新しい自分を見せるのは勇気がいる その7
右手に缶ケースを握ったまま、苦悶の表情を浮かべている男を信利は冷ややかな目で見下ろす。
いつまでもこんな男に、彼女の物に触れていてほしくない。
男の傍にしゃがみ込みながら、信利は持ち主である希美のことを思う。
突然に悪意をぶつけられ、どれだけ怖かったことか。
感情的な行動をとりそうな自分を抑え、男の手からケースを取り戻す。
情けない声を上げた男は、上半身を起こすと、尻をついたまま後ずさりをし始めた。
逃がすまいと立ち上がる信利の後ろから、シャッター音が聞こえてくる。
振り返れば、征明がスマホで男の写真を撮っているのが目に入った。
「ねぇ、おじさん。よくもまぁ、あんなひどい行動が出来たものだね。あなたの姿、しっかり撮らせてもらったから」
笑顔で近づいてくる征明の姿に、男は恐怖を感じているようで、ガタガタと震えだしている。
「あれぇ、なんでそんな驚いているの? ん? おじさん、服にいっぱい芝がついてんじゃん」
征明は男の前でしゃがみ込むと、彼の服に付いた芝や汚れをはたきだした。
まさかの行動に、男はこわばった表情で、されるがままになっている。
あらかた取れたところで、征明はパンパンと両手を叩き「さて」と呟いた。
「大丈夫、警察に届けたりなんかしないからさ」
予想外の言葉に驚く男へ、征明はぐっと顔を近づける。
笑顔を消した彼は、男の耳元へと低く囁く。
「警察なんて、そんな生ぬるい方法であんたを逃がすわけないだろう。あんたの顔写真をさっき、俺の『知り合い』達に送ったんだ」
男が目を見開く様子を、征明は愉快そうに見つめる。
「あんたが警察に行きたいというのであれば、そうすればいい。自分が何をしたのか、じっくりおまわりさんに聞いてもらいなよ。けどね」
カシャリ、と再びシャッター音が響いた。
その音に怯えたかのように、男がわずかに後ずさる。
「そんなくだらない行動をしたら。これから先、いつお前の元に俺の知人や友達が遊びに行くかわからないよ。あぁ、その時には缶ケースなんて可愛いお土産で済むなんて思わないでね? だってお前は」
距離を詰めた征明が、男の肩に手を置く。
征明の後ろに立っていることもあり、彼の表情は見えない。
だが、彼と目を合わせている男が、尋常ではない怯え方をしていることに信利は気づいた。
「俺の大切な人達に、あんなひどいことをしたんだ。許すはずないだろう。だからお前のことは、逃がさない。……絶対にだ」
確かに、この男に対しての怒りはある。
だが、征明のこの行動はいくら何でもやりすぎだ。
いつもの彼は人一倍気を遣い、優しさを持ち合わせた人間だというのに。
普段とは真逆の行動をする彼に、信利は戸惑い気味に声を掛けていく。
「なぁ、どうしたんだ。お前、いつもと様子が……」
「ひっ、ひぃぃ!」
信利の言葉で我に返った男が、飛び起きざまに走り去っていく。
追いかけようとする信利へ、余裕ありげに征明から「大丈夫だよ」と声が掛けられた。
「多分、あいつは警察にはいかない。それに近いうちに、あいつの住所や名前も手に入るだろうから」
自分へと語る彼の姿は、いつもとは全く違う冷淡なものだ。
「今、警察に引き渡しても、大した処分もなくあいつは解放されるだろうね。その時に逆恨みをして、危害を加えられる可能性が一番高いのは俺達三人。……いいや」
征明の言葉に、信利は続ける。
「あいつは弱者を狙うタイプの人間。一番危険なのは、打木さんということか」
「そう、だからあいつが俺達に手を出させないように。『決して手を出してはならない』相手である。これを分からせる必要があった」
なんということだろう。
彼はそこまで考え、あのような冷酷な人間のふりをしていたのだ。
それなのに、まるで別人のようだなどと思ってしまった自分が情けない。
「すまない、征明。私はお前に、嫌な役割をさせてしまっていたのだな」
彼一人に、心の負担を掛けていた。
その事実を知り、信利は詫びずにはいられない。
頭を下げたままでいる自分へと、慌てた声で征明が答えてくる。
「えっ、ちょっと待ってよ兄ちゃん。そんなに深刻になるものでもないって。だからお願い、顔を上げてよ」
そっと肩に触れられ、言葉に従えば、困り顔の征明と目が合う。
どうやら、かなり情けない顔をしていたようだ。
征明の両手が信利の頬に触れ、「うりゃっ」という声と共にぐっと挟み込まれる。
「そんな顔しないでよ。俺、……ちゃんとしっかりやるから。兄ちゃんはあの男を逃がしたことが心配なんでしょう?」
征明はポケットへと手を入れ、黒いワイヤレスイヤホンを取り出してくる。
「おっさんの服にね、これの片方を入れておいたんだ」
「そんなものを、いつの間に? ……あ、あの時か!」
服に芝が付いている。
そう言って征明が、男の服をはたいていたことを思い出す。
「うん、その時にあいつの服のポケットにこそっと入れといたんだ。こういうイヤホンってさ、落としたり失くした時に、それがある場所が分かるように設定できるんだよ。だからあいつのポケットにイヤホンがある限り、それが発信機がわりになるってわけ」
イヤホンを指でつまんで見せてくる彼へと、信利は問いかける。
「だが、いつまでもそれに気付かずにいるとは限らないだろう?」
「まぁね。でもあいつかなり動揺していたから、しばらく気づかずにいると思う。というか、あのおっさん、そもそもの行動が杜撰なんだよ」
確かに子供を連れ去るにしては、自分達に顔を見られていること。
更には簡単に希美のケースを受け取るなど、計画性があるようには思えない。
「あんちゃんは、人見知りをしない子だった。たぶんトイレで希美ちゃんに会う前に、あの子とおっさんは話でもしたんじゃないかな」
「保護者は見当たらない。私たちが事務所に着く直前になって周りに人がいなくなった。それでチャンスと思ったということか」
「短絡的だよね。まぁ希美ちゃんと兄ちゃんに対して、あんなひどい行動をとるくらいだもん。衝動的に動くタイプなんだろうって感じはするよ」
「そうだな。ともかく彼女が無事でよかった。ところでその打木さんなんだが」
周囲を見渡すが、少女と希美の姿はない。
「安全な場所にいる。そう思っていいんだよな?」
「うん。希美ちゃんにはあんちゃんを連れて、一足先に事務所に入ってもらってる。だから心配しないで」
「そうか。彼女のことまで任せてしまって、本当にすみゃっ!」
征明の両手が、先程より強めに信利の頬をはさむ。
「兄ちゃ~ん、もうそういうのはおしまい! そうでしょ? それにしても『すみゃっ』って面白すぎる~!」
からからと笑う声の調子は、いつもの彼のものだ。
ほっとしながら、彼の手に自分の手を添え「いつもすまないな」と声を掛ける。
「なに言ってんのさ~! いつも助けてくれるのは兄ちゃんの方でしょ? あ、じゃあさ。来週の会食の時に、俺の隣にずっといてくれる? そしたら変なこと言ってくる奴らも減るからね」
優しく語る彼に、信利は頷いてみせる。
「もちろんだ。当日のお前の予定が他に無ければ、待ち合わせて一緒に店へ行くのはどうだろう?」
「いいの? やったぁ! ……あ、でも一つだけ時間が決まっていない予定があるんだ。ちょっと確認してみる~」
言葉と共にスマホへと目を向けた征明が、「うわっ、しまった!」と声を上げる。
「ごめん兄ちゃん。俺、連絡しなきゃいけないところがあった! 兄ちゃんは先に事務所に行って、希美ちゃんたちと合流してくれる?」
画面をみておろおろとしている彼は、いたずらが見つかった子供のようだ。
そんな彼の姿に、たまらず信利は吹き出してしまう。
「わかった、先に向かうよ。お相手に、たっぷり怒られてくるんだな」
「兄ちゃんてばひどーい! 早めに終わらせて向かうからね! だから置いていかないでよ!」
返ってくる言葉は、二十歳過ぎの男のものとは思えない。
征明の頭をこつりと軽くたたき微笑むと、信利は彼に背を向け事務所へと向かうのだった。




