手を伸ばすのは怖くない
自分の過去を聞いてほしい。
征明からの言葉に希美は戸惑う。
理由を尋ねようと口を開きかけるも、信利の声でそれはさえぎられる。
「待ちなさい、征明。一体どういうつもりで、そんなことを!」
強い口調にもひるむことなく、征明は信利へと笑いかける。
「だって俺、希美ちゃんに約束したもん。『あとで説明する』ってさ」
「それとお前の過去が、どう関係してくると?」
「まぁ落ち着いてよ、兄ちゃん。それも説明していくからさ」
笑顔のまま、征明は希美へと視線を向けてくる。
「俺さ、小さい頃に親がいなくなっちゃって。それで、兄ちゃん家に引き取ってもらったんだ。俺の母親と和……、じゃなかった。兄ちゃんのお母さんが姉妹だったからさ。その繋がりでね」
まるで世間話でもするような軽い口調で、征明は話を始める。
だがこれは、たやすく返事が出来る内容ではない。
言葉をかけるのにもためらいが起こり、希美は黙って話を聞くことしか出来ない。
そんなこちらに様子に気づいたのか、征明は口元を押さえ言葉を止めた。
小さく息をはいて、「ごめんね」と呟き、彼は話を続けていく。
「背も小さくひょろひょろで、なにも出来ない子供だった。それもあって周りから結構、からかわれたりしちゃってね。あの時は、まぁまぁ辛かったなぁ。今だから言えるけど、当時は人が怖くて仕方がなかったよ」
「征明、お前は……」
信利にそっと視線を送り、征明は再び口を開く。
「そんな時にね、兄ちゃんが『二人で強くなろう。体を鍛えれば、意地悪を言ってくる人はきっといなくなるから』って言ってくれたんだ。それで二人でスポーツやら護身術やらを習い始めてね。おかげで人並みの運動神経と、ある程度の危険な物や人からは逃げられるような力を身につけることが出来たんだ」
人並みと言っているが、希美が見る限り、征明の運動神経は実に秀でたものだ。
「鍛えることで体が大きくなる。それだけでも、周囲の反応は変わってくるんだ。それによって心にも、余裕が出来るようになった」
人差し指でこめかみの部分をとんとんと軽く叩き、征明はにこりと笑う。
「それからは周りをよく見るように、どうしたらいいかを考えていくようにしてみた。『あぁ、今はこうしたらいいんだな』とか『この人はこれをしてほしいのかな?』っていうのを掴めるようにって。だから今の俺があるのは、兄ちゃんのおかげなんだ」
征明のコミュニケーション能力の高さと、彼らの身のこなしの理由に、そんな事情があったとは。
今に至るまでの彼らの努力に、希美は驚きと尊敬の念を抱く。
だが、驚いているのは希美だけではなかった。
むしろ自分以上に、その感情をあらわにした信利が、絞り出すように彼の名を呼ぶ。
「征明、私は……」
「ふふっ、びっくりしちゃった? こんなこと言うの俺、初めてだもんね」
征明は、困ったような笑顔を信利へと向けた。
「どういうつもりでこんな話をするんだ。兄ちゃんはさっき、そう聞いてきたよね。今言わないと、大切なことを知ることがないまま終わるんじゃないか。そう思ったからだよ」
「何を言っているんだ。別に終わらせるなどとは……」
「違うでしょ? 『終わらせる』ではなく、兄ちゃんは今、この三人での集まりを『自然に終わらせよう』と考えていない? 次からの約束を、何かしら言い訳をつけて、来ないつもりでいるんじゃないの」
「……」
「やっぱそうかぁ。まぁ、『違う』って嘘つかれないだけよかったよ。俺も勇気出して、この話をして正解だって改めて思えた」
信利へと、征明は小さく笑みを向けた。
「お互いに家を出るまでは、ずっと一緒に過ごしてきたよね。けど、俺がこんなふうに思っているなんて、全く知らなかったでしょ? 思っていても、言わなきゃ伝わらない。分からないままなんだ」
胸に手をあて、征明は目を閉じる。
「そしてそれは、時によっては本当の気持ちに気づかず、相手のことを誤解したままになってしまう」
再び目を開くと、征明は希美と信利を交互に見つめてきた。
「兄ちゃんたち二人は、とても良い成長をしているよ。それを今、ここでやめちゃうの? 俺はそれはだめだと思う。きれいごとで言っているんじゃない。『この三人だから』そう思うんだ」
征明の言葉に、希美は大きく心を揺さぶられる。
『必ず説明するから』
語ることも辛いであろう過去の話を、彼は自分たちのために話してくれた。
目をそらしていては、本当のことを知ることは出来ない。
そしてそこには、見落としてはならないことがある。
征明は自分達に、それを伝えてくれているのだ。
彼の思いに、自分も向き合いたい。
こみ上げる感情のまま、希美は二人へと声を掛けていく。
「浦元さん。私もこれからも三人で、たくさんの思い出を作っていきたいです。そして、……一水さん」
ごくりとつばを飲み込み、信利へと希美は顔を向ける。
「もっと早くお話をすべきでした。私をかばったせいで、怪我をさせてしまいごめんなさい。その怒りもあり、私と話をしたくないのだとはわかっています」
信利は、自分を驚きの表情で見つめてくる。
「これからは、一水さんに迷惑をかけないように気を付けます。ですので、どうか」
「待ってください! その、……違うんです」
ひどく慌てた様子で、信利は希美へと話し始める。
「まずは誤解を解かせてください。私は打木さんに対して一切、怒ってなどいません」
「え? ならばどうして、あれから私とお話をしてくれなくなったのですか」
「そのっ、それはですね」
信利は気まずそうに視線をさまよわせたが、やがてため息をついて希美へと顔を向ける。
「あなたの前で人に暴力をふるい、怖い思いをさせました。そ、そのうえ」
信利は自分の鞄から、希美の缶ケースを取り出してきた。
真っ青な顔で、ケースを差し出すその手は震えている。
「あなたの大切な持ち物を、こんなふうにしてしまいました。いや、正確にはあの男がぶつけてきたのですが」
征明と共に眺めれば、叩きつけられた衝撃でケースは歪んでいる。
――こらえなければいけない。
そう思いつつ、征明へと視線を向ければ、思うところは同じだったようだ。
口元を押さえ、うつむく彼の肩は小刻みに揺れている。
信利は、気づいていないのだろうか。
衝撃によりへこんだ箇所が、ちょうど猫の額部分であるということを。
それにより猫のイラストが、まるでにらみつけるような顔になってしまっているということに。
ゆるい表情のイラストだけに、そのギャップは強烈だ。
現に自分も征明も、笑いをこらえるのに必死になっている。
何も話さず、うつむく自分達に信利の打ちひしがれた声が聞こえてきた。
「やはり自分は、ここにいてはいけない人間だったん……」
「「ちょっと待ってぇ!」」
希美と征明の声が同時に響き、示し合わせたかのように二人で立ち上がる。
まさかの一致した行動と言葉に驚きながら、希美は信利へと語り始めた。
「誤解です、それ全くの誤解ですからっ! 浦元さんの言うとおりでした。こうして口に出して、伝えることって本当に大切ですね」
征明が着席するのを見届け、信利へと希美は語り始める。
「私は、助けてもらって感謝しています。一水さんを怖がることなど、決してありません」
希美の言葉に、信利はまさかという表情を向けてくる。
迷子の子供が親を見つけたような、すがるような瞳。
いつもとはあまりに違う様子は、希美の心臓を大きく跳ね上げるには十分だ。
『クールから可愛いに変わる、そのギャップは卑怯です』
そう言いたくなるのを、首を横にぶんぶんと振り、唇をぐっと結んで何とかのみこむ。
「あっ、その顔、可愛い」
自分と同意見であろう征明の声を聞きつつ、希美は信利の持つケースへと目を向ける。
「このケースは一水さんが、私を守ってくれたという証です。女性が苦手だというのに、一水さんは私を助けてくれました。これは、苦手を克服しつつあるということではないでしょうか」
伝えなければならない。
感謝もだが、なにより本人が気づいていない、彼の行動と成長のことを。
「前向きになろうという目標へ、一水さんはきちんと進めているんです。そしてそんなお二人との時間を私は、とても楽しく過ごせているんですよ。これってすごく恵まれていて、素敵なことではありませんか?」
征明へと視線を向け、希美は口を開く。
「浦元さんは言ってくれましたよね。会えるのが楽しみだって。私もっ、……私もなんです! 次に会う時に、どれだけ自分は成長できるだろう。お二人とどんな会話をして、笑ってそれで、……えっと」
言葉を止め、前を見る。
柔らかな表情の征明と、かすかな戸惑いを浮かべた信利へと、希美はぎこちないながらも笑ってみせた。
「次に見てもらえる私は、どんなふうに変わっていくのだろうって楽しくなるんです。お二人と出会い、話した言葉が、起こった出来事が。私達をもっと、素敵にしてくれるんだろうなぁって」
緊張もあり、うまく話せている自信はない。
でも、大丈夫だ。
なぜならば、希美の話を聞いてくれている二人の表情は。
自分を見つめてくる彼らは、とても優しい顔をしているのだから
静かに、でも力強く。
自分は前を向き、進めている。
彼らの視線が、何よりそれを教えてくれているのだ。
「私はこれからも、この時間を積み重ね、歩んでいきたいです。そしていつかお二人に、成長できたねって褒めてもらえるようになりたい。だから」
ゆっくりと頭を下げ、素直な思いを口にしていく。
「続けていきたいです。知らないことを、三人でたくさん覚えていきたいんです。だからこれからも、私の成長を見ていてもらえませんか」
顔を上げれば、満面の笑みと共に征明の手が、希美へと差し出されている。
視線を隣へと向ければ、少し照れながらも、こちらを見上げている信利と目が合う。
そんな彼の手も同様に、まっすぐに自分へと伸ばされているのだ。
――あぁ、あの時のようだ。
希美は、自分の手のひらを見つめながら思い返していく。
『自分と友達になってほしい』
初めてそう信利に話し、彼へと手を伸ばした時と、この状況が重なる。
あの時の彼は、たどたどしく自分の指にそっと触れてきただけだった。
でも、今は違う。
力強く差し伸べられた信利の手が、なによりも自分達の成長を示してくれているではないか。
三人だからこそなしえた、この『今』に感謝しながら、希美は両手を二人へと伸ばしていく。
優しく握りしめてくれる彼らの手は、とても温かい。
だから希美は溢れ来る気持ちを、伝えずにはいられない思いを、しっかりと口にしていくのだ。
「ありがとうございます。これからも皆で、素敵な景色を見つけていきましょうね!」




