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打木希美は前を向く  作者: とは
第一章

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5/30

好きになるのは異性でなくてもいい 

 夢ではなかろうか。

 憧れの人が今、自分の目の前にいる。

 指先だけとはいえ、触れあえていることに希美は喜びを感じずにはいられない。

 その信利(のぶとし)はといえば、希美の返事に、ほっとした表情を浮かべている。

 だが何かに気づいた様子で、いつもの淡々とした顔つきへと戻ると、「失礼」と言って手を放してしまった。


 もう少し触れていたい。

 名残惜しい思いはあるが、今はこれだけでも十分だ。

 タイミングを見計らったかのように、テーブルへと男性店員がやってくる。

 信利は彼が来ることに気づいて、手を放したのだ。

 改めてそれに気づきつつ、店員と信利からおすすめを聞き、希美も注文をしていく。

 ドリンクを店員が運び終え、挨拶をして去っていくのを見届けると、信利は希美へと向き直った。


「打木さん。まずは、自分への協力に感謝をさせてください。ですがそれを踏まえて、あなたに聞いておきたいことがあります」


 真剣な表情で伝えてくる信利に、自分も応えるべきだ。

 意識をしっかりと彼だけに向け、希美はうなずいてみせる。

 

「以前もお伝えしましたが、自分は女性と付き合うことは考えていません。それでもあなたは、私と友達になってくれるというのでしょうか」


 希美だから、付き合わないわけではない。

 自分は、女性との交際を考えていないのだ。

 希美が傷つかないようにと、信利が悩み、選んで伝えた言葉。


 いつもの自分であれば、それに気づけていたのだ。

 だが、好意を持った男性を前にしているという極度の緊張は、あらぬ考えを希美に浮かばせてしまう。

 気が付けば思った疑問を、希美は彼へとぶつけてしまっていた。


「つ、つまり。一水さんは、男性がお好きということですか?」


 言葉の意味を理解するのに、時間がかかっているのだろう。

 信利の動きが止まり、信じられないという表情が彼の顔に浮かび上がった。

 声が聞こえていた周囲のテーブルの客たちも、自分たちの会話を止めて、その展開を興味深げに眺め始めていることに二人は気づかない。


「え? 私が男性を、……好き?」


 途切れ気味に答える信利へ、希美は大きくうなずいてみせる。


「なるほど。だから一水さんは今まで、女性達にお断りを入れていたのですね」

「ちょ、ちょっと待ってもらっていいですか? 打木さ……」


 落ち着かせようと前に出してきた、信利の両手を希美はがしりと掴む。


「私の思いが届かないのは、残念ではあります。ですが、安心してください! だからと言って私は、約束を破棄(はき)するような女ではありません」


 恋人になることは無理だと分かってしまった。

 だが、変わりたいと願う彼の気持ちを応援する思いに変わりはない。

 手のひらの中に信利への応援の気持ち。

 そしてほんの少しだけ失恋の悲しみを込め、ぐっと彼の手を握りしめていく。


 掴んだことで知る、男性の大きな手の感触。

 自分から彼の手を掴みにいくという、大胆な行為をしてしまった。

 今さらながらにそのことに気づくものの、起こしてしまった行動は覆せない。

 恥ずかしさをかき消すように、力のこもった声で希美は彼へと話し掛けていく。

 

「実は私、交際経験がないので、そちらについてのアドバイスは出来ません。ですが! その代わりに、自分に出来うる限りの……」

「ぷっふふぅ、もう無理! なにこの天然劇場は~!」


 希美の言葉にかぶさるように、男性の声が後ろから聞こえてくる。

 振り向けば、信利のいとこの浦元(うらもと)征明《まさあき》が、すぐそばに立っているではないか。

 笑うまいと頬を引きつらせている彼の登場に、希美は慌てて信利の手を放す。


「浦元さん、いつの間に!」

「いや、ごめん。本当は、二人の会話を邪魔せずに聞き続けたかったんだけど」


 こらえきれないといった様子で、征明は信利の隣の席へと腰掛ける。


「信兄(のぶに)ぃの目が、死んだ魚みたいになっているからさ。これだけは言っておいてあげようかと」


 彼の視線の先を追えば、確かに信利はうつろな目で茫然としている。


「打木さん、兄ちゃんは男が好きっていう訳ではないよ」

「えっ? ……つまり私は、聞き間違いをしてしまったと」

「ごめんね。始めの方の会話を聞いていたわけではないから、その辺は俺にはちょっとわからないんだけど」


 隣をちらりと見てから、征明はなぜこの席に来たかを説明してくれる。

 二人のことが気になって、何度か希美達へと目を向けていた。

 そのうちに「男性が好き」発言が聞こえ、周囲が静まり希美達の会話が聞こえてくるようになったという。


「何ということでしょう。一水さんの話をしっかり聞き届けたい。その思いが強すぎて、全く周囲のことに気が付きませんでした」


 思わずつぶやいた言葉に、征明は顔を伏せ肩を震わせる。


「そっ、そうだったんだ。いや~、マジか。打木さん、すごい逸材だわ~」 


 涙目で顔を上げた征明は、楽しそうに話を続けていく。

 当初は驚きつつも、希美達を見守ろうとしていたらしい。

 だがその後にも続く希美の発言や、普段みたこともない信利の行動やしぐさに興味が引きつけられ、我慢できずこちらの席まで来たという。


「だってさ、こんな面白いイベント近くで見なきゃ損じゃん。で、その参加料として信兄ぃの誤解を解いておこうと思ったわけ~」

「そうだったのですか。一水さんには、申し訳ないことをしました」


 改めてぐるりと見渡せば、周囲の客が自分達から目をそらしていく。

 彼の言うことは間違っていなかったのだと、さすがに認識せざるを得ない。

 謝らねばと考える希美の前で、ガタリという音が響く。

 何事かと視線向ければ、席を立ちあがった信利が、隣にいる征明を驚きの表情で見つめていた。


「うわっ、征明っ! 何で隣に座っているんだ。え、いつの間に?」

「まじかよ兄ちゃん。これってひょっとして記憶が飛んでいるってやつ?」

「記憶? わ、私は確か……」


 座り直した信利は、一連の出来事を思い出しているようだ。

 赤くなったり青ざめたりする彼の行動を、征明が隣で楽しそうに眺めている。

 やがてふらりと立ち上がると、信利は自分たちに話しかけてきた。


「すまないが、外の風にあたりたい。……数分で戻る」


 頼りなげな足取りで店の外へ向かう信利の後ろ姿に、希美はおろおろとしてしまう。

 そんな自分に、征明は「大丈夫だよ」と声を掛けてきた。


「兄ちゃんてさ、こうやってリセットするんだよ。俺、何度も見たことあるもん。だから俺たちは、ここで待っていればいいからね」

「そう、……なのですね。わかりました」


 希美の態度を見て、心配かけまいと言ってくれているのだ。

 征明の優しい気遣いが心に沁みる。

 礼を述べようと顔を見るも、どうも彼の様子がおかしい。

 先程まで浮かんでいた笑顔を消し、なにやら言いたげな表情を自分へ見せている。


「浦元さん、なにかお困りのことでもあるのですか? 私でよかったら、相談やお手伝いが出来ればと思うのですが」


 希美の声掛けに、征明は驚きの表情を浮かべると、視線をさまよわせる。

 彼の行動をみるに、とても言いづらいことのようだ。

 そう考える希美を見つめ、「やっぱり」と呟いてから、征明は口を開く。


「初対面とか関係なく、あんな兄ちゃんの態度を引き出すことが出来た打木さんになら。そう思えたから話をさせてもらうね。……いや、させてください」


 言葉遣いと姿勢を正す征明へと、希美は答えていく。


「私に敬語は必要ないですよ。浦元さんのありのままに、思ったことや聞いてほしいことを話してほしいです。だって私と浦元さんは、もうお友達でしょう?」


 彼は自分を信頼して、何かを話そうとしてくれている。

 ならば彼の思いに、自分も精一杯に応えたい。

 話をしやすいようにと微笑んでみれば、彼は目をしばたかせ、ふいと横を向いてしまう。


「浦元さん?」

「えっとその、そうです。ボクタチハ、トモダチデスネ」

「え? なぜそんな急に、たどたどしい話し方に?」

「なっ、何でも! 何でもないから!」


 征明はうつむくと、テーブルにあったコップへと手を伸ばした。

 そのままぐっと、中の水を一気に飲み干していく。


「あ、それは一水さんの……」

「いとこだからいいんです! だからセーフ!」

「いや、セーフもアウトもなさそうな感じではありますが」


 なにやら不可思議な行動を続ける彼に、希美はくすくすと笑ってしまう。

 水を飲んだことで、ひとまずは落ち着いたようで、征明もようやく希美へと視線を向けてきた。


「はぁ、まいったなぁ。あ、兄ちゃん帰ってきた」

「本当だ。確かに、いつも通りに戻っているようにみえますね」


 行きとは違い、しっかりとした足取りで、信利はこちらへと向かってきている。

 改めて話を聞こうと、征明へと希美は尋ねた。

 

「浦元さん、先ほど言いかけていた話って」

「あ~、うん。そうだよね」


 頬をぽりぽりと掻きながらも、視線は信利へと向けたままでいる。

 つまりこれは、彼に聞かれたくない話ということか。

 希美はそう判断し、征明へと声を掛ける。


「またいずれ、聞かせていただけたらと思います」


 希美の答えに、征明は笑って頷いてくれた。

 それを見届け、希美は信利へと視線を向けていく。

 

 だから希美は知らない。

 そんな自分の後ろ姿を見つめながら、征明がうつむき、つぶやいた言葉を。


「うん、ありがとう。……きっと、いつか」


 その言葉は、希美の耳に届くことなく、店の喧騒にかき消されていった。

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