指さす先には何がある その3
信利に見られてしまった。
心配を掛けたくなかったからこそ、席を外していたというのに。
後悔と共に、征明は唇をかみしめる。
「……寛次君、あなたの声が外まで聞こえてきていました。もう少し行動を慎んでもらいたい」
「こっ、これはそのっ! すみません、……信利さん」
自分が尊敬し、憧れをひそかに抱く信利からの苦言を受け、寛次は動揺を隠しきれない。
名を呼ばれた信利は、洗面台に手をつく征明と、うつむいたままの直治へと目を向ける。
「……寛次君。これは一体どういうことですか?」
すがるように信利を見つめながら、寛次は口を開く。
「信利さん。これはですね! 征明が、父に暴力を振るっているのが見えたものですから」
寛次の言葉に、信利は直治へと視線を向けていく。
「直治おじさん、寛次君の言うことは本当ですか?」
「……いや、暴力ではない。征明が手に触れていたのを、息子が勘違いをしてしまっただけなんだ」
有持との接点が欲しい直治としては、今は征明をぞんざいに扱うわけにはいかない。
その思惑もあり、直治は寛次をかばうことなく答えていく。
いつものように、自分に有利な発言をしてくれるはずだ。
事情を知らず、そう思っていた寛次は、父親の言葉にまさかという表情を浮かべている。
「私どもは少し、冷静になる時間が必要だ。申し訳ないが、息子と二人にさせてもらいたい」
しぼりだすように語る直治に、信利は頷き、征明の元へとやってくる。
「わかりました。じきに母もやってくることでしょう。それまでに戻ってきていただければ」
「すまない。和葉さんが来るまでには必ず」
「はい。では、よろしくお願いします」
信利は征明の肩に手を置くと「大丈夫か?」と声を掛けてくる。
一番心配を掛けたくない相手を悲しませた。
ふがいなさから、征明は小さな声で答えてしまう。
「兄ちゃん、ごめん。……ごめんなさい」
厳しい顔つきをしていた信利の表情が、ほんの少しだけ和らぐ。
「さっきも言っただろう、気にするな」
空いた手の甲で信利は、征明の頭をこつりと優しく叩いてきた。
感情を表に出すことなく、常に冷静にふるまう。
そんな信利の姿しか知らない八名親子は、唖然とした顔を征明達へと向けてきた。
穏やかなまなざしなど、他人に見せることがない。
氷のような男だと思っていた信利が、このような行動をするとは。
直治達の表情が、語らずともそう思っていることを伝えてくる。
親戚とはいえ、あまり心を許していない彼らの前で、まさかのふるまい。
征明も思わず、信利の顔をまじまじと見つめてしまう。
目が合った信利は不思議そうにしていたが、やがて自分の行動に気づく。
自身の手と征明の顔を交互に見やった後に、顔を赤く染めると気まずそうに咳払いをしはじめた。
「その、なんだ。……すまない」
ぽかんとした顔で彼を見ていた征明の口元が、自然とほころんでいってしまう。
――あぁ、そうか。
こんな表情が出来るくらいに……。
征明の心に、信利を変えていった、彼女の姿が浮かぶ。
「なんかさ、兄ちゃん本当に変わって来たよね。あぁ、もちろんいい方向にだよ」
希美と出会い、自分はどれだけこの言葉を彼に伝えてきただろう。
いや、信利だけではない。
ほかならぬ自分自身もなのだ。
より良くありたいと願い、真っすぐに取り組む。
そんな彼女の姿は、傍で見つめる自分の心を揺り動かしてやまないのだ。
自分はとうに失くしたと思っていた感情。
それがあの子といる時に、ふと浮かび上がってくるのだ。
初めてそれに気づいた時、感じたのは後ろめたさと苦しさ。
でも同時に、まだわずかにでも心に残ってくれていたのが、なぜだかとても嬉しくて。
それから少しずつ、打算などなく、自分の為だけにありのままに『笑う』ということ。
これが取り戻せていると自覚した時の感情は、今も言葉に出来ないほどだ。
これからも彼女と一緒に、新たな気づきや出会いを手に入れていきたい。
その願いを込め、征明は信利を見つめる。
困り顔ながらも優しく笑う信利の心にも今、きっとあの子の姿がいるに違いない。
今ごろ彼女は、何をしているのだろうか。
この会が早めに終わったら、希美に連絡を取ってみよう。
会えなくてもいい、ただ電話でありがとうと伝えるだけでも……。
ささやかな計画を立て、淡い喜びを抱く征明へと、不快感をあらわにした寛次の声が届く。
「……なんでだ。何でこんなことになるんだよ」
憎々し気な視線を征明に向けたまま、寛次は信利へと問いかける。
「なぜですか、信利さん? どうしてあなたは、この男をここまでかばうのです!」




