その手は振り払えない
「あっ、見つけた! 希っ美ちゃ~ん、お待たせしました!」
快活な声と共に、征明が希美の元へと近づいてくる。
すぐさま希美は立ち上がると、征明へと駆け出していく。
「浦元さん、よかった。あの、怪我とかはしていませんか」
「うん、俺はあのおじさんと話をしただけだから。それでえっと、あの人についてなんだけど。希美ちゃんは、職員さん達に話とかしてる、……よね?」
不安そうに尋ねてくる征明に、希美は首を横に振る。
「いいえ、何も話していません。お二人と相談してからの方がいいかと思って」
「そっか。こんな言い方はよくないんだけど、正直ちょっと安心したよ」
話さずにいて、よかったようだ。
改めてその認識をしつつ、征明へと希美は答えていく。
「正当防衛ではあったのですが、確認してからの方がいいと考えました。ところで、一水さんの姿が見当たらないのですが」
征明が歩いてきた方向を見やるも、信利が現れる様子はない。
「ま、まさか。あの時に私をかばった怪我で、動けなくなっているとか!」
たまらずそのまま走り出せば、後ろから「大丈夫だよ」と声が聞こえてくる。
振り返れば、征明が苦笑いをしながら、自分へと手招きをしているのが見えた。
「心配しないで。いつものやつというか今、風にあたって心を落ち着かせているだけだから。ほら、俺と会った時もそうだったでしょ?」
「あぁ、確かに。一水さんはそうやって心のリセットをすると言っていましたね」
征明と初めて出会った店での出来事を、希美は思い返していく。
「希美ちゃんにとっても、兄ちゃんの行動は予想外だったでしょ? 多分、そんな姿を見られたことで動揺しちゃったんだと思う。もう少ししたら、ここに来るだろうから心配しないで。それで、さっきの話なんだけど」
ためらいがちに、征明は言葉を続ける。
「あのおじさんだけど、反省はしていてね。本来は警察とか、ここの人達に引き渡すのがいいとは分かってるんだ。けど兄ちゃんの反撃で、まあまあな怪我しちゃって。そのこともあって、お互いに相殺ということで話を決着させたいと思っているんだ。一応こちらは、相手の住所や名前を免許証で確認している。それでこの件にこれ以上、希美ちゃんを巻き込みたくない」
唇をかみしめ、征明が目を伏せる。
「……だから、相手の情報は教えられない。あんな怖い思いをさせておいて、酷いことを言っているとは思うけど」
「そんな! むしろ迷惑をかけたのは私です。最初に話しかけられた時に、相手にせず事務所に向かえばよかったのですから」
思えば、自分が缶ケースを使い、相手の真意を探ろうとしたのが発端ではないか。
申し訳なさに、希美は顔をうつむかせる。
「希美ちゃん。それについては、あまり気にしないで。まさかあんな展開になるなんて、誰も想像できなかったでしょう? だからね」
ぽんと肩をたたかれ、希美は顔を上げる。
「お互いに、『ごめんなさい』で終わらせようよ。まずは俺からね、怖い思いをさせてごめんなさい」
希美に向けて征明は頭を下げると、にっと笑いかけてくる。
「次は希美ちゃんだよ。そうだな、『こんな素敵な浦元さんの魅力に、今まで気づけずにごめんなさい』でどうだろう?」
「え? えっと……」
まさかの発言に、希美は戸惑う。
随分とふざけた言葉だが、これは自分が落ち込まないようにという配慮だ。
その優しさに、今回は甘えさせてもらおう。
希美は、征明を見上げ大きくうなずいてみせた。
「はい。ではいきます! こんな……」
ところがいざ話し出そうとすると、言葉の意味を意識せずにはいられない。
動揺もあり、実にたどたどしい言い方で、希美は征明へと話しかけていってしまう。
「こんな、すてきな、うっ、うらもとさんのみりょ……」
「ちょっと待って。なんでそんな、言葉を覚えたての子供みたいになっているの?」
「す、すみません。なんだか照れが出てしまって」
自分のおかしな言動を説明するという行為に、希美の頬はどんどん熱くなっていく。
そんな自分に、彼はくすくすと笑いながら言うのだ。
「やっぱり希美ちゃんは、他の子とは違うよね。初めに兄ちゃんといた時にも思ったんだ。この人なら兄ちゃんを変えることが出来るんじゃないかって」
「変える、ですか?」
「うん、そう。希美ちゃんに会ってから、兄ちゃんすごくいい方向に変わってるんだよ」
「そうなのですか。でもそれは私だからというわけではなく、一水さんが努力をしているからだと思いますよ」
けれどももし、自分の存在が影響していてくれたら。
そんなことを思い小さく微笑めば、同じように征明も笑顔を返してくれる。
「兄ちゃんだけじゃないんだ。俺も希美ちゃんから、たくさんの気づきをもらえている。それが嬉しくて。だから会えるのが本当に楽しくて」
征明の手が希美へと向かい、そっと頬を撫でてくる。
「今までの自分から解放されて、新しい自分になれるんじゃないか。そんな期待を、……してしまうんだ」
これまでされたことのない行動に、驚いたということもある。
だが、すがるようなまなざしがあまりにも寂し気で。
声を出すことも出来ず、希美は征明をただ見つめることしかできない。
やがて名残惜しそうに彼は手を下ろすと、希美の後ろへと声を掛ける。
「おかえり。少しは落ち着いた?」
「あぁ、……少しだけだがな」
聞き覚えのある、だがどこまでも冷たい声に、思わず希美は振り返っていく。
視線の先では信利が、硬い表情を浮かべ、自分たち二人を見つめていた。
だが征明の方にばかり視線を向け、彼は自分とは目を合わそうともしない。
「い、一水さん?」
動揺から、震えた声が出てしまった。
そんな自分に信利は、はっと顔色を変える。
「も~、兄ちゃんってばいつまで待たせんのさ。俺、お腹がぺっこぺこなんだけど~」
重苦しい空気をとりはらうように、明るい口調で征明が信利へと歩み寄ると、背中をぐいぐいと押していく。
「征明、私はこのまま帰らせてもら……、ってうわぁ!」
「い~や~で~すぅ! さ、希美ちゃん着いてきてね~、レッツゴー!」
征明に促されるまま、希美は足を動かす。
先程の信利の態度は、自分を避けていたのではなかろうか。
その不安を抱えつつ、希美は彼らの後を追うのだった。




