03.嫁(仮)
十二月の頭、嫁が引っ越してきた。
いや、嫁じゃねえ。予定、いや仮ぐらいだ。
引越し屋のトラックが一台と、美園さんがそいつを連れてきた。母親は美園さんの判断で置いてきたらしい。
「由紀たちに挨拶したがってたけどね。……いらんこと言うから、言いくるめて置いてきた」
肩をすくめる美園さんに、親父は頷いて俺を見る。
「ふうん。俺はどうでもいいけどさ。瑞希、案内したれよ。お前の嫁だよ」
「へいへい」
「よ、よろしくお願いします……」
「あいよ。こっち」
相変わらずおどおどした女だ。高校のときなら、絶対関わらなかったタイプだな。藤乃に言われたからか、ついそんなことを考えてしまう。
一階のリビングやダイニング、水回りの場所を教えてから二階に向かう。階段を上がって奥の左が元々花音の部屋で、空いたからこいつにあてがう。
「ここ」
扉を開けて中に通す。
蚊の鳴くような声で「お邪魔してます」と言って、そいつは肩を縮こまらせて部屋に入る。
「……ありがとう、ございます」
「なにが?」
「えっと、部屋、用意してくださって……」
体の前でカバンを抱きしめて、おずおずと見上げられる。
前髪の奥で、なんでか目が潤んでやがる。面倒くせえから、泣くなよ。
「別に……」
彼女はベッドに寝かせておいたペンギンを撫でる。口の端がわずかに上がっているように見えた。
「……荷物、持ってくるから開けといて」
「は、はい。あのでも運ぶのも自分で……」
「玄関に積んであると邪魔だから。さっさと開けて」
「……はい」
部屋の扉を開けて一階に降りる。彼女の荷物はダン箱が数箱だけだ。全部部屋に運んで、全部部屋に運んで、空いたダン箱は潰していく。
開封は昼前には終わった。
「俺の部屋、向かいだから、なんかあったら声かけて」
「わかりました」
「十二時に昼飯だから、時間になったら降りてダイニングに行って」
「はい」
それだけ言って部屋を出る。玄関でダン箱を全部縛って、リビングに行くとお袋が昼飯を作っている。
「片付け終わった?」
「箱は全部開けた。荷物少ねえ」
「優しくした?」
「……してない」
「やあねえ」
「そだね……」
ほんと、嫌んなる。こないだ藤乃と理人に言われて、気を付けようかと思ったのに全然ダメだ。
なんでかね、ほんと。
「なんかなー……」
「そうねえ。とりあえず、挨拶はちゃんとしなさい。あと、あなた、澪ちゃんのことなんて呼んでる?」
「……呼んだことない」
お袋の顔が、一気に冷たくなった。いや、自分でも驚いたけど、「あんた」ってしか呼んだことねえわ。
「瑞希」
「……わかった。わかりました」
怖え怖え。俺よりずっと小柄なお袋だけど、キレたときは親父より怖い。なにしろ理詰めで懇々と問い詰めてくる。
誰だよ、女は感情的とか言ったの。ド正論でぶん殴ってくるから、反論のしようがなくてマジ怖えんだよ……。
「なにがわかったの?」
「ちゃんと名前で呼びます」
「当たり前でしょうが!」
「挨拶もちゃんとします」
「幼稚園児だってするわよ、それくらい!」
「……そだね」
とにかく食事の支度を手伝う。全員分の箸を並べて、順次配膳していく。
「あ、あの、ごめんなさい、私……」
怯えたような顔でそいつ……澪がダイニングにやってきた。
「何が?」
「瑞希、言い方」
「わぁってるよ! 何謝ってんだよ」
「直ってない!!ごめんなさいね、澪ちゃん。ぼんくら息子が……」
俺への態度とは打って変わって、お袋は澪に近寄る。すみませんね、ぼんくらで。
残りの配膳を済ませている間に、親父が畑から戻ってきた。
「お、昼飯豪華だ」
「腕によりをかけました!」
「はー、いいねえ。ビール飲んでいい?」
「いいと思う?」
お袋の冷ややかな眼差しに、親父が俺を睨む。
「瑞希、お前なに母さん怒らせてんだ」
「何でバレてんだよ……。おい、お前ここな」
澪の席を指差したら、その指をお袋が関節と逆に捻った。いってえな!!
「みーずーきー」
「わかったって!! えー、なんだ、澪……? 席、ここ、使って……」
「は、はい……」
「瑞希は藤乃くんの爪の垢を煎じて飲んだほうがいいわ。一リットル飲んで」
「やだよ……」
とにかく席につく。俺の前が親父、親父の隣がお袋、お袋の前が澪。澪の隣に俺。
もっぱらお袋が澪にあれこれ聞いていて、澪は声は小さいけど一応ちゃんと答えている。
……やっぱ、俺が怖くて謝ってばっかなんだろうな。
さっさと食い終わらせて立ち上がる。食器をシンクに入れると親父もやって来て食器を置いていく。二人分とフライパンやらを洗ってたらお袋と澪も片付けにきた。
「うちは最初に食べ終わった人が全部洗って片付ける決まりだから、よろしくね。といってもだいたい瑞希かお父さんだけど」
「……わかりました」
お袋と澪から食器を受け取って洗う。
午後は俺は親父と畑仕事。お袋が澪にうちの事務仕事なんかを教える予定だ。
「あ、冷蔵庫のプリン俺のだから食うなよ」
「プリン食べていいって」
「言ってねえよ。せめて食ったら補填しろ。もしくは俺に金を返せ」
「プリン、澪ちゃんにあげるね」
お袋がエプロンのポケットから百円玉を出してきて寄越す。全然足りねえ……。
まあ、いいや。あとで藤乃んとこに顔出すから、そのときに新しいの買ってこよう。……もしかして、今後は澪の分も買った方がいいのか?
「おい、あんた……じゃねえ、間違えた。澪、お前アレルギーあるか?」
「な、ないです……」
「食いもんの好き嫌いは?」
「それも、ないです」
「そう」
「言い方が! まったく優しくない!!」
ダメだったらしい。また怒られる前に、両手をぱっと挙げる。
「……見本、お願いします」
「幼稚園児以下ね!! 澪ちゃん、アレルギーある?」
澪は小さく首を横に振る。さらりと黒い髪が流れる。
「ないです」
「苦手な食べ物はあるかしら」
「それも、大丈夫です」
「わかった。ありがとう。ケーキ好き?」
「好きです」
「だそうよ。母さんモンブランね」
「……わあったよ……」
つーか結局、俺の聞き方と何が違うのか、全っ然わからんかったし。
……「澪ちゃん」って呼んだほうがいいのか?
「澪」
「は、はい!」
「……澪ちゃん?」
「ひえ……」
「なんでだよ……」
「ちゃん」をつけたら、なぜか怯えられた。……やっぱやめとこう。
「畑行ってくる」
「はいはい、行ってらっしゃい」
「……い、いってらっしゃい……」
ダイニングを出たら、お袋だけじゃなく澪の声まで聞こえて、なんかピンと来ないまま戻って顔を見たら、やっぱ怯えた顔された。
……もしかして、俺の顔がダメなのか?
……それ、どうしようもねえな。
畑に出て、肥料を作って寝かせる。
クリスマスに向けて、藤乃が好きそうな花を収穫してまとめて車に積む。
「須藤さんとこ行ってくる」
親父に声をかけると、顔を上げて手を振ってきた。
「おう。あ、花音に近いうちに顔出せって言っといて」
「なんで?」
「お前の嫁見せるんだよ」
「嫁じゃねえけど……伝えとく」
断じて嫁じゃない。……でも、そのうちそうなんのか? いや無理だろ。俺の顔見て怯えてんだぞ。
藤乃に愚痴ってやろうと思ったのに、須藤さんとこにいなかった。
「藤乃さんなら、お義父さんと出てるよ」
花屋にいたのは藤乃のお袋さんと花音で、なんやらブーケの作り方を教わっている。
「花音ちゃん、花の扱いは慣れてるから、あとはセンスね」
「……それが一番難しいです」
「慣れよ、慣れ」
藤乃もそうだけど、お袋さんはさらにセンスがよくて、手さばきが素早い。花を集めたと思ったら、一瞬で綺麗にまとまっている。
「そりゃ、私だって子供の頃からやってるもの」
「お義母さんの実家も花屋さんだったんですよね」
「そうよ。あ、そうだ。瑞希くんお見合いしたんでしょ?」
アレンジをラッピングしながら聞かれる。
花音はバケツに花を入れながら顔を上げた。
「藤乃さんから写真見せてもらったよ。綺麗な人だね。お兄ちゃんと比べると美女と野獣」
「あら、瑞希くんだって顔立ちは綺麗よ。……ちょっと眉間のしわが深いけど」
「その相手が今日からうちに住んでるから、顔出せってさ」
そう言うと、お袋さんと花音が並んでカレンダーを見上げる。
……先月嫁姑になったばっかのはずなのに、なんで微妙に動きまで似てんだ……?
「んー……今月は……忙しいですよね」
「そうねえ、申し訳ないけど……お正月かな……」
「わかった。親父に伝えとく」
「よろしく。藤乃さんと一緒に挨拶行くね」
「あ、じゃあ私たちも行くわ。小春さんも由紀さんも飲みたいだろうし」
「わかりました。それも伝えておきます」
軽く頭を下げて店の裏口から出る。
なんつーか、花音は花音で、もうしっかり須藤家に馴染んでるように見える。
……あの女も、そのうちうちに馴染むんかな……。なんかピンとこねえ。
帰り道、ケーキ屋で適当にいくつか買っていく。あの女の分は、とりあえず無難にイチゴのショートケーキ。ついでにチョコのも買っとくか。
あと俺のプリンとお袋のモンブラン。親父は……一番安いチーズケーキでいいや。
帰宅して、ケーキの箱を持ってリビングに顔を出すと、母親が帳簿の見方を澪に教えている。
「ただいま」
「おかえり。あ、ちゃんと買ってきた」
「買わねえとうるせえだろ。花音が正月に藤乃と顔出すって。須藤さんも、親父と飲みに来るってさ」
「あらそう。じゃあお酒とおつまみを用意しておかないと」
お袋は澪に花音と須藤家について説明している。まー、うちの嫁になるなら、付き合いは避けられねえしな。
……藤乃は、この女を見てなんて言うんだろう。
今まで藤乃に女を紹介したことなんてない。そもそも付き合ってなかったし、ただのセフレなんか紹介しねえし。
畑に戻って親父にも同じ事を伝えると。
「やった、酒とつまみ用意しとかねえと」
と、お袋と同じ事を言っていた。
夜、飯を食ったあと、プリンを出して食ってたら、澪が風呂から上がってきた。
「あの、お風呂、いただきました……」
濃い灰色の薄手のスエット上下を着て、乾かしたばかりなのか髪がふわふわしている。風呂で暖まったせいか、いつもより顔色がよく見えた。
「ケーキある」
「え……?」
冷蔵庫からケーキの箱を出してきて見せる。
「ショートケーキとチョコとチーズケーキ、どれ食うんだ」
「あの、他の方は……」
「俺はもう食った。お袋はモンブラン。親父はどれでもいい。なくてもいい」
「なんでだよ、俺も食うよ」
リビングでテレビを見ていた親父が顔をこちらに向ける。
「こないだ俺のヨーグルト食って、返してねえだろうが!」
「そうだっけ……」
「もう全部お前が食え。親父はほしけりゃ澪に頼め」
棚からフォークを出して澪に押しつける。
箱に入ったままのモンブランは皿に移してラップをかけて冷蔵庫に戻した。
「モンブランはお袋のだから、親父は食いたきゃ覚悟して食え」
「食わねえよ、そりゃ」
「なら俺のも食うなよ……」
そのままダイニングを出ようとしたら、澪がケーキの箱とフォークを持ったままついてきた。
「……あの、ありがとうございました……」
「なにが」
「ケーキ。私の分も買ってきてくださって。……あと、その、選ばせてくれて」
「お前の……澪の好きなもんを知らねえだけだ。欲しいもんがあるなら、ちゃんと言え。不便だ」
「……わかりました」
澪はぺこっと頭を下げて戻ろうとする。
その背中に「おやすみ」と声をかけたら、パッと振り返った。
「お、おやすみなさい……瑞希……さん」
廊下は薄暗かったけど、少なくとも怯えた顔には見えなかった。
母親と息子嫁がやたら似ている家族っていますよね。
***
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