緊急クエスト
一方その頃。イベント会場で、アナスタシアは絶体絶命のピンチに陥っていた。
二日目も恙無く進行することができ、ダイアナ不在でも大丈夫だと、アナスタシアが自信を持ち始めた頃に彼は現れた。
そう、ギャラハッドの嫌な予感は的中したのだ。
その人物は容姿端麗で、朗らかな雰囲気を纏っていた。
彼のことを知らない人間であれば好印象を持ち、彼と一度でも話したことのある人物であれば、気付かれないよう顔を背けて流れるように回れ右をしただろう。
その身長は帝国男性の平均値より高いものの、中性的な見た目をしているからか威圧感はない。
飴細工のように輝く蜂蜜色の髪に、王家の金眼。
微笑む姿はさながら翼を隠して地上に降り立った天使のようだった。彼は見た目だけは無害どころか、幸福を運んできそうな男なのだ。
ギャラン帝国第二王子であるヴァルは本部席にやってくるなり、複数の本をテーブルに広げた。
「これらの本を書いた人物に会いたい。名義を変えているが作者は同一人物のはずだ」
ヴァルの指摘は当たっているのだが、アナスタシアはこの場でそれを認めることはできなかった。
彼が持参した五冊の本。うち一冊は今回の目玉であるゼロ娘であり、娘シリーズのシナリオライターは非公開としているからだ。著者を伏せる理由は様々だが、ゼロ娘については作品そのものを純粋に評価されたいとアナスタシアが強く希望したからだ。
「ヴァル殿下。お持ちになった本は、全て別人が手がけています。そして申し訳ございませんが、ゼロ娘の著者は事情があり、ご紹介することができかねます。ご意見がありましたら、私が窓口となって承ります」
「……イントネーションと、子音の発音が一致しない。君は裁判に出廷したアナスタシア・ヴィヴィアンじゃないな」
「────!!」
突きつけられた言葉に、アナスタシアは固まった。
(どうしよう……! 相手は格上だから、スルーするのはダメよね。不機嫌そうにすべき? でも王族にそんな態度をとって良いの!? じっ、時間を稼ぎたいけど……微笑んだら肯定したと見做されそう……!!)
「ちょっと待ってください! 彼女が影武者だとでも言うんですか!?」
内心アナスタシアがパニックになっていると、ヴァルに追いついたアグが叫んだ。
裁判に偽物を出廷させたら大問題になるので、アグは消去法で目の前にいるアナスタシアが偽物だと考えたのだろう。
「どちらも肉体は本物だ。距離があったので視認できた限りではあるが、露出部の黒子の配置が完全一致している。……実物を見るのは初めてだが、君の中には複数の人格が存在するのか……?」
「彼女にそんな特徴的な黒子は……」
「右手の甲に二個、左耳に一個、左鎖骨上に一個……。デコルテから上と、両手首から先の範囲だけでもアナスタシア・ヴィヴィアンには十三個黒子がある。星座と同じだ。意識していないだけで、人間の黒子の数はかなり多い」
うへえ。星と黒子が同じ扱いとか、どんな感性だよ。
「いや、全然違いますよ。夜空と同じにしないでください。っていうか、数ヶ月前に遠目に見ただけの人間の黒子の数覚えてるとか、相変わらずとんでもない記憶力ですね」
ヴァルと付き合いの長いアグなのでこの程度の反応で済んだが、アナスタシアはそうではなかった。
淡々と述べられたが、かなり怖い。
人前で異性に身体的特徴を列挙されて、アナスタシアは赤くなったり青くなったりと大忙しだ。
「まあ君が何番の人格だろうと、そんなことはどうでも良いんだ。ボクの目的は、これらの作品の作者だ。名前や作風を変えてはいるが、語彙力と、読点の配置センスが同じだ」
彼が受け流したことで、入れ替わりについてこれ以上の詮索は逃れることができたが、本題は残ったままだ。
図書室に篭っていた期間、執筆経験に乏しいアナスタシアはゼロ娘を書く傍ら、息抜きとして短〜中編を数本書いた。
冒険小説から恋愛小説までジャンルもバラバラ、練習のつもりだったので色々な書き方を試した。
習作の中から出来が良い物を出版したが、かなり作風が違うこともあり、賑やかしの一環として著者名を変えて出した。
「……仮にそうだとして、殿下はその作者に会って、どうされるおつもりですか?」
彼が天才的な頭脳の持ち主であることは、アナスタシアも噂に聞いている。というか、たった今披露されたばかりだ。
相手が確信している以上、これ以上否定しても話が先に進まない。即ち、彼から解放されない。
他はカムフラージュで、本命はゼロ娘の作者の特定と、内容へのクレームかとアナスタシアは身構えた。
(大丈夫。事前にちゃんと対策してるんだから。何を言われても、堂々としていれば良いのよ)
ゼロ娘を執筆するにあたり、参考資料は厳選した。
近代史の教授をはじめとする有識者にお墨付きをもらい、登場人物は本人もしくは遺族に許可を得て登場させているので法的にも問題はない。
「とても感銘を受けたんだ。感想と、素晴らしい作品を世に出してくれたことへの感謝を伝えたい。それに一部疑問があったので聞きたいことがある」
「それは──」
仕事として手掛けたゼロ娘。
飾らない自分の価値観や憧れを、自由に描いた他作品。
望外の褒め言葉に嬉しくて胸が温かくなるのと同時に、過去に授業で行った質疑応答の悪夢が蘇ってアナスタシアの体が震えた。
「あの……決して口外しないでいただきたいのですが、仰る通りそれらは同一人物の作品です。正体を明かすことはご容赦いただきたいので、伝言という形になりますが、殿下のお言葉は必ず本人に伝えます」
「直接伝えたかったのだが、事情があるなら仕方がない。会場で売っている他の作品は、物書を生業としているプロが手掛けたものだ。だがこれら五冊は、学生レベルのアマチュアによる作品だ。だからこそ玄人には出せない、等身大の一般人の姿が生々しく表現されていて素晴らしい!!」
「────え?」
え、何これ。今なんて言った?
言葉で殴られた感が凄いんだけど、これ褒めてるの?
アナスタシアの様子など意に介さず、ヴァルは手前の一冊を手に取った。
彼が手にしているのは、田舎生まれの少年が挫折を繰り返しながら、やがて歴史に名を残す魔法使いになるまでの姿を描いたファンタジー小説だ。
この中ではゼロ娘に次いでボリュームがあり、続刊が決定している。
息抜きのつもりだったのに、アナスタシアはすっかり主人公に自己投影してしまい、夢中になって書いた作品だ。
「特にこの一人称小説は、凡人の劣等感、視野の狭さが、余すことなく描かれている。恥ずかしながらボクは凡人の理解力や自尊心を理解しきれていない。だがこの本を読んだことによって凡人の思考回路の一端に触れることができた!」
お前、今の言葉で一体何回『凡人』って言った?
どうみても喧嘩売ってるだろう。そして現在進行形でなんも理解できてねぇじゃねえか。
「ぼ、ぼんじ……」
性別や生まれは違えど、主人公の感性は等身大のアナスタシアのものだ。
「褒めてます! そう思えないかもしれないけど、王子は今すごく褒めてるんです! すごく珍しい姿です! 決して悪気はないんです!」
「そうも何も普通に褒めている」
「凡人って、褒め言葉じゃないですからね!」
「標準的な人間の総称だ。褒め言葉ではないが、蔑称でもない。アグ、偏見は良くないぞ」
「アンタのその辞書まんまな言葉選びの方が、マズいんですよ! 言葉にはイメージがあるんです! そして凡人は失礼なイメージなんです!」
「わかった、訂正しよう。平均的な能力を持つ一般市民の内面が、丁寧に解説されていて参考になる」
「これそういう話じゃありませんからね! そんな感想、伝言できるはずないでしょう!」
アグが必死でフォローするが、焼け石に水だった。
ダイアナに細メッシュ扱いされた髪は、重度の若白髪に違いない。両手を体の前で揃えて立っているので、礼儀正しい立ち姿に見えたが、よく見ると胃を抑えてるなコイツ。
よくあるやりとりなのか、側近の訴えを聞き流すとヴァルは別の本を指差した。
「このインシデントについて様々なパターンを一冊にまとめている本も興味深かった。連携ミスの危険性について、若者には良い教訓になるだろう」
それは紆余曲折を経て結ばれる恋愛小説だ。連携ミスじゃなくて、男女のすれ違いな。
会社のヒヤリハット集みたいな言い方するなよ。
「疑問なんだが、中盤に出てきた男の方が成熟しているのに、なぜ主人公の女は未熟な幼馴染の男を選んだんだ? 作者は恋愛は基本共依存だと伝えたいのか? 欠点のある男を選ぶことで、主人公は自分の承認欲求を満たすことを選んだのか?」
「……」
ヴァルに悪意はないのだろう。地上のルールを知らない天使様が、興味の赴くままに質問しているようだが、内容が笑えない。
相手の態度はこの上なくフレンドリーなのに、言葉が鋭過ぎてアナスタシアは眩暈がした。
飴と鞭というか、飴で作った杖で叩かれてる感じがする。想定外の状況に頭がついていかない。
「それとも小説の構成として、序盤に出てきた人物と結ばれるのが王道だからか? 精神的に未熟な二人を交際させた方が、今後も揉め事に事欠かないので、続編が書きやすいからか?」
目をキラキラさせながら笑顔で畳みかけるヴァル。
この独自の持論で相手をフルボッコにする姿。どこかで見たことが……あー、ダイアナお嬢様とシルバーか。性別逆転してるけど、こんな感じだったわ。
「そっ、それは幼い頃に芽生えた恋心を貫いた二人の物語です。確かに主役達には欠点がありますが、……そこも含めてお互いを求めているんです! で、殿下の述べられた理由は、何一つ当てはまっておりませんっ!」
渾身の恋愛小説を貶されてアナスタシアは黙っていられなくなった。
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