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08.たぶん、一番どうしようもないのは俺なんだ

「っとにさー!! なんなんだ、あのくそばばあ!!」


 藤乃の家の近くの居酒屋で、俺はぐるんぐるんに管を巻いていた。

 急に呼び出された藤乃は嫌な顔をすることもなく、「はいはい」と話を聞いている。……こいつ、もしかして俺より人間ができてる?

 つい、そう聞いたら鼻で笑われた。


「俺とお前は大して変わらないよ。知ってるだろ。瑞希がぐちぐち言うのが珍しくて、よほどなんだなって思うから付き合ってるだけ」

「……まあ、よほどなんだけどさ。意味分かんねえばばあに絡まれて、ほんとムカつく」

「そだね。美園さんが薄かった理由がわかったね」

「ほんとだよ。……あいつ、三十年間、あの調子で詰められてたのか……? かわいそすぎねえか……」


 澪はたぶん、元からそんなに気が強い性格じゃない。叔父の美園さんに似た穏やかな女だ。それが、子どもの頃からあの調子でキイキイ詰められてきたせいで、存在感が薄くなっちまったんだよな……。


「あいつ、アイスほとんど食ったことなくて、どんな味があるか知らねえって言ってたぞ」

「なかなかだね」

「それを美園さんに言ったら、納得されたし」

「うわ……」


 藤乃は適当に相づちを打ちながら焼き鳥をかじっている。俺は日本酒、藤乃はコーラだ。

 俺が今日は飲みたいだろうからと家まで車で迎えに来てくれた。

 ……あとで花音に怒られるだろうな。まあ謝っときゃいいか。


「瑞希もなんか食べな? 飲んでるだけだと胃にくるだろ」

「年寄り臭いこと言うなよ」

「俺らも三十過ぎだからさ」

「そうなんだよな……」


 メニューを見て唐揚げと卵焼きを頼む。

 食ってもなんともねえ。澪が作る方がうまいんだよな……。


「瑞希、ひどい顔してるけど」

「澪が作る方が美味いって気づいちまって」

「さっさと結婚してもらえよ、それ」

「……結婚する理由って、そんなんでいいんだっけ?」


 藤乃と花音はそりゃあもう、愛し合って結婚した。そういうのはこっぱずかしいが、そうとしか言えない二人だった。間近で見てたからこそ、余計に飯が美味いなんて理由で結婚していいのか、よくわからねえ。


「別に、なんでもいいだろ。誰かに説明するわけじゃないし」

「……それはそうだけど」

「瑞希がしょぼくれてるの珍しくてウケる。写真撮って花音ちゃんに送ろ」

「やめろ、ばか」


 藤乃は酒も飲んでねえのに、やけに楽しそうだ。意味わからん。


「だってさ、美園さんが他に好きな人できたからって出て行ったら、瑞希落ち込むんじゃないの?」

「は? ありえねえけど?」

「それ、どれがありえないんだ?」

「澪に他に好きな男ができるのが」


 そう言うと藤乃が吹き出した。


「ありえなくないだろ。そんなに好かれてるって思えるほど、お前は美園さんのこと大事にしてた?」

「……してない……」


 徳利を傾けるが、一滴も出ねえ。お代わり頼むか迷う。

 澪はどうしてるんだろう。

 時計を見るといい時間で、こんな夜に澪は誰もいない家で一人、ぬいぐるみを抱えてるのか。母親に詰められて、一応婚約者扱いの俺にも放っとかれて。


「ダメだな、俺は」

「あ、気づいた?」


 藤乃が残ってた唐揚げを食べる。皿は全部空で、何食ったかも覚えてねえ。


「帰る」

「それがいい」


 立ち上がると足元がふらつく。今さらだが藤乃の言う通り、腹に食いもん入れときゃよかった。……でも、美味しくなかったんだ。


「あーやだやだ」


 呟いて財布を藤乃に押しつける。


「適当に出しといて。花音に借りた分」

「瑞希があんまり殊勝だと、明日の天気が心配なんだけど」

「うるせ」


 藤乃が会計してる間に澪に「帰る」と連絡しようとしたら、澪のアイコンがペンギンのぬいぐるみになってた。……いつからだろう。そんなことにも気づかなかった。

 引きずられるように車に戻り、うとうとしてる間に家に着いた。


「瑞希さん、おかえりなさい……!」


 玄関の扉を開けると、パジャマ姿の澪が出迎えてくれる。……もしかして、待ってたのか?


「遅くに悪いね」


 藤乃が俺を玄関に座らせると、澪が横にしゃがむ。「ただいま」って言うと、「おかえりなさい」って返してくれて、なんか嬉しい。


「あの……瑞希さん、大丈夫ですか?」

「ちょっと飲みすぎただけ。ほとんど食わずに飲んでばっかだったし」

「お水持ってきます」

「あ、待って」


 立ち上がろうとした澪を藤乃が引き留めた。


「そいつ、美園さんのごはんが美味すぎて居酒屋の飯が全然ダメだから食わなかったんだよ。空っぽの胃で飲んだせいで変に酔っちゃって」

「えっ……そ、そうなんですか?」

「……うん」


 頷くと澪が困った顔をする。まずかったかな。


「あのさ、そいつ白馬の王子様じゃないから、待ってても迎えに来ないよ」


 藤乃の意味不明な発言に澪は答えない。俺が王子様なわけねえだろ。


「何言ってんだよ、お前」

「絶対合意じゃねえと寝ないしね」

「ほんと何言ってんだ。余計なこと言うな、馬鹿」

「今の美園さんには言ったほうがいいと思うけど」


 言われた意味を考えても、酔った頭じゃ何もわからねえ。酔ってなくても分かったか怪しいけど。


「……意味わからん。帰れ帰れ。……サンキュ、送ってくれて」

「いいよ、迷惑料もらったし。じゃあな。また、美園さんも」

「あ、はい……ありがとうございました」


 頭を下げる澪に、藤乃はひらひらと手を振って出て行った。ぼんやり座っていると、澪が家の鍵をかける。


「お水、お持ちしますね」

「ん」


 すぐに澪は戻ってきて、コップを渡される。ただの水道水なのに、やけに美味く感じた。

 コップを片付けた澪は、また隣にしゃがんで俺を覗き込む。


「立てますか?」

「うん」


 ゆっくり立ち上がるけど、やっぱり足元がふらつく。澪が慌てて手を差し出してくれるけど、俺がもたれかかったら、お前、潰れちまうだろ。


「だいじょぶ」

「全然、大丈夫に見えません」

「じゃあ、手……引っ張って。俺がふらついたら離していいから」

「……離しませんよ」


 顔を覗き込もうとしたけど、澪が玄関の明かりを消してしまったから、見えなかった。


 手を引かれて二階に上がる。奥まで進んで、右の扉の前で澪は立ち止まった。


「部屋、入りますね」

「……うん」


 わけわからんくらい細い声が出た。俺の声、こんなに小さかったっけ?

 澪は部屋の扉を開けると、手探りでスイッチを探している。見つける前につないだ手を引っ張った。

 ベッドの前で澪を見下ろす。暗くて、どんな顔かはわからねえ。

 こいつが俺の部屋に入るのは初めてだ。「なんかあったら声かけて」と言って、それから一度も声をかけには来なかった。そのことを、たぶん俺は気にしている。


「……俺、ふらついてるから、手え離していいよ」

「離したく、ないです」

「意味、わかって言ってる?」


 なんつーか、イラつく。こいつは結局、俺のなんなんだよ。

 「お前、うちの子になるんだろ?」って、先週俺が聞いたら、こいつは「なります」って答えた。

 それって、この場でベッドに引きずり込むことに合意してるってことになるんだろうか

 困ったときに助けを求めようとも思わねえくせに。


「あのさ……いや、いいや。うまく言えねえし」


 澪は黙ってるけど、つないだままの手をきゅっと握り返してきた。どうやら離す気はないらしい。


「澪」

「……はい」

「今ならまだ、自分の部屋で寝られるけど」

「瑞希さん、説得力ないです」


 そうかな。そうかも。

 握ったままの手の指先を、澪の細く小さい指に絡める。


「……手の怪我、全部治った?」

「全部は治ってないです。でも、もう痛くないから大丈夫です」


 絡めた指が、握り返される。

 さすがに、澪がなんとも思ってないことくらい、わかる。……わからないのは、その理由だけだ。


「あのさ……誰かと、したことある?」

「……なくは、ないです。えっと……しようとしたけど、最後まではできませんでした」

「そっか」

「……痛くて、だめでした」

「痛くてダメだったのに、またしようとしてんのか。……馬鹿だな、お前」


 そういうことを言っちゃうのがダメなんだろうな、と言ってから気づく。馬鹿なのは俺だ。

 だから、澪が何か言う前に続ける。


「俺、謝られると萎えるから謝んな」

「……わかりました」

「でも、痛かったり嫌だったら言って」

「わかりました」

「澪」

「はい」

「俺、お前のこと好きだよ」

「……私も、瑞希さんのことが好きです」

「……そっか。よかった」


 つないだままの手を引っ張って、澪をベッドに転がす。手を離そうとしたら嫌がったけど、無理やり離した。


「ちょっと待ってろ」


 着ていた服をすべて脱いで、転がったままの澪に覆いかぶさる。

 額、目尻、頬と順番に口付けて、唇に触れるだけのキスをする。

 薄暗い部屋の中で、澪がどんな顔なのか分からないけど、とにかく緊張して固くなっているのは分かる。


「澪」

「ひゃっ、はいっ」

「あー……緊張すんなってのは無理だと思うけどさ」

「……はい」

「慣れてないのはわかってるから、適当にしとけ。そんなことで呆れたり怒ったりはしないから」

「……はい」


 手探りで澪の手を探してベッドに押し付けるように指を絡める。

 何度も浅いキスを繰り返して、澪の体の強張りが解けるのを待つ。

 慣れてきたら、ゆっくり唇を割って舌を絡める。澪は息継ぎもまともにできないから、すぐに息を切らして、ぜえ、はあ言っている。


「……瑞希さん」

「ん?」

「私も、脱ぎます」

「はいはい。俺がやるから、おとなしくしとけ」

「ん……」


 珍しく、少し不満そうな声が聞こえて、吹き出しそうになったけど、笑うとたぶんまたガチガチになるから堪えた。

 パジャマを脱がして横に寝転がる。抱き寄せたら、おずおずと背中に腕が回された。

 ……半年前には、考えもしなかったことだ。


「澪」

「……はい」

「お前はかわいいな」

「え……どこがですか……?」

「教えねえ」


 澪が何か言う前に口を塞いだ。

 擦り寄ってくる様子が子猫みたいで、日にかざしたら透けそうな女が、ちゃんと温かい。

 そのことでひどく安心した。

 少なくとも擦り寄りたいと思うくらいには頼られてるらしい。

 抱き寄せた背中は細くて薄くて、力を入れたら折れそうだ。なのに固いわけじゃなく、どこを触っても柔らかかった。


 ふと思い出して澪の手を取る。カーテンの隙間から差す月明かりに照らすと、手のひらに小さなアザができてた。昼間、爪が食い込んだ痕がまだ残ってるなんて。


「……明日、出かけたときにハンドクリーム買う」

「ハンドクリームですか?」

「クリスマスに俺があげたやつ、もうないだろ」

「……はい」

「それに、こんなしょうもない傷、残さないでほしい」


 ムカついたから、手のひらに吸い付く。アザが少し大きくなった。

 うん、これでいい。

 こいつに傷を残すのは俺だけでいい。

  

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