彼女にも秘密はある
かなりお久しぶりとなりますが、番外編を投稿いたします。
穏やかな話となりますので、どうぞゆるりとお楽しみくださいませ。
「いいかい、兄ちゃん。大切なのは『慣れ』だよ」
自分の向かいの席に座った浦元征明が、人差し指をびしりと一水信利に突きつけてくる。
今回の苦手克服計画の集合場所は、野小納市にある喫茶店。
この店へと、集合時間の十五分前に来るようにと連絡を受けたのが昨夜のこと。
「苦手も慣れれば、そうでなくなってくる。それは分かってはいるつもりだ、しかし」
「しかし、じゃ~ありません!」
腕組みへと体勢を変え、むすりとした表情で征明が答えてくる。
「兄ちゃんの目標は何ですか? はい、すぐ答える!」
「……女性と話ができるようになる」
「だよね。希美ちゃんのおかげで、改善は出来てはいる。その自覚は?」
「進歩はしている。……と、自分でも思う」
「そう! だから俺は兄ちゃんに、今日はある目標を作ってきました」
『だから』の意味が分からない。
その思いが顔に出ていたようで、「真面目に聞く!」と彼からは厳しい声が掛けられる。
「今日は、兄ちゃんのみにミッションを出します。そのために彼女より早く、ここに来てもらったんだ。今回のテーマは、『褒める』だよ!」
「無理だ。この場で腹筋千回の方が、まだ実行できる可能性が高い」
「最初っから心折れないでよ。体だけでなく、言葉も鍛えていきなって。大丈夫、ちゃんとヒント上げるから!」
「ヒント? どういうことだ?」
こちらの反応に、征明はにんまりと笑う。
「褒めようって意識しすぎるから、何も出て来ないんだよ。日常会話からさりげなく、そっちの方向へもっていけばいいんだ」
「それが出来れば、とっくにしている」
「まぁまぁ、話はこれからだよ」
征明が、鞄から紙とペンを取り出してくる。
「兄ちゃんが今までに希美ちゃんと過ごして、すごいとか驚いたこと。これをまず挙げてくれる? こうして文字にしておけば、言いやすくなるでしょう?」
「それが今日の課題に繋がるのか?」
征明は、紙をペンでコツコツと叩く。
「もちろん! この『褒めポイント』を覚えておけば、自然に会話として組み込んでいけるでしょう?」
なるほど、一理ある。
順序が分かれば、確かに自分も褒めやすくなるではないか。
今までの出来事を、信利は思い返していく。
「そうだな。まず、料理がうまい。公園での弁当は、本当に美味しかった」
「そうだったよね! あぁ、また作ってもらえないかなぁ。でもあれだけの量は、さすがに大変だよね」
信利以上に堪能していた征明が、当時を思い出し、幸せそうに口元を緩めながら『料理上手』と紙に書きとめる。
「その時のリュックの運び方、あれもすごかった」
「うっ、確かに。あれだけの大荷物を背負って、どうして軽やかに走れるんだろう」
怪力。
その単語が追加されるのを見て、信利は眉をひそめる。
「それは果たして、褒めに繋がるのか?」
はっとした表情で、征明はバツ印を打つと、「力持ち?」という言葉に書き換える。
「何で疑問形なんだ、そしてそれをどう褒めていけと?」
「そうだね、俺もなんか分かんなくなっちゃってき……、ってやばい! 希美ちゃん、もうすぐ店に入ってくる!」
彼の言葉に店の入口へと視線を向ければ、自分達を探している打木希美の姿が目に入る。
征明は信利の隣へ座り直すと、紙を押し付けるように握らせてきた。
「希美ちゃんの集合時間、もっと遅めにしておくべきだった。いい? あくまで『会話から自然に』だからね」
「分かった。最善は尽くす」
大きく頷いてから征明は、希美へと手を振る。
それに気づいた彼女は、はにかみながらこちらへとやってきた。
「すみません。私が一番最後ですね。お待たせいたしました」
「大丈夫。俺達も今、来たばかりだから」
何やら満足げにそう告げると、征明は希美へとメニュー表を渡した。
そういえば以前、今の言葉を言ってみたかったと征明が話していたのを信利は思い出す。
「兄ちゃん、希美ちゃんがメニューに気を取られている今がチャンスだよ。ミッションスタートだ」
耳元でささやく征明の声に、慌てて紙を読み返す。
信利の様子を見届けた征明は、ぱんと軽く手を叩き、希美へと視線を向けた。
「ねぇねぇ、希美ちゃん! 伊織公園、また行きたいよねぇ」
「はい、私もそう思います! 天気がよかったから、すごく気持ちよかったですね」
征明が会話のきっかけを作ってくれている。
まずは、料理がうまい。
ここから始めていくとしよう。
「打木さん、先日の公園での弁当。とても美味しかったです」
希美の持つメニューがゆっくりと下がっていき、次第に真っ赤になった彼女の顔があらわれてくる。
「……どうしよう、すごく嬉しい。あっ、ありがとうございます!」
ひまわりのような眩しい笑顔が、こちらへと向けられる。
幸せそうな表情を見ていると、自分まで温かな気持ちが満ちてくるものだ。
なんだ、案外するりと言えるではないか。
隣を見れば、机の下で征明がサムズアップをしてくれている。
「お二人がいいって言ってくれるのでしたら、お弁当また作ってこようかなぁ」
顔を赤らめたまま呟く希美の言葉に、征明が立ちあがる。
「ほんとに! 本当にいいの? 実は俺、もう一回食べたいって、すごくすごく思ってた!」
今度は隣の席で、一回り大きなひまわりが咲き出す。
穏やかな雰囲気に、つい気が緩んでしまったのは否めない。
気が付けば、信利の口からは話すつもりのなかった言葉が、ついぽろりと飛び出してしまっていた。
「そうそう、それにあの時のリュックの怪り……」
あわてて口を閉じるも、時すでに遅し。
「えぇと、……あの時のリュックに、何かありましたっけ?」
彼女は首をかしげていく。
『えぇ。あなたがリュックを軽々と運んだ際の怪力ですよ』
さすがにこれは言ってはならない。
助けを求め征明を見るも、希美の弁当が食べられるかもという喜びに浸り、会話を全く聞いていない。
正面を向いたまま、幸せそうに彼は微笑み続けている。
まずい、自分で何とかしなければ。
ここはポジティブに言葉を変換して、褒めていく作戦でいこう。
「リュックを背負っている時に思ったのですが。……打木さんの運動神経は、たいしたものですよね」
これで何とかごまかせたはず。
そう思い彼女の顔を見るも、不思議そうな表情は変わらない。
「えぇっと。あの日は別に、何か運動をしていたわけではなかったですよね? 一水さんは、どうしてそう思われたのでしょうか」
なんということだろう。
あれだけの重量のリュックを背負い、軽々と走っていたという自覚が、彼女にはないというのか。
「……ご両親はアスリートですか?」
何とか会話を。
絞り出した支離滅裂な言葉は、彼女の困惑を招くばかりだ。
それでも希美は、真面目に答えようとしてくれる。
「うちの両親は特に運動をしているわけでは……、ないですね? 一水さんはうちの両親に、何か興味があるのでしょうか?」
「いえっ、その! 男性二人と出かけている。これをご両親はその、心配しているのでは、……なかろうかと」
次第にうつむき、声が小さくなってしまう。
ここにきてようやく、我に返った征明が会話へと参加してきた。
「ご、ごめん兄ちゃん。ちょっと俺、心が遠い世界に行っちゃってて。……あれ、希美ちゃん大丈夫?」
征明の声に前へと向き直れば、正面に座る希美の顔色が悪い。
「希美ちゃん、体調がすぐれないのだったら、今日は解散をして……」
労わる様子で声を掛ける征明へと、希美は手のひらをぐっと掲げていく。
「……いえ、大丈夫です。一水さん、浦元さん」
自分達を見上げる希美の表情は、真剣そのものだ。
「お二人に話していなかったことがあります。一水さんの言う『家族の理解』についてです」
家族の理解。
その言葉に、信利の心臓はどくりと跳ねる。
自分であれば、最も触れて欲しくない部分。
それを軽々しく発した言葉のせいで今、彼女に語らせようとしているのだ。
青ざめた信利の表情に、雰囲気でまずいと察した征明が口を開く。
「あのね、希美ちゃん! 言いづらい話であれば、無理をしなくていいんだよ」
「いえ、聞いてほしいのです。といいますか」
唇をぐっとかみしめ、彼女は言葉を続ける。
「これは私からの懺悔です。やはり言わないでいるのは卑怯ですから」
懺悔、卑怯。
穏やかな彼女から出てくるとは思えない言葉を、信利たちはただ聞くことしか出来ない。
小さくため息をつき、震える声で希美は話を始めていく。
「先日のお弁当。……あれは、自分一人で作ったものではありません」
「……はい?」
……彼女は、何を話しているのだ。
予想外の内容に、先程とは違う意味で言葉を失う。
「本当は、もうちょっと少ない量でお弁当を作るつもりでした。ただ早朝、……といいますか夜明け前に、台所で私が準備をしていることに母が気づきまして」
事情を聞いた母親は、「希美に友達が出来た!」と大喜びで叫んだのだという。
その声に父親までが目を覚まし、同じく「あの人見知りの希美に友達が!」とさらに喜びを爆発させたというのだ。
「その後の両親はすごかったです。母は我が家のありったけの材料を使い私の準備を手伝い、父は二十四時間スーパーへと買い出しに走り、更に食材を追加で買ってきてくれました」
「……いっ、一家総出」
征明の口からぼそりと出た言葉は、自分が思っていたものと全く同じだ。
「『お弁当を作った』。これは嘘ではありません。ですが家族の協力で作ったということを伝えなかった。ずっとそれを後悔していまし……」
「……ぷっ、うぷぷぷぅ。だめっ! もうだめ~!」
希美の言葉にかぶせるように、征明の口から笑いが溢れ出していく。
「なんだよー、心配して損しちゃった! あははは!」
よほど安心したのだろう。
征明の顔に浮かぶのは、心からの安堵だ。
自分たち二人はそれぞれ、『家族』に対し、深い心の傷を負っている。
だが彼女が、そんな思いを知ることなく過ごせていること。
その事実に覚えた感情は、間違いなく『喜び』と呼ぶものだ。
自分たちの態度に、彼女は恐る恐る尋ねてくる。
「あの、私が隠していたことを、怒らないのですか?」
「そんなわけないよ~。お父さんたちにありがとうって言っておいてね!」
からからと笑い、征明が自分を見つめてくる。
彼の表情に、信利は同じことを思っていることに気づくのだ。
『あぁよかった、彼女は愛されている』と。




