもこんなに喜ぶのに、それをしねえで、かわいいとこ知ろうともしねえで、馬鹿だと思う」

「わ、私のことかわいいって言うの、瑞希さんだけです……」

「別に、俺だけが知ってりゃいいだろ」


 澪は顔を真っ赤にして俯いた。

 皿が空いたので立ち上がると、澪が赤い顔のまま俺を見上げる。


「何か、取ってこようか?」

「えっと、じゃあスープをお願いします。そろそろ、しょっぱいものも食べたいです」

「はいよ」


 頼まれたスープと、自分の追加のデザートを持って席に戻る。澪は「ありがとうございま……」と言いかけて止まる。


「瑞希さん、それなんですか?」

「あんみつ」

「どこにあったんですか……私も取ってきます……」

「右奥。後で一緒に行く」

「ありがとうございます……!」


 思わずスマホを出して、写真を撮ってしまった。

 澪は目をパチパチさせている。


「つい、撮っちまった。……かわいかったから」

「そんなこと……ないと、思うんですけど」

「あるんだよ」


 藤乃が花音にやたら「かわいい、かわいい」と言う理由が分かってしまった。あー、やだやだ。あんなキザ野郎にはなるまいと思ってたのに。



 ビュッフェの時間ギリギリまで食べて、食べ過ぎて苦しいから車はそのままにして近くの浜辺に散歩にきた。

 初夏の穏やかで湿っぽい風が、澪の髪とスカートを揺らしている。

 ……そういえば、今日はスカートなんだな。いつもはジーパンとシャツとか、スラックスとシャツとか、さっぱりした服な気がする。


「なんか、珍しい格好してんね」

「お義母さんが、せっかくだからと選んでくださったんです。先週、瑞希さんが誘ってくれたあとに」

「……そっか」


 おかしいな。ホワイトデーのお返しで今日は誘ったつもりだったんだけど。それに、こいつはわざわざ服を用意してきたのか。……そうか。


「来年のバレンタインも、チョコの家がいい」

「は、はい、わかりました。用意します」

「そんで、またなんか美味いもん食いに行こう。お前が作る飯ほどじゃないかもしれないけど」

「……そんなことは……。えっと、楽しみにしてます」

「その前にさ、行きたいところあるから付き合って」

「はい、ぜひ」


 スマホでお気に入りのカフェを表示して見せる。一人でもぜんぜん行くけど、こいつがニコニコしているのを見ながら食べたら、もっと美味しい気がする。


「他にもさ、いろいろ行こう。うちに、うちには、お前が出かけるのを嫌がるやつなんかいないから」

「……はい。瑞希さん、ありがとうございます」


 手を引っ張って歩く。特に何か話すわけじゃない。砂浜は歩きにくいし、足は砂だらけで、潮風で顔がベタベタしてきた。


「瑞希さん」

「んー?」

「夜の海ってきれいですね」


 澪が遠くを見ている。月明かりに照らされた横顔は、穏やかに微笑んでいて、やけに眩しい。


「……そだね。お前のほうがきれいって言ったほうがいい?」

「いっ、言わなくていいです……」

「また来よう。じいさんばあさんになっても、一緒に来よう」

「……はい」


 立ち止まって、振り向いた。澪が顔を上げる。触れるだけのキスをして、また歩き出す。

 ……藤乃のこと、キザ野郎って馬鹿にできなくなった。



 帰ってから、潮風でベタついた体を流す。

 親が帰ってくるのは明日の夕方だっけか。自分の部屋で明日の仕事を確認していると、ドアがノックされる。


「はいはい」


 開けたらパジャマ姿の澪がソワソワしていた。


「どした?」


 用件なんてわかりきってるけど、男を誘ったことなんかないこいつが、どうやって俺を誘うのか聞いてみたくて、あえて様子を見る。


「……えっと……、その……キス、してください」

「はいよ」


 澪の肩に手を置いて、触れるだけのキスをする。不満そうにこっちを見ているのがかわいい。

 真っ赤になって、視線をあちこちにさまよわせて、うつむいて、指先をもじもじといじった末に、やっと澪は顔を上げた。


「……明日の朝、おはようのキスもしてほしいです……ベッドの中で」

「なんだよ、それ」


 思わず笑ってしまう。俺が今まで聞いた中で一番かわいい誘い方だったから、俺の負けだ。


「おいで」

「……はい」


 腕を広げたら、澪はホッとしたように笑って擦り寄ってきた。

 やっぱり、俺の嫁は世界で一番かわいい。




 関係が変わったことに親父とお袋には一発でバレた。

 まあ、一緒に住んでるんだから、仕方ねえけどさ。でも帰ってきた直後の晩飯でバレてたのは早すぎると思う。


「澪ちゃんは素直だし、瑞希もねえ……ふふ」

「態度が違いすぎるしな」

「……うっせえな……」


 澪は照れた顔をしつつ、親父に飯のお代わりを出している。


「母から庇ってくれて、嬉しかったので」

「言わんでいいから」

「えっ、家に来たの……?」


 ギョッとする両親に金曜日の午後の話をすると、親父が「うわ……」と呟く。


「えっと、(もとい)にそれ言った?」

「いや、美園さんの連絡先知らねえし」

「連絡してくる」


 親父が飯をかき込んで席を立つ。

 お袋は澪に声をかけていた。


「澪ちゃん、大丈夫だった?まさか連絡もなしに直接来るとは思わなくて……」

「大丈夫です。瑞希さんが助けてくれましたから」


 ニコニコする澪に、お袋が肩をすくめて俺を見た。


「あんたに、そんな甲斐性があったとはね」

「うるさ……」


 飯を終わらせて席を立つ。廊下に出ると親父が美園さんと電話をしていた。


「あ、おい瑞希。澪ちゃん、大丈夫だったか?」

「たぶん。澪は俺の嫁にするから、釘刺しといてって、美園さんに伝えといて」

「はいはい。じゃあ澪ちゃんと相談して時期とか決めとけよ」

「……わかった」


 妹の結婚式を思い出す。

 あれから半年くらいしか経ってないはずなのに、ずいぶん前のことみたいに感じる。

 あのときは藤乃も花音も大変そうで、忙しそうで、でも二人とも幸せそうだった。

 ……俺にもできんのかな。由紀と美園だと、きっと式の規模は二人と同じくらいになる。正直めちゃくちゃ面倒くさい。

 書類だけ出して、澪に指輪でも買ってやって、それで終わりでいいんじゃねえかって思う。

 でも、式のときの花音は今まで見たことないくらい輝いていた。澪もそうやって輝くなら、俺は頑張らないといけないんだろう。


「澪ー、ちょっといい?」

「はい!」


 リビングの棚から花音の式のアルバムを出してくる。


「お前も、こういうのしたい?」

「……えっと……」


 澪はアルバムを見て、黙り込んでいる。


「俺は、こういうの、お前に着てほしいけど」

「……着たい、です」

「そう。じゃあ、頑張ろう」

「……はい」


 アルバムをめくる澪の横顔を眺めていると、視線に気づいて顔を上げた

 俺を見てニコニコする彼女は、もう日にかざしても透けないし、触るとちゃんと暖かい。


次回、澪視点の話でおしまいです。いつか8と9の間も書きたい……

***

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