新しい自分を見せるのは勇気がいる その2
誰がこんな展開になると想像できただろう。
目の前の光景を、信利はただ見つめることしかできない。
「これは何という圧力! でもでも、この遠慮のなさがたまりませんね。あの! 初対面ですが私、あなたに抱きついてしまってもいいでしょうか?」
その圧力の主に半ば押し倒されながら、それでも満面の笑みで希美はその相手へと。
……じゃれついてきた犬へと、語りかけている。
「き、希美ちゃん! 大丈夫かい?」
征明の呼びかけに笑顔を保ったまま、希美は答えていく。
「はい! といいますか、この愛情いっぱいの表現は嬉しいです。語らずとも、そうしてほしいという私の要望を叶えてくれるとは。何と賢いワンちゃんでしょう」
ぎゅっと犬に抱き着いてから、希美は穏やかな表情を飼い主の女性へと向ける。
「ですのでこれは、誰も悪くはありません。むしろ飼い主さんを驚かせてしまった、私がごめんなさいと言ったところでしょうか」
女性は真っ青な顔をして、自分達へと頭を下げてくる。
希美との話が楽しすぎて、ついリードが緩み、そのせいで犬が飛びかかってしまった。
自分の責任だと泣きながら謝るその姿は、痛々しいくらいである。
むしろこの人が、ショックで倒れやしないか。
そんな心配すら抱いてしまう。
見かねた征明が、さりげなく飼い主を誘導し、公園の出口まで送り届けることになった。
何度も自分達へと振り返りながら、飼い主は次第に遠ざかっていく。
そんな彼女らに、体育座りで手を振り続ける希美の傍に立ち、信利は思う。
もちろん本音ではあるだろうが、倒されてすぐに飼い主へと掛けたあの言葉。
あの一言で、相手の心の負担はかなり軽減されたであろう。
とっさに相手への配慮をもって行動する力は、素晴らしいものだ。
だが同時に、人と接するのが苦手なこの子はきっと……。
見下ろしていることで、彼女の姿がいつもよりも小さく、弱々しく映る。
『会話を増やし、自分の幅を広げる』
自分は今日、そう願った。
それをすべきなのは、間違いなく。
――今だ。
拳を握り、心を奮い立たせ、希美の隣へと腰を下ろす。
緊張で目測を誤り、想定した位置よりもかなり彼女の近くに座ってしまった。
もう少し離れようかとも思ったが、それをすればきっと自分は逃げ出したくなってしまう。
前を向かずに逃げ出すこと。
それは未来の自分に対する裏切りだ。
その思いを胸に、信利は口を開く。
「とっさによくあそこまで言えましたね。とても頑張ったと思います」
少し困り顔ながら、信利からの言葉に彼女は笑みを向けてくれた。
「だから打木さんはもう少し、ここで休憩しましょう。……休むことも、時には大切ですから」
自分の発言に、希美は何度も目をしばたかせている。
「あれぇ? 何で、……分かっちゃったんですか?」
幼い子供のような戸惑いを含んだ表情で、彼女が自分を見上げてくる。
「あれだけ気を配るあなたが、あの犬と飼い主さんを立ち上がって見送らない。そこでおかしいと思ったんです」
キャパオーバー。
頑張りすぎたこの子は、きっと体が動かなくなってしまったのだ。
それでも彼女は、飼い主を笑顔で見送り、心配を掛けないようにしていた。
「あとは、私がこれだけ近くに座ったのに、驚いて離れたりしなかった。それが決め手となりました」
「……あぁ、そうだったんですね」
少しは落ち着いたのだろうか。
組んだ腕の上に頭をのせ、くすくすと彼女は笑う。
「でも一水さん。二つ目の考察は間違っていますよ。だって」
わずかに首を傾げ、彼女は自分を見つめてくる。
どうしてだろうか。
少し疲れを残した彼女の表情に、得も言われぬ美しさと色香を感じてしまうのは。
「だって、二つ目は嬉しかったから、……なんですもの」
ただ、言われただけ。
うぬぼれるな、誤解をするな。
そう必死に、自分に言い聞かせていく。
けれどもその言葉は、耳だけでなく、自分の心をまっすぐに貫いてくるのだ。
あぁ、どうしたというのだろう。
彼女から視線が外せない。
このまま見つめ続けていたら、今まで心の奥底で塞ぎ、見ないようにしていた感情が溢れてしまいそうだ。
動けずにいるそんな自分の背中に、どん! と強い衝撃が来る。
「二人共、おっまたせぇ! ついでに飲み物も買ってきたよ!」
征明が背中にぐいぐいとのしかかりながら、ペットボトル飲料を差し出してくる。
「ありがとう。……助かったよ」
「なに~、そんなに喉が乾いてたの~! だめだよ兄ちゃん、水分はきちんとこまめに取らなきゃ」
言葉に答えることなく、蓋を開け一気に流し込む。
喉を通っていく冷たい感覚に、ようやく人心地をつくと、心の中で改めて彼に感謝する。
踏みとどまれてよかった。
――あと、もう少しで。
自分はもう抱かないと決めていた言葉を、彼女に言ってしまいそうになっていたのだから。




