新しい自分を見せるのは勇気がいる その6
「すみません。うちの子がご迷惑をおかけしたようで」
少女の保護者だという男に、信利は不信感がぬぐい切れない。
男が自分達へと語りかける中、笑顔を浮かべた希美が、彼の方へと近づいていく。
「よかった! ご家族の方ですか? 一緒に遊んでいるうちに、あんずちゃん眠ってしまって」
彼女も、この男を疑っている。
今の発言は、それを暗に信利達へと伝えてくるものだ。
自分たちは少女から、『あんちゃん』という名前しか聞いていない。
あえて微妙に違う名前を出して、彼女は相手の反応を見ているのだ。
男は希美の言葉に一瞬、考えこむ様子を見せる。
「そうでしたか。……あんずがいなくなって、どうしようかと思っていたのです」
わずかの間、黙り込んだこと。
加えて希美が出した偽名を、そのまま受け入れている様子に不信感が募る。
だがこの少女が本当に、「あんず」という名前だとしたら。
真偽が分からず戸惑う自分へ、男は困った様子で話しかけてくる。
「家族が公園の出口で待っているんで、早く連れて帰りたいんですよ。この子を返してもらえませんか?」
疑わしいと思われる以上、素直に渡すわけにはいかない。
少女を守れるようにと、征明に近づきつつ、信利は男へと声を掛ける。
「私たちは今から、そこの管理事務所に向かうところです。失礼ですが、この子のご家族かどうか確認できないので、一緒に来ていただけませんでしょうか」
この話を拒否するのであれば、この男は怪しい。
案の定というべきか。
信利の提案に、相手は苛立ちを見せてくる。
「あんたたち、俺の子供を誘拐する気なのか? だからそんなことを言ってくるんだろう。時間がないって言ってるんだよ。さっさと返せ!」
「ま、待ってください!」
険しい目つきで少女の元へ向かう男の前へ、希美が阻むように進み出る。
「脅かしてしまったようですみません。私達はただ、この子が心配なだけだったんです」
動揺からか、希美の声は震えている。
そんな彼女の姿に、自分が優位に思えたようで、男はにたりと笑った。
「そいつらと違って、君は話が分かりそうで良かったよ」
男が立ち止まったのを確認すると、希美は自分のバックへと手を差し入れる。
「実はあんちゃんから『大事な宝物』と言われて、荷物を預かっていたのです。えっと、これだったかな?」
希美が取り出したのは、猫のイラストが描かれたあの時の缶ケースだ。
彼女とケースを交互に見つめ、男が口を開く。
「いやぁ。助かったよ」
男の言葉に、信利は征明と目配せを交わす。
征明は静かに少し離れた芝生へと移動すると、少女をそっと横たえ、「この子は俺が」と告げてくる。
あの缶ケースは希美の私物。
それすらわからずに受け取ろうとするこの男が、少女の保護者である可能性は低い。
当初の会話ですら、あれだけ高圧的な態度をしてくる相手だ。
逆上し、危害を加えてくることは十分に考えられる。
この状況においては幸いというべきであろうか。
自分たち二人は、ある程度の護身技術を持ち合わせている。
できれば使うことなく、穏便に。
征明の表情が、言わずともそれを伝えてくる。
少女を征明に任せ、信利は希美の元へと急ぐ。
「これはあんずのお気に入りなんでね。それが無いと拗ねてしまうんだ」
男がそう言って缶に触れるものの、希美はケースを離そうとしない。
怪訝な表情を浮かべる男へと、彼女は口を開く。
「これは、あんちゃんの物ではありません。……あなたは一体、誰なんですか?」
彼女の言葉でこちらの意図に気づいたようで、男は「だましたな!」と叫んでくる。
醜く表情をゆがめた男は、強引にケースを奪うと、もう一方の手で希美を強く突き飛ばしてきた。
このような悪意など、今まで受けたことが無かったのだろう。
あるいは、恐怖で動くことが出来なかったのか。
踏みとどまることが出来ず、バランスを崩した彼女の体が後ろへと傾いていく。
信利は倒れこむ希美の後ろへと駆け寄り、手を伸ばしその体を引き寄せる。
守るためとはいえ、彼女を抱きしめるような体勢になってしまった。
あわてて腕の力を緩め、「失礼を」と呟いてしまう。
ともかくも、怪我をさせずに済んだ。
ほっとしたのもつかの間、男がケースを自分達へと振りかぶるのが目に入る。
このまま振り下ろされるなど、絶対にあってはならない。
希美をかばいつつ体を反転させ、男へと背を向けてすぐ、肩に衝撃が来る。
自分にとっては、大した痛みではない。
だが、この男が彼女にこの力をぶつけようとしたこと。
これは到底、許せるものではない。
怒りがこみあげるが、今は彼女の安全の確保が最優先だ。
前を見据え、「走って!」と彼女に声を掛け、その小さな背中を押す。
これでもう大丈夫だ。
なぜなら自分には。
「征明!」
彼女を託すことが出来る存在がいる。
名を呼ぶまでもなく、すでに駆け出していた彼は、よろめき走る彼女を受け止めてくれる。
顔をこちらへ向けた征明が、「後ろ!」と自分へと叫んできた。
征明の視線から相手の位置を把握し、右手の拳を握り、体をひねりながら強く振りぬく。
振り向きざまの拳は、次の攻撃のために手を掲げていた、男のわき腹に食い込んだ。
みっともない悲鳴を上げ、男は地面へと倒れこんでいく。
うめき声を出し、自分を見上げてくる男は、すっかり戦意喪失の状態におちいっていた。
こんな男に、もう関わりたくもない。
だが自分にはまだ、やらなければならないことがある。
注意を払いつつ、信利はゆっくりと男へと近づいていくのだった。




