02.俺よりペンギンのぬいぐるみのほうが、たぶん優しい
見合いから数日後、市場からの帰りに車を運転してていた親父が「そういえば」と口を開いた。
「澪ちゃんと仲良くしてるか?」
「みお……? 誰だっけ」
「お前ってやつは……。こないだ見合いしただろうが!」
「あー……忘れてた」
「ふざけんなよ……」
本当に忘れてた。帰りに写真を送ってそれきり、ほったらかしていた。
「連絡って何すりゃいいんだ?」
「今までの彼女とかには何送ってたんだ?」
「彼女いたことねえし」
付き合いのある女はいたけど彼女じゃねえ。互いにただの性欲処理……親に言えるわけねえし。
「つーかさ、あのうるせえ母ちゃんから逃がすのはいいけど、なんかすんの? 俺、なんかさせられんの?」
「うちで預かるって言っただろ。来月頭からな」
「聞いてねえ」
「今言った」
ほんとに適当だな、この親父は!
「近いうちに澪ちゃんのもんでも、一緒に揃えに行け。皿とか箸とか」
「へいへい」
まあ、荷物持ちくらいなら全然いいけどな。
スマホを取り出して、相手にメッセージを送る。
送ったあと、まだ朝の四時だったことに気づいた。
数日後の昼過ぎ、車で待ち合わせの駅に向かう。
駅前のロータリーに相手……美園澪がやっぱりぼんやりした顔で立っていた。
「どーも」
「こ、こんにちは……」
「乗って」
「は、はい」
失礼します……と蚊の鳴くような声で呟いて、助手席に腰を下ろす。
前回は着物で細いと思ったけど、洋服だともっと細く見える。
「ちゃんと飯食ってる?」
「食べてる、つもりです」
困った顔をチラ見して、アクセルをゆっくり踏み込んだ。
車で少し走って、近くにある大型のホームセンターにやって来た。ここならだいたいの生活用品が揃うはずだ。
「えっと、食器と布団と……あと何か必要なものある?」
「あの、ご迷惑になるので、あるもので……」
「ない。うちにあんたが生活するのに必要なもんは何もねえ。だから買う」
「……はい」
「それ遠慮のつもり? 面倒だからやめろ。質問に答えろ」
なんだかなあ。なんでか知らんけど、俺はこの女を前にするとやたらキツくなる。
「ごめんなさい」
「謝らなくていい。他人の家に住むにあたって必要なもん。食器と寝具以外」
「えっと、歯ブラシと風呂で身体洗うスポンジ……あとタオル、あると嬉しいです」
「わかった。先に布団と枕買って、でかいから送る」
「は、はい」
手前にあった寝具のコーナーでベッドに敷くマットやシーツ、掛け布団なんかを買っていく。
ベッドは花音が使ってたものでよくても、シーツとかは嫌だろうし。こいつに聞いても嫌だとは言わないだろうから、もう聞かない。買わなくて花音にデリカシーの無さを責められるのは俺だ。
とはいえ掛け布団はいろいろある。ふかふかしたのとか、すべすべしたのとか。
「掛け布団はどれがいい? どれでもいいとか言うなよ、面倒だから」
「え、えっと……じゃあ、これがいいです」
選んだのは濃い灰色のふかふかした布団だった。頷いてカートに積む。枕と、枕にかけるカバーも同じシリーズにしている。
枕の隣に、同じ生地で作られたペンギンのぬいぐるみが置いてあった。五十センチくらいのそれを、彼女はぼんやりした顔で見つめている。
「これ?」
「えっ、あっ、いえ、それは……」
「ほしいなら買うけど」
「でも、邪魔になるので……」
「なんの?」
聞き返すと、彼女の目が丸くなった。そういう顔もするらしい。
「聞いてない? 妹の部屋が空いたから、あんたにはそこを使ってもらう。その部屋はあんたが好きにしていい。家の仕事と家事をちゃんとすれば、ペンギンだろうが何だろうが置いていい」
「そう、なんですか……」
ぽかんとしているので、ペンギンをカートの一番上に乗せる。
「寝具はこれでいいかな。いったん会計して……あーでもこれくらいなら車に積めるな。会計たら、車に積みにいく」
レジでどっちが払うか揉めたから、寝具は全部払ってもらって、ペンギンだけ俺が出した。車の荷台に寝具を積む。ペンギンは後部座席に座らせようとしたけど「盗まれたら困る」って言うから、こいつも荷台に乗せた。ここで売ってるぬいぐるみ盗むやつなんかいねえと思うけど。彼女が自分から主張したのは初めてだし、俺にはどうでもいいから言うとおりにする。
そのあとは食器やタオル、スポンジを買って、フードコートで休憩。俺はコーヒー、彼女は小さいサイズのコーヒー。小さな口でちまちま飲んでいる。
「この後だけど、ドラックストアで歯ブラシとか買って終わり。他に何かある?」
「ないです」
「じゃあ、飲んだら行く」
彼女は小さく頷いて残りのコーヒーをせっせと飲んでいる。別にそんな頑張らんでもいいのに。言わないけど。
俺も残りを飲み干して立ち上がる。
「あ、捨てます」
「なんで?」
「え?」
「大人なんだから、自分のゴミくらい自分で捨てるだろ」
言い方はキツかったと思うけど、そんなに変なことも言ってない気がする。
自分のことは自分で。由紀家の基本ルールだ。
須藤家の「最優先は『妻』」に近いかもしれない。
彼女はまた頷いて、自分のコーヒーカップを分別して捨てた。
並んで歩いてフードコートと反対側にあるドラッグストアに向かう。ふと振り向いたら、彼女がえらく遠くにいた。寄り道でもしてたんかな。
でも、少し待って、また並んでも気づくと離れている。でも、少し待ってまた並んでも気づくと離れている。脚幅がけっこう違ったらしい。
花音は身長が同じくらいだし、お袋は少し背が低いけど歩くのが速いから気づかなかった。
違うな。たぶんお袋が速いのは親父が待たないからだな?
まあ、俺も別にこいつを待つつもりはねえけど。
すたすた歩いて目的のドラッグストアに着いた。辺りを見回して歯ブラシのコーナーを探しているうちに、彼女が追いつく。肩で息を切らしていて、なんつーか、歩くの遅えんだな。
「どれ?」
歯ブラシを選ばせたら、悩まずに一番安いのを選ぶから、それは止めた。
「あんた、安物買いの銭失いって知ってる?」
「……すみません」
「消耗品を無駄遣いすんな。こんなしょぼいの使ったらひと月保たねえだろうが。だいたいサイズがあってない」
「そう、なんですか?」
「あんた俺より年上だろうが。歯磨きくらいちゃんとしろ」
ぽかんとしてしまったから、結局俺が選ぶ。ヘッドが小さくて、毛先がしっかりしたやつ。しょぼいのを半月で交換するより、ちゃんとしたやつをひと月使うほうが結果的に安いし、サイズが合ってなくて磨けてないんじゃ、結局歯医者だなんだで金がかかる。
そういう意味で無駄遣いされたくねえんだけど、こいつ分かってんのかな。
「歯磨き粉は、うちにあるやつでいいな?」
「は、はい。いいです」
「シャンプーとかも家にあるやつでいいだろ。合わなかったら、そのときにお袋にでも言え」
あと何がいるんだ? こいつに聞いても何も言わねえからな。
まあ、あとは必要になったら買えばいいか。
歯ブラシを買って車に戻る途中、百均があったから、うがい用のコップだけ買って、今度こそ車に戻った。
「買った物は全部あんたの部屋に運んでおくから、開封は引っ越してきたときに自分でやって」
「はい、ありがとうございます」
また駅まで彼女を送る。下ろしてすぐに走り出したけど、ロータリーの入り口で信号に引っかかった。
ルームミラーを覗いたら、彼女はまだ降りたところで車を見ていた。
家に帰って荷物を運ぶ。運び終えて車の鍵を玄関に戻したら、お袋が居間から顔を出した。
「布団はすぐ使えるように、明日の朝干してね。タオルも明日洗っておいて」
「えー、面倒くせえ。本人にやらせろよ」
「は?」
「はい、今すぐ開封します」
顔は笑ってるのに、声がめちゃくちゃ低くてどうにも逆らえない。
また二階に上がって、運んだ布団やらなんやらを開封していく。ペンギンも干したほうがいいのか?
全部開けて、布団とペンギンはベッドに積んでおく。タオルは洗濯機に入れといて、食器も何か言われそうだから台所に運んで食洗機に突っ込んで回しておく。歯ブラシはさすがに使うときでいいか。洗面所のストックの棚にコップと一緒に入れておいた。
「っし、これでいいだろ」
あー疲れた。
なんつうか、イライラして疲れた。もうちょいちゃきちゃき動いてほしい。おどおどされるとイラつく。
そういうことを、何日かあとに納品に行ったついでに藤乃に愚痴ったら笑われた。ついでにその場にいた藤乃の友達、江里理人も苦笑した。
「その女性、小柄なんじゃないですか?」
「え? あー、そうかも。これくらい」
胸の辺りを手で指す。
「自分よりそれだけ大柄な男にイラつかれたら、普通の女は怖いと思いますよ」
「え?」
「瑞希さん、大きいですから。顔つきもキツめですし。それに、不機嫌で自分で反省するくらいキツイ言い方をしたんですよね。怖いですよ。僕もちょっと引きます」
言われてみれば、そうかも。
理人を見る。俺より数センチ背が低いけど、肩幅とか身体の厚みはたぶん半分くらい……言い過ぎかもしれないけど、俺より薄い。
そいつから見て怖いってことは、あの折れそうな女はどう思ったんだろう。
「理人、もっと言ってやって。瑞希はそういうところ鈍いから」
手元で花をまとめながら藤乃が言う。
他人に対する鈍さについて、こいつにだけは言われたくない。…でも、俺がやらかしたのは間違いないから何も言えない。
「なんつーか、俺、優しくねえな」
「ああ、だから藤乃さんと瑞希さんは仲がいいんですね」
理人に即答されて、ちょっとムカついたけど、なんか言う前に藤乃が頷いた。
「そうだよ。俺と瑞希は他人への優しくなさが同じだからね。面倒だろ、どうでもいい相手に優しくしないといけないのさ」
普通に酷い発言だけど、じゃあ俺があの女に優しくするかって言ったら面倒だしな。
「ていうかさ、優しいやつは学年の女の子の三分の一をセフレにしたりしないんだよ」
「……いつの話だよ」
懐かしい話だ。もう十四、五年も前のことだ。
「うわ、なんですか、それ」
理人が嫌そうな顔をする。
「そのままだよ」
藤乃の手元でブーケが一つできあがる。伝票を貼り付け、水を張ったバケツにそっと置く。
「こいつ、高校のときの小遣い全部ゴムとホテル代に使っててさ。挙句に卒業旅行は俺と免許合宿行ったから、瑞希の本命は俺なんじゃないかって噂されて面倒だったよ」
「は?そんな噂あったのか?」
知らなかった。んなわけあるかよ、気持ち悪い。
「一年のときから散々聞かれてたよ。『瑞希くんの本命って須藤くんですか?』って」
「いや、言えよ」
「やだよ、気持ち悪い」
「女子ってそういう話好きですからね……」
理人も遠くを見ていた。顔が綺麗だから、たぶん俺や藤乃以上にあれこれ言われてきたんだろう。ご苦労なこった。
「理人もあるんだ? 葵がそばにいただろ?」
葵ちゃんは藤乃の幼馴染みの美人だ。大学を出たあと警察官になって、今でもたまに藤乃のところには顔を出すらしいけど。
「葵ちゃん、こいつと付き合ってたん、」
「やめてください。菅野さんだけはないです」
拒否が早すぎる。思わず吹き出したら、嫌な顔をされた。
「菅野さんは女避けです。多少のやっかみはありますが、隣にいても不快になりませんしね」
「じゃあ付き合えよ」
「嫌です。向こうだって絶対に嫌でしょうしね。それに昔のことです。僕にはちゃんと彼女がいますから」
「へえ……」
「とにかく、お見合い相手なんですよね? いずれ結婚するなら、仲良くしてもいいと思いますけど」
「結婚、すんのかな」
「俺に聞くなよ」
藤乃は笑って、今度はアレンジを作り始めた。ぼちぼち年末で、花屋は忙しいらしく、雑談しながらも手は止めない。
藤乃の嫁になった花音は、藤乃の母親と顔見せがてら納品に行ってるらしい。
「まあいいや。帰る」
「はいよ。お疲れ」
「お疲れ様です」
二人に見送られて、店の裏口から出る。
え、結婚すんの? あのおどおどした女と?
結婚するってことはヤんの?
ベッドであの調子で謝られたら萎えるな。
思わずため息をついて、車に乗り込む。
高校生のときに瑞希が「由紀瑞希の本命は須藤藤乃らしいよ」という噂を知っていたら、瑞希✕藤乃√に入ります。
ちょっと気になりますね。
***
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