好きになるのは異性でなくてもいい
夢ではなかろうか。
憧れの人が今、自分の目の前にいる。
指先だけとはいえ、触れあえていることに希美は喜びを感じずにはいられない。
その信利はといえば、希美の返事に、ほっとした表情を浮かべている。
だが何かに気づいた様子で、いつもの淡々とした顔つきへと戻ると、「失礼」と言って手を放してしまった。
もう少し触れていたい。
名残惜しい思いはあるが、今はこれだけでも十分だ。
タイミングを見計らったかのように、テーブルへと男性店員がやってくる。
信利は彼が来ることに気づいて、手を放したのだ。
改めてそれに気づきつつ、店員と信利からおすすめを聞き、希美も注文をしていく。
ドリンクを店員が運び終え、挨拶をして去っていくのを見届けると、信利は希美へと向き直った。
「打木さん。まずは、自分への協力に感謝をさせてください。ですがそれを踏まえて、あなたに聞いておきたいことがあります」
真剣な表情で伝えてくる信利に、自分も応えるべきだ。
意識をしっかりと彼だけに向け、希美はうなずいてみせる。
「以前もお伝えしましたが、自分は女性と付き合うことは考えていません。それでもあなたは、私と友達になってくれるというのでしょうか」
希美だから、付き合わないわけではない。
自分は、女性との交際を考えていないのだ。
希美が傷つかないようにと、信利が悩み、選んで伝えた言葉。
いつもの自分であれば、それに気づけていたのだ。
だが、好意を持った男性を前にしているという極度の緊張は、あらぬ考えを希美に浮かばせてしまう。
気が付けば思った疑問を、希美は彼へとぶつけてしまっていた。
「つ、つまり。一水さんは、男性がお好きということですか?」
言葉の意味を理解するのに、時間がかかっているのだろう。
信利の動きが止まり、信じられないという表情が彼の顔に浮かび上がった。
声が聞こえていた周囲のテーブルの客たちも、自分たちの会話を止めて、その展開を興味深げに眺め始めていることに二人は気づかない。
「え? 私が男性を、……好き?」
途切れ気味に答える信利へ、希美は大きくうなずいてみせる。
「なるほど。だから一水さんは今まで、女性達にお断りを入れていたのですね」
「ちょ、ちょっと待ってもらっていいですか? 打木さ……」
落ち着かせようと前に出してきた、信利の両手を希美はがしりと掴む。
「私の思いが届かないのは、残念ではあります。ですが、安心してください! だからと言って私は、約束を破棄するような女ではありません」
恋人になることは無理だと分かってしまった。
だが、変わりたいと願う彼の気持ちを応援する思いに変わりはない。
手のひらの中に信利への応援の気持ち。
そしてほんの少しだけ失恋の悲しみを込め、ぐっと彼の手を握りしめていく。
掴んだことで知る、男性の大きな手の感触。
自分から彼の手を掴みにいくという、大胆な行為をしてしまった。
今さらながらにそのことに気づくものの、起こしてしまった行動は覆せない。
恥ずかしさをかき消すように、力のこもった声で希美は彼へと話し掛けていく。
「実は私、交際経験がないので、そちらについてのアドバイスは出来ません。ですが! その代わりに、自分に出来うる限りの……」
「ぷっふふぅ、もう無理! なにこの天然劇場は~!」
希美の言葉にかぶさるように、男性の声が後ろから聞こえてくる。
振り向けば、信利のいとこの浦元征明が、すぐそばに立っているではないか。
笑うまいと頬を引きつらせている彼の登場に、希美は慌てて信利の手を放す。
「浦元さん、いつの間に!」
「いや、ごめん。本当は、二人の会話を邪魔せずに聞き続けたかったんだけど」
こらえきれないといった様子で、征明は信利の隣の席へと腰掛ける。
「信兄ぃの目が、死んだ魚みたいになっているからさ。これだけは言っておいてあげようかと」
彼の視線の先を追えば、確かに信利はうつろな目で茫然としている。
「打木さん、兄ちゃんは男が好きっていう訳ではないよ」
「えっ? ……つまり私は、聞き間違いをしてしまったと」
「ごめんね。始めの方の会話を聞いていたわけではないから、その辺は俺にはちょっとわからないんだけど」
隣をちらりと見てから、征明はなぜこの席に来たかを説明してくれる。
二人のことが気になって、何度か希美達へと目を向けていた。
そのうちに「男性が好き」発言が聞こえ、周囲が静まり希美達の会話が聞こえてくるようになったという。
「何ということでしょう。一水さんの話をしっかり聞き届けたい。その思いが強すぎて、全く周囲のことに気が付きませんでした」
思わずつぶやいた言葉に、征明は顔を伏せ肩を震わせる。
「そっ、そうだったんだ。いや~、マジか。打木さん、すごい逸材だわ~」
涙目で顔を上げた征明は、楽しそうに話を続けていく。
当初は驚きつつも、希美達を見守ろうとしていたらしい。
だがその後にも続く希美の発言や、普段みたこともない信利の行動やしぐさに興味が引きつけられ、我慢できずこちらの席まで来たという。
「だってさ、こんな面白いイベント近くで見なきゃ損じゃん。で、その参加料として信兄ぃの誤解を解いておこうと思ったわけ~」
「そうだったのですか。一水さんには、申し訳ないことをしました」
改めてぐるりと見渡せば、周囲の客が自分達から目をそらしていく。
彼の言うことは間違っていなかったのだと、さすがに認識せざるを得ない。
謝らねばと考える希美の前で、ガタリという音が響く。
何事かと視線向ければ、席を立ちあがった信利が、隣にいる征明を驚きの表情で見つめていた。
「うわっ、征明っ! 何で隣に座っているんだ。え、いつの間に?」
「まじかよ兄ちゃん。これってひょっとして記憶が飛んでいるってやつ?」
「記憶? わ、私は確か……」
座り直した信利は、一連の出来事を思い出しているようだ。
赤くなったり青ざめたりする彼の行動を、征明が隣で楽しそうに眺めている。
やがてふらりと立ち上がると、信利は自分たちに話しかけてきた。
「すまないが、外の風にあたりたい。……数分で戻る」
頼りなげな足取りで店の外へ向かう信利の後ろ姿に、希美はおろおろとしてしまう。
そんな自分に、征明は「大丈夫だよ」と声を掛けてきた。
「兄ちゃんてさ、こうやってリセットするんだよ。俺、何度も見たことあるもん。だから俺たちは、ここで待っていればいいからね」
「そう、……なのですね。わかりました」
希美の態度を見て、心配かけまいと言ってくれているのだ。
征明の優しい気遣いが心に沁みる。
礼を述べようと顔を見るも、どうも彼の様子がおかしい。
先程まで浮かんでいた笑顔を消し、なにやら言いたげな表情を自分へ見せている。
「浦元さん、なにかお困りのことでもあるのですか? 私でよかったら、相談やお手伝いが出来ればと思うのですが」
希美の声掛けに、征明は驚きの表情を浮かべると、視線をさまよわせる。
彼の行動をみるに、とても言いづらいことのようだ。
そう考える希美を見つめ、「やっぱり」と呟いてから、征明は口を開く。
「初対面とか関係なく、あんな兄ちゃんの態度を引き出すことが出来た打木さんになら。そう思えたから話をさせてもらうね。……いや、させてください」
言葉遣いと姿勢を正す征明へと、希美は答えていく。
「私に敬語は必要ないですよ。浦元さんのありのままに、思ったことや聞いてほしいことを話してほしいです。だって私と浦元さんは、もうお友達でしょう?」
彼は自分を信頼して、何かを話そうとしてくれている。
ならば彼の思いに、自分も精一杯に応えたい。
話をしやすいようにと微笑んでみれば、彼は目をしばたかせ、ふいと横を向いてしまう。
「浦元さん?」
「えっとその、そうです。ボクタチハ、トモダチデスネ」
「え? なぜそんな急に、たどたどしい話し方に?」
「なっ、何でも! 何でもないから!」
征明はうつむくと、テーブルにあったコップへと手を伸ばした。
そのままぐっと、中の水を一気に飲み干していく。
「あ、それは一水さんの……」
「いとこだからいいんです! だからセーフ!」
「いや、セーフもアウトもなさそうな感じではありますが」
なにやら不可思議な行動を続ける彼に、希美はくすくすと笑ってしまう。
水を飲んだことで、ひとまずは落ち着いたようで、征明もようやく希美へと視線を向けてきた。
「はぁ、まいったなぁ。あ、兄ちゃん帰ってきた」
「本当だ。確かに、いつも通りに戻っているようにみえますね」
行きとは違い、しっかりとした足取りで、信利はこちらへと向かってきている。
改めて話を聞こうと、征明へと希美は尋ねた。
「浦元さん、先ほど言いかけていた話って」
「あ~、うん。そうだよね」
頬をぽりぽりと掻きながらも、視線は信利へと向けたままでいる。
つまりこれは、彼に聞かれたくない話ということか。
希美はそう判断し、征明へと声を掛ける。
「またいずれ、聞かせていただけたらと思います」
希美の答えに、征明は笑って頷いてくれた。
それを見届け、希美は信利へと視線を向けていく。
だから希美は知らない。
そんな自分の後ろ姿を見つめながら、征明がうつむき、つぶやいた言葉を。
「うん、ありがとう。……きっと、いつか」
その言葉は、希美の耳に届くことなく、店の喧騒にかき消されていった。




