吊理めめ子にはウラがある
吊理めめ子。僕が通っている高校で、ミステリアスな学生として有名で、卒業したはずのに学生としてまだ通っているとか、とにかく不思議な噂が絶えない。
とはいえ、”人の噂も七十五日”と言ったところで、桜の咲く季節には注目を浴びっぱなしだった彼女も、木々の葉っぱが新緑に芽吹く季節になってからは、そこまで……といった感じだ。
奇異な目から逃れられる、という点では良かったのかもしれないが、それ以上に問題なのは、彼女のような存在を面白がり、挙げ句の果てには──危害を加えようとする輩がいる、ということ。
人目のつかない、放課後の踊り場。そこに居る──ちょうど目の前のヤツが──そうだ。
「吊理だったか? お前面白い噂が流れてるぜ? 不気味な幽霊学生が居るってな?」
「……そうですか」
「愛想もない上に、その吊り目じゃ、人も寄りつかねぇだろうなぁ」
吊理めめ子の特徴は──その吊り目にもある。正直なところ、結構威圧感があって怖い。冷徹な感じもするし。
「……もういいですか」
「おいおい、まだ話の途中だろうが?」
ドンッ、という音。男は壁に追い込まれた吊理めめ子へ向けて、その背後へ拳を思い切りぶつけた。衝撃で、めめ子の体が震えている。
「大声出したら……分かってんだろうな?」
そう言って、リーダー格であろう不良はどこからともなく……カッターナイフを取り出して、吊理めめ子に見せつける。……脅しだ。
……絡んでいる男は、いわゆる不良というヤツだ。こんな低俗な人間が同じ学校に居るというのが信じられないな、と思うね。
そして、彼らにとっては運の悪いことに、ここまで見て僕は黙っていられる性分じゃない。
「ちょっといいかい?」
「あァ?」
威勢のいいことを考えたが、もう後悔している。男だけでなく、その取り巻きの不良も僕の方へと歩いてきている。
あ、完全に標的が変わったな、これ。
「はッ。見てみろよ、こいつの腕。新聞部、だってよ」
「……えぇ。新聞部の平坂と言います」
そう言って僕は、制服のポケットからデジカメを取り出した。本当は新聞用に学内の風景を撮るためのものだ。
「……新聞部のやることは取材と記録。このデジカメの中に入ってるのが何か、分かりますか?」
もちろんブラフだ。コイツらが吊理めめ子を虐めていた光景を撮っているはずがない。だが……。
「ちっ。潰してもメンドーそうだ。とっとと行くぞ」
「……どうも」
「……覚えとけよ、新聞部の野郎」
去り際にそんなことを言われた気もするが、気にしないようにする。いや、それだとマズいな。明日からは僕が吊理めめ子のポジションにいるかもしれないし。
と。そんなことを考えていると、”彼女”が僕の方へ歩いてきた。
「あ、ありが……とう」
彼女は、伏し目がちで僕へ礼を言った。吊り目を気にして隠しているのだろうか? 威圧感はあるが、隠さなければならないほどでもないとは思うが。
「ほら、ああいうのを見ると、ほっとけないからさ」
「……そうなの」
「また──お礼をするわ」
それで会話は終わった。彼女は階段を下り、教室へと戻っていく。荷物をとって帰るのだろう。
これが、今まで接点のなかった僕──平坂と吊理めめ子の出会いだった。そう、これが始まりだったのだ。
そして僕は、この出会いをすぐに後悔することになる。
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「おはよーっす。平坂……って」
寒い。寒すぎる。もう夏だぞ。なのに、肌寒いとかいうレベルじゃないぐらい寒い。体全身が凍り付きそうだ。
”夏場にウインドブレイカーを着ている”という奇異の目で見られる恥をはねのけて学校までたどり着いたが、限界だ。
「お前、大丈夫か? 夏風邪でも引いたか?」
「さ、さぁね。ま、まぁ熱はないんだよ。熱は」
「ふーん。珍しいこともあるもんだ」
この、心配しているのかしていないのか分からない友人は、僕の数少ない親友──岐部だ。
こう見えて交友関係は広く、学校の”噂”にはめざといところもある。ならば。
「岐部くん。吊理めめ子について知っていることはない?」
「ん? あー、”アレ”はなぁ」
顎に手を当てて考え込む噂好きのゴシップ友達。待っていても仕方がないので、鞄から教科書を出して机に入れている……と、一枚の紙が床に落ちた。
いたずらだろうか? もしかして、ラブレターか? にしては何かこう、飾り気がないというか地味というか……。
椅子を引いて落ちた紙を拾う。折りたたまれてもいないそれは、手に持って裏返すだけで書かれていることが分かった。赤色のインクで文字が書かれていた。
「吊理めめ子に、関わるな」
まるで、走りながら書き殴ったような字でそれは書かれていた。赤色の──紙にこびりつくような、赤黒いインク。走り書き。
──背筋が凍る。寒気がさらに強くなる。
「……っ!」
視線を感じるが、誰も僕や岐部のことを見ているわけではない。だが無性に──何もないと知りながら、窓や天井、壁が気になる。机の中や足下に生まれた小さな影からの、得体の知れない視線。
まるで、何かに心臓をなめ回されているような、気持ちの悪い感覚。
「──吊理めめ子には、触れないようにしてるんだ。俺もな」
現実に引き戻される。悪寒が一気に遠のく。岐部が心配そうな顔で、先ほどの答えを僕に投げかけていた。
そして、彼が僕へ向けて差し出すスマートフォン。
ニュースアプリが開かれているようで、その見出しには高校生が死亡した事件が掲載されていた。死因は巨大な切り傷。そして死んだのは……この学校の生徒。
──ガランッ! 教室のドアが勢いよく開かれ、みなの視線がそちらへ向かう。そこに居たのは、顔を青くした担任の先生。
早足で教壇の前に立った女性の先生の口から飛び出した言葉は。
「このクラスの──くんが──」
このクラスに居た不良グループの一人。そう。先日僕が、吊理めめ子から引き離したヤツ。
そいつが、亡くなったという知らせ。そう。首にできた、──巨大な切り傷によって。
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僕はただひたすらに──走っていた。どこへと問われれば、返す答えは一つしかない。吊理めめ子。彼女の元へだ。
僕の机の中に入っていたあの紙。そして、彼女に絡んでいた生徒が、全員亡くなったこと。死因がどれも全く同じで、”刃物”による傷だったこと。
奇しくも、不良グループが彼女へ見せつけた、”カッターナイフ”と同じ──。
「……っ!」
走る。ただ走る。頭の中で断片でしかなかった情報が一つにつながっていく。そしてその中心に居るのは──吊理めめ子。
彼女に会えば、すべて分かるはずだ──と。
「……何で──っ!」
僕が教室から飛び出してきたのはまだ朝だったはずだ。だが外はすでに──夕焼けが空を染めている。
そしてその、橙色の空の下。僕の前方。教室棟と部室棟をつなぐ、渡り廊下の先。
”黒い影”が、居る。
「げ、現実、なの……か?」
戸惑う僕をあざ笑うかのように、その人型の”黒い影”の頭がぱっくりと上下に割れ、
「──ハハハハハハハハハハハハハハハ」
甲高い笑い声。そして、全速力でこちらへ近づいてくる”影”。ヤバい。これはヤバい。とにかくヤバくてマズい。
体の中のあらゆる感覚が叫んでいる。──離れろと。
「くっ!」
僕は、来た道を戻り、教室棟へと飛び込んだ。すぐにドアを閉めて鍵をかける。だが、影の足は止まらない。
バァン! という音と共に扉へぶつかると、今度は扉へ向かって頭突きをし始めた。ガラスにひびが入る。そんなのありかよ。
「一階から行くしかな──」
扉へ背を向けて振り向いた僕。本来ならば、その前には男子トイレがあるはずだが、そこには何もなかった。トイレも、壁も、空間もない。
あったのは──闇。
だが、ただの闇ではなかった。うごめいている。そしてどんどん──大きくなっている。いや、そうではない。これは──。
「ひ、ひ」
ひきつる。声が出ない。喉が音を出すことを拒んでいる。闇は、さっきの影の化け物だった。それに気づいた瞬間、四方八方から笑い声が聞こえてくる。
「ハハハハハハハハハハハハ」
脳内が”声”で埋め尽くされる。不快な声。根源的な恐怖、精神的な嫌悪感が一気に引き出され、えづく。
前、後ろ、横。どこを向いても、影、影、影。逃げ場はない。”口”が迫ってくる。
──嫌だ。死にたくない。こんなところで。なにより僕はまだ──謎を解いていない。
「う、うわぁぁぁぁっ!」
目の前に迫る死の予感が、麻痺していた声帯を動かした。だが、何も変わらない。この影に飲まれて僕は消える。
そう思って意識が消えた。その直前にかろうじて見えた、かすかな光に暖かさを感じて。
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「──はっ!」
視界に飛び込んでくるライトの光がまぶしい。思わず目を細めてしまうほどに。……って何だろう。頭が何かの上に乗っている気がする。
ああ、そうか、僕は死んだんだ。だから多分、僕の体の上に霊体の僕が乗っている状態なんだろう。怖いから見ないけれど。
「……あの……私です」
「え」
急に後頭部に熱が伝わってくる。今日一日、味わったことのない暖かさだ。……って。この声は。
「っ!」
僕は飛び起きた。そして今度はちゃんと目を開ける。そこは──部室だった。新聞紙のバックナンバーが大量に置かれ、プリンターなどが何台かある、部室。見覚えのある部室。
「新聞部の、部室……?」
そして今度は、立ち上がって後ろを向く。そこには、地べたに座っている女学生、吊理めめ子が居た。
「……君は」
「……お礼、しましたから」
「ま、待ってくれ!」
立ち上がった彼女は、ここから立ち去ろうとする。だが、あいにく僕は、彼女に聞きたいことが山ほどある。
「君は、一体……」
吊理めめ子はそう問いかける僕へ向き直った。そして顔を上げて、その吊り目で僕の顔をまっすぐに見つめる。
「……怪異。知ってますか」
話題の投げ方が唐突すぎると思いつつも返してはおく。
「ま、まぁ。少しは。怪談とか、七不思議とかに出てくるアレ……」
「……えぇ。私もそうです」
いや、待ってくれ。”私も”ってどういう意味だ? まさかとは思うが、あの”トイレに出てくる女学生の幽霊”とか、”夜に聞こえる音楽室の楽器の音”とか、君の仕業なのか?
「私は、怪異でありながら、怪異からこの場所を守るモノ」
「……そりゃまた大層な話だけど」
「──あなたは、私と関わったせいで、怪異に追われている」
……落ち着く時間がほしい。怪異? 急にそんなことを言われても、僕の頭じゃ理解できない。
それに、君と関わったから、って、一体どういうことなんだ。
「……場所。ここから私は出られない。それにもう……力がない」
間違っていたらすまないが。つまり、あの不良グループは君に絡んだせいで悪い何かに憑かれて、それが学校の外へと行ったから、助けられなかった。合っているのかは分からないけど。
「違いない。あなたも、危ないところだった」
「……僕も?」
「紙」
紙、というと、僕の机の中に入っていたあの紙だろうか? そう思って懐に入っていたそれを取り出すと、吊理めめ子は素早くそれを取り上げ、
「……やっぱり」
彼女が紙を握ると、紙は”黒い何か”に変質した。まさしく、僕があの異常な空間でみた”怪異”のように。
にしてもまさか、怪異に騙されそうになっていたとは。
「……もっと早く、あなたのところに行けば良かった」
「だから、これ」
「これって……入部届けにしか見えないけど」
「あってる」
まさか彼女に入部届を出されることになるとは。おまけにこんな状況で、僕は怪異に命を狙われている、というのに。
めめ子は僕を見る。
「あなたを守るのに、最善の手段だと思ったから。でも……やっぱり、怪異は嫌?」
彼女はまた、伏し目がちになって僕へ言う。嫌か嫌じゃないかで言えば、嫌寄りだ。なにせ殺されかけたんだから。
でも、僕を助けたのもまた、怪異だ。それは、確かな事実。
彼女を拒絶するのは簡単だ。なにせ、僕にはそれをする理由がある。だが、それでいいのだろうか?
吊理めめ子は恐るべき怪異であり、僕の──命の恩人だ。
「──いや。まぁ、幽霊部員が多い部だし、部室はガラガラだけど。それでいいなら」
「……よかった。ありがとう……平坂くん」
最後の一つだけ、疑問がある。彼女が僕を助けてくれたことには感謝している。しかし、命を助けてくれるほどの貸しを作るようなことをした記憶はない。
なぜ吊理めめ子は僕を助けたのだろうか? だがまぁ、今は考えなくても良いことだろう。
僕は、学校へ”住む”彼女を後にし、渡されたお守りをしっかりと握りしめて、帰路へとついた。
「──私も、ああいうのを見ると、ほっとけないんだ。……なんて。ふふっ」
部室の明かりが消える直前。そんな声が聞こえたような気がした。
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「おはよーっす、平坂……って」
「……おはよう、岐部さん」
「ど、どうもです。吊理さん」
あぁ、確かに僕は入部届を受理したよ。新聞部の部長として。個人的にも、あんなものに襲われるのはごめんだし、守ってくれるならば、接点があった方がいい。
でも……クラスを替えてまで付いてくるのは聞いていない。
「……元気ないな、平坂」
今の僕の姿を客観的に見るのなら、三回徹夜した後の寝起きみたいな状態だ。体がうなだれて思考がぼやける。無理もない。
嘘偽りなく、その状態そのものなのだから。
ピローン、とスマホから音が鳴る。幸いにも担任の先生によって回収される前だった。そのディスプレイに映し出されたのは、一つの通知。
「──部室棟、二階、怪異」
ため息をつくと共に、席を立って教室を出て行っためめ子の後を僕も追う。
「おいおい。まだ授業の前だぞ?」
「あー。分かってるよ。友達のよしみでなんとかしておいて」
「んな無茶な……ま、いいぜ」
悪いな。そう言って僕は教室を出る。あとは岐部くんが上手くやってくれていることだろう。
噂好きの彼のことだ。報酬は面白い話のタネにしよう。
そうだ。こういうのはどうだろう?
──怪異と戦う少女と、それに付き合う少年、という話は。