ゼロから始めましょう
「はじめまして。殿下の新たな婚約者となりました、アダマス男爵家のダイアナと申します」
「アダマス男爵令嬢。この度は申し訳ない……」
「殿下が責任を感じることはございません。御身がご無事で何よりです」
今日はサフィルスが記憶を失ってから、初めての顔合わせだ。
ダイアナは愛称を封印し、初対面の人間として接した。
もし自分がサフィルスの立場だったら、見ず知らずの人間に「◯◯(見に覚えのないあだ名)久しぶり〜。婚約者なのに会いに来てくれなくて寂しかった〜」とか言って、馴れ馴れしくされたら嫌だからだ。
それが許されるのは、ごく一部の選ばれし陽キャであって、少なくともダイアナは違う。
「……殿下、私のことを思い出す必要はありません。以前の私達がどんな関係だったかなど気にしないでください」
「そんなわけには──」
「人間関係は積み重ねです。私は以前の殿下と、今の殿下は別人だと認識しています。記憶を取り戻そうと気負わなくて大丈夫です。今の殿下のまま私を知り、新しく一から関係を築けば良いのです」
「……」
「私は殿下との結婚を望んでいます。でもそれは王太子妃になりたいからでも、既婚者の肩書が欲しいわけでも、結婚式に憧れがあるからでもありません。──私は夫と良好な関係で日々を送りたいのです」
前世含め昔のダイアナは、初めて就活する学生に近かった。
「この仕事がしたい」「社会人になったらこんな生活がしたい」という熱意は人一倍強かったが、ではどこの会社に就職したいかと問われれば「条件を満たしていればどこでも良い」と答えるような状態だった。
結婚に対して似たりよったりな状態だったダイアナは、シルバーという婚約者を得た後に婚約解消し、次にサフィルスと婚約した。
条件だけで選んだ企業でインターンを経験し、志望先を変更したようなものだ。
今の彼女は「望む仕事ができるなら、どこでも良いから働きたい」ではなく「この職場で働いて、望む仕事をしたい」になりつつある。
サフィルスはダイアナの真意を探るように、目の前に座る婚約者を見つめた。
「……貴族の、いや平民でもそこまで慎ましい願いは珍しいんじゃないかな」
「私にとってはとても大きいことです。人生において、唯一無二のパートナーを得ることほど幸せなことはありません」
「……以前の僕と、今の僕は違う。それでも君は僕との結婚を望むのかい?」
サフィルスの懸念はもっともだ。
「その通りです。だから見極め期間を定めましょう」
「え?」
「今までのことは考えないでください。今の殿下が、私を結婚相手として受けいれられるか……私と一緒に生きていけそうか判断してください」
しっかりとサフィルスの目を見つめながら、ダイアナは言葉を紡いだ。
これは駆け引きではない。
お互いの今後のために、今は自分を曝け出さなければ。
ダイアナがその気であっても、サフィルスが彼女を伴侶として受けいれられなければ、二人の結婚生活は明るいものにはならない。
ダイアナはスッと手を差し出した。
淑女が紳士に行う動作ではなく、男同士で握手を求める動きだ。
訝しみながらも、サフィルスはその手を握り返した。
「私に触れて気持ち悪いですか?」
「そんなことあるわけない!」
あっても言えないだろ。
「では第一段階はクリアですね! 身体接触に対する生理的嫌悪感はないということです!」
大人しそうな顔からは想像できない過激な発言をされて、サフィルスはギョッとした。
(王族の離婚は簡単じゃない。結婚後に『やっぱり無理』と言われるくらいなら、今のうちに婚約解消する方がマシ!)
「この職場で働きたいです!」と熱い想いを伝えたところで、相手も自分を必要とするとは限らない。
「今回は採用を見送らせて〜」とお祈りメールを送られたら、サクッと切り替えて次にいかなければならない。
何故なら最終目標はその会社に就職することではなく、あくまでやりたい仕事をして生活の糧を得ることなのだから。
目的と手段を取り違えてはいけない。
「──では引き続き様子を見るにあたり、期限を明確にしましょう」
ダイアナはサフィルスに好きになってもらいたいわけではない。
生理的に大丈夫かどうか確認してもらいたいだけなので「決心できるまでいくらでも待つ」という考えはない。
「まもなくコランダムの建国記念式典があります。私達も招待されているので、帰国するまでを見極め期間としましょう」
それ期限一ヶ月切ってるじゃん。ダイアナマネージャー納期に厳しいな。
コランダムとジェンマは隣接している上に、インフラが整っているのでアクセスが良い。
現地での滞在は一週間の予定だが、移動時間と天候による遅延を考慮しても再びこの国に戻るのは遅くて来月の今頃だ。
(長い旅行を経験するのは、その後一緒にやっていけそうか見極めるのに丁度良い。聖杯事件でフィル殿下とは問題なしと判断したけど、今の殿下も同じとは限らないから、私の方も相性を再確認しよう)
ポジティブというか、転んでもタダでは起きないダイアナお嬢様。
「ヒーローがヒロインに関して記憶を失う」ってネタとしてはそこそこ見かけるけど、ここまで悲壮感ないのは珍しいな。
余談だがギャラン帝国とジェンマ国は片道約一ヶ月だ。
王族専用ルートを使えば移動時間を半分に短縮できる。気になる人は帝国編を読み返してみると良い。適当に時間過ぎてるように見えるが、番外編含め齟齬は無いはずだ。
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