新しい自分を見せるのは勇気がいる その4
「この子は『あんちゃん』です。えっと、……たぶん迷子です」
希美が少女の頭を撫でながら、信利へと説明してくる。
少女に聞こえないようにと、後半部分は小さめの声で伝えてくるのが彼女らしい。
迷子だろうとは思っていた。
だが、その事実が確定したことに安堵している自分に、戸惑いを隠しきれない。
黙りこくる自分とは正反対に、征明は彼女へと話しかけていく。
「びっくりしたよ。希美ちゃんに子供がいたのかと、一瞬だけ思っちゃったからさ」
征明も同じ思いを抱いていたのだ。
もっとも彼は自分とは違い、「そうだったらショックだ」などとは思わなかったであろうが。
――いや待て。
どうして彼女に子供がいたら、ショックを受けるというのだ。
自らの思考に動揺し続ける信利を、征明は意味ありげに見つめてくる。
小さく笑みを浮かべながら、征明は希美へと再び視線を戻した。
「そんなはずはないって、分かってはいるんだけどさ。でも希美ちゃんとあんちゃんって、なんか似ているんだもん」
「え、そうですか? だったら嬉しいですけれども」
「似てる似てる。『この子のママでーす』って言われても、初対面なら確かにって思えちゃうくらい」
「私に子供はまだいませんよ。でも、こんな可愛い子のママになれるのだったら……」
ヘラリと笑い、希美が少女をみつめる。
薄茶色の髪を、耳の下で二つ結びにした可憐な顔立ちの少女は、希美を指差し口を開いた。
「あんちゃんの、ママじゃない」
「そうなんだよねぇ、あんちゃんのママじゃないもんねぇ。しょんぼりぼりぼりしちゃう~」
手の甲をまぶたに当て、泣きまねをする希美をみて、少女は楽しそうに笑いはじめた。
彼女の笑顔に誘われるように、希美もニコニコと笑みを浮かべていく。
少女からの、『ママじゃない』という発言。
その言葉に落ち着きを取り戻すと、信利は改めて希美達へと目を向ける。
確かに系統は似ているのだ。
楽しそうに笑みを浮かべるところや、妙に庇護欲を掻き立てられる姿やふるまい。
互いに顔を見合わせて笑う彼女達の姿は、信利の心に穏やかな気持ちを与えてくれる。
幸せそうな空気に、つられたのかもしれない。
気が付けば、言葉が勝手に出てしまっていた。
「確かに二人とも、可愛っ……」
こぼれ出したのは、自分が抱くことはないと思っていた感情。
我に返った信利は、あわてて口元を押さえる。
「え~? 兄ちゃん二人ともが何だって~?」
体を信利の方へと傾けた征明が、にやにやとしながら耳に手を当て、わざとらしく聞いてくる。
ここ数年、忘れていたはずの思い。
想定外に出してしまったそれを、何とかごまかさねばと、信利は必死に頭を働かせていく。
「ふたっ、……二人とも『かわいた空気を潤すような存在である』。そう思い、口にしたかったんだ」
信利からの言葉に、征明はがっかりとした表情で答えてくる。
「ふ~ん。認めちゃえば楽なのに粘るね。まぁ、でも」
征明は希美へと視線を向け、くすりと笑う。
「本人は喜んでいるみたいだし、今回はいいか」
征明は何を言っているのだ。
こんなことで喜ぶなど、あろうはずがない。
そう思い希美へと目を向ければ、彼女は少女の両手をがしりと握りしめている。
「潤すなんて、素敵な言葉っ! あんちゃん、ありがとうね。おかげで一水さんに褒めてもらえたよ! 嬉しいね、幸せだね! 今日は二人でいっぱい、じゃぶじゃぶと潤していこうね!」
そのまま彼女達は、くるくると回りながら楽しそうに踊り始めていく。
信じがたいが、確かに彼女は喜んでいるようだ。
誉め言葉というほどではない。
それなのにどうして、彼女はこれほどまでに嬉しく思えるのだろうか。
理解が出来ず信利は、征明へと疑問をぶつけていく。
「いや、別にここまで嬉しいと思える言葉ではないだろう?」
「もー、分かってないなぁ、兄ちゃんは」
やれやれといった様子で、征明は口を開く。
「言葉の意味だけじゃないんだよ。相手が自分を見て、考えて、そうして話してくれた。それだけで、嬉しい時がある。……今の兄ちゃんなら、分かるんじゃないの?」
顔を覗き込むようにして語る征明の言葉に、よみがえるのはここ数週間での出来事。
「そ、それは……」
とくり、と心臓が跳ね、思わず胸に手を当てる。
……あぁ、そうだ。
自分は、確かにそれを最近、知ったのだ。
初めて一緒に食事をした店で、彼女は言ってくれた。
『あなたは一人ではありません』
そしてつい先日も、自分が伸ばした手を握り、こう話してくれたのだ。
『これからも一緒に、こうやってたくさん笑っていきましょう』
彼女がくれた言葉達は、とても優しく、そして温かくて。
耳に届くと同時に、渇き切った自分の心へと流れこみ、ある感情を生まれさせていく。
「あぁ、そうだな。……そうかもしれない」
征明の言う通りだ。
あの時、彼女から与えられたもの。
それは間違いなく、『喜び』と呼べる感情だった。
「そうだよ。だって今の兄ちゃん、すんごく良い顔になってるんだから」
嬉しそうに笑う征明の言葉が、正しいであろうことは分かっている。
だが、どうにも素直に受け止めることが出来ない。
ふいと目をそらし、ごまかすようにめがねをぐっと押し上げる。
「その言い方だと、私は普段どんな顔をしているのかという話になるんだが」
「しーらなーい! 希美ちゃんに聞いてみたら?」
誘われるように希美へと視線を向ければ、彼女は自分へと笑みを見せてくれる。
それだけのことなのに、自分の中に生まれくるのは温かな思い。
「潤す、……か」
今まさに、自分はそれをしてもらえたのだと気付く。
静かに胸の中で広がりゆく、柔らかなこの気持ちはきっと。
彼女によって渇きから解放され、潤されたという確かな証といえるものだろうから。




