おっと心は硝子だぞ
ダイアナによって硝子のハートを粉砕されたアルチュールは、引き篭もりになった。
それでも仕事はしっかりしているらしい。
おそらく「仕事を放棄したら、側近達にも見捨てられる」と強迫観念に囚われているのだろうが、先日のオタサーの姫っぷりを見るに、彼らが主を見捨てることはないだろう。
しかし往生際の悪いアルチュールは「お前の所為で体調が悪い。見舞いに来い」と、連日ダイアナに手紙を出した。相変わらず図太いのか、繊細なのかよく分からない、支離滅裂な行動だ。
いい加減鬱陶しくなったダイアナは、お望み通り見舞いに馳せ参じた。勿論サフィルスと一緒にだ。
ダイアナお嬢様は常識があるので、婚約者がいる身でありながら男性の部屋にノコノコひとりで行ったりはしないのだ。
どうせ仮病だろうが、相手は体調不良設定なので「近いうちに帰国するので、会うのは今日で最後になるかもしれませんね。お元気で」と、ダイアナは長居せずに見舞いの品を置いて早々に退散した。
変に気を持たせなかったのは正解だが鬼かよ。
ちなみにサフィルスは、アルチュールの気持ちを正確に理解していたので「早く元気になってくれ。僕達の結婚式にはぜひ出席してほしいな」と笑顔で告げた。
消去法だろうが、ダイアナに選ばれたのはサフィルスだ。
もうやめて! とっくにアルチュールのライフはゼロよ!
*
お見舞いの後、サフィルスはドゥ皇帝と積もる話があるとかで、ダイアナはギャラハッドとお茶をしながら婚約者の用事が終わるのを待つことにした。
王宮を訪れたのは話し合いがメインで、お見舞いがついでだったとも言える。鬼だな。
「今回の結果を鑑みて俺達は仮説を立てた。聖杯を発動するには、二つの条件を同時に満たす必要がある──」
ひとつ。純度の高い願いであること。
ふたつ。強い思いであること。
「ガヴェインが先日の儀式で失敗したのは、二つ目の熱量──必死さが足りなかったからだろう」
ガヴェインは頑張って祈ったのだが、冤罪をどうにかしようとするのと、元の体に戻そうとするのとでは、どうしても重みが違う。
「一人一回限り、という線はありませんか?」
「辺境伯の日記に、初代皇帝が晩年に北壁戦線で聖杯を使ったという記述がある。諸説のひとつで、他の説に比べると現実味が薄いから、あまり有名じゃないけど。俺は皇帝が二度目の祈願を行ったと思ってる」
北壁戦線については今でも多くの謎が残っている。
起きた出来事については、当時の記録が複数の文献に記されているのに、それらが全て事実だとすれば矛盾が生まれるのだ。
だが超常の力が働いたと考えれば説明がつく。
「聖杯伝説の記述は、現代では『純粋な者の心からの願い』と訳されているが、当時の『純粋』は『無垢』ではなく『迷いがない』『邪念がない』と言う意味合いの方が強いらしい」
巨大な国の礎を築いた男が、純真無垢というのは些か違和感があるので、そちらの方が説得力がある。
「それなら私に起動できたのも納得です。無機物が脅しに屈して、願いを叶えたとは思えません」
他国の国宝のことを、無機物とか言うなよ。
「当時の初代皇帝は、偽物を主人に差し出した疑いで処刑寸前だったんだ。自分の命が掛かっているなら、そりゃ必死になるよね」
「私も元に戻らなければ、生涯独身確定だと思って必死でした」
「あ、ウン……」
その場にはいなかったが、アルチュールの公開プロポーズについて聞き及んでいるギャラハッドは複雑な顔をした。
「アナ──失礼、ダイアナ嬢。俺は皇帝候補を辞退するよ。陛下にはもう伝えた」
「エレイン妃は納得しましたか?」
「うん。ちゃんと説得した。……俺は、……自分が口を出すことで、兄貴だけじゃなくて、母上まで病んでしまうんじゃないかと怖かった」
「……」
「兄を傷付けるとか、母を否定したくないというのは言い訳だ。俺は二人と向き合うことから逃げてたんだ」
長い年月をかけて絡まってしまった思惑を解きほぐそうとするなら、痛みで血を流す者が出てくる。
ギャラハッドは家族を傷付ける覚悟ができず、一人で抱え込むことで問題を先延ばしにしていたに過ぎない。
ギャラハッドは優秀だ。
ダイアナがヒントを与えたとはいえ、身を隠した皇帝とコンタクトをとり、カヴァスの動きも把握した。
精神的にも安定していて、ストレス耐性が高い。
でもそれは単体での能力が高いだけで、即ち王の器とはならない。
「皇帝は人の上に立つ者だ。個人の能力以上に、多くの人とどんな関係を築けるのかが大事だと思う。何だかんだで大勢の人が兄貴を中心に動いてる。俺よりも、兄貴の方が皇帝の素質があると考えたのは本心だよ」
エレイン、ギャラハッド、そして彼の側近達。多くの人々が自主的に彼を守ろう、支えようとしていた。
「この人の力になろう」と、自然と思わせることができるのは才能だ。
その点ではアルチュールは天才だ。
天然愛されヒロインとは彼のこと。ヘラっていることさえ、属性のひとつ。
「皇妃についてはどうするんですか? アナスタシア様は無理ですよ」
「側近の女性版として募集する。皇帝であれば側室を迎えることができる。正直ひとりで兄貴の相手ができる女性はいない。負担を分散させた方が、お互いの為になるだろう」
「依存先を分散させるのは有効だと思いますが、そんな立場を望む御令嬢がいますか?」
「何人か目星はついているんだ。子供については、当人の希望を最優先にするよ。決して押し付けたりはしないし、拒否したからといって立場が悪くなることがないよう尽力する」
ドゥ皇帝が即位した際は、国内が不安定で複数の派閥から側室を迎える必要があった。しかしあれから数十年経ち、今は側室の数も人選も自由だ。
余談だが皇帝がメタモルフォーゼした原因は、皇帝としてのプレッシャーではなく、性癖に反して複数の妻を迎えたからだ。
「随分話を進めてるようですが、本人は了承してるんですか? それにまだ第二王子が残っていますよね。流石に勇み足過ぎませんか?」
「心配いらないよ。兄貴は先日、盛大に失恋したんだ。失恋の傷を癒すには、新しい出会いが一番だろ?」
「うわっ。あの人、好きな相手が居ながら、私にあれだけ絡んでたんですか!? ……他の女に構う様子を見せつけて、気をひこうとしたんでしょうが、手段としては最低最悪ですね」
「……まあ、それに関しては兄貴を責めないでやって欲しい。彼女なら一人でも兄貴を受け止められたかもしれないけど、残念ながら、相手には最初からその気が無かったみたいなんだ」
ヒロインムーブをことごとくスルーしてきたダイアナお嬢様だが、鈍感属性だけはキッチリ回収していた。
「それとヴァルなら大丈夫。ここ数ヶ月アイツは飛び地との融和に赴いてたんだけど、行く先々で軒並み逆指名くらったんだ」
「どういうことですか?」
「他人に頼れないのが俺。自然と周囲に助けられるのが兄貴。その気が無くても嫌われるのがヴァルってことだ」
ギャラハッドは側近達に的確な指示を出すことができる。だがそれは頭がギャラハッドで、彼等が手足だからだ。
他人に頼るのが下手な彼は、単身で問題解決しようとする傾向がある。
「なんとなく理解しました。それはもう決まったも同然ですね。……ギャラハッド殿下は、この先もアルチュール殿下を支えるつもりですか?」
「いいや、俺は国から離れるよ。新しい環境で、自分の人生を生きてみたいんだ。──在ジェンマ大使になろうと思う」
例え地方へ行こうとも、帝国の領土であれば多少なりしがらみがある。
それに情報が入ってきやすい環境だと、どうしてもアルチュールの動向が気になってしまう。
「過去の自分を知らない土地なら、別の国の方が良いのでは? ジェンマ国だと、私とエスメラルダ様が殿下の事情を知っていますよ」
「それはホラ。少しくらいは知人がいた方が、都合が良いことだってあるじゃん」
「都合ねぇ……。エスメラルダ様には婚約者がいますが、それは彼女の意志で即時解消可能な関係です」
「そうなの!?」
「ほー」
「いやいや。これは知り合いの事情を知って、驚いただけだからっ!」
「……エスメラルダ様が最短ルートで帰国できるよう、殿下に手を回すようお願いしましたが、まさか王子自ら国境まで同行するとは思いませんでした」
「伝達だとタイムラグがあるからね。時間のロスを防ぐ為だよ」
「それくらいなら、部下を同行させても良かったのでは?」
「……。確かに彼女とは話をする機会があったけど、ダイアナ嬢が想像しているような内容じゃないよ」
ギャラハッドとエスメラルダは、周囲に搾取されてしまう系の優秀キャラだ。
家族に本心をぶつけることができず、一人で何とかしようとして事態を停滞させていたギャラハッド。
アレキサンダーのことを一人で抱え込み、誰にも助けを求めることなく溺死寸前だったエスメラルダ。
彼女はダイアナと出会ったことで、己の殻を破ることができた。
ギャラハッドに過去の自分を重ねたエスメラルダは、無礼を承知で彼に自分の経験を語った。
「僕も彼女も、損な役回りを押し付けられるタイプだ。タチの悪いことに、本人も周囲もその自覚がない。──君とは反対のタイプってことさ」
メルランがギャラハッドに協力したのも、ドゥ皇帝が「誠実な対応をすべき」と判断したのも、彼らがダイアナの性質を正しく理解していたからだ。
両者共にダイアナの皇妃としての資質は認めている。
もし彼女が自ら皇妃になることを望んだなら、彼らは歓迎しただろう。
しかし彼女は便利な道具ではなく、取扱危険物なダイアナマイト。
ダイアナは独自の基準を持っている。
境界を越えて自分を害そうとしたり、利用しようとする者があれば、どんな状況で、どんな相手だろうと躊躇なく排除する。
過去にどんなに良好な仲であろうと、今は敵とキッパリ切り捨てる。元婚約者が良い例だ。
隠し事はいつかどこかで露見する。情報を操作し、ダイアナが皇妃になるしかない状況に誘導するような真似をすれば、発覚した瞬間に最も頼もしい味方は、最も厄介な敵に変ずるのだ。
「そうですか。実は帝国で知り合った方で、オブシディアン公爵家の婿に良さそうな人物が居ました。帰国したら早速紹介を──「ごめん! ごめんって! 認めるから! 止めて!」」
エスメラルダの方はわからないが、少なくともギャラハッドは彼女に気があるらしい。
【アレキサンダー@再教育中】だけだった、エスメラルダの手札に【ギャラハッド@兄離れチャレンジ】が新たに加わった瞬間だった。
もうちょっとマシなカードないの?
「殿下に忠告です。結婚したら、貴方の守るべき存在は妻と子供です」
「……うん」
「実家の家族と、妻子のどちらかを選ばなければいけない状況で、迷わず後者を選択できないのであれば、結婚すべきではありません。一生アルチュール殿下の弟でいるべきです」
「肝に銘じておくよ」
ダイアナが言いたいのは、嫁姑問題が起きた時に、今回のようなどっちつかずの半端な対応をするなということだ。
エレインはあまりギャラハッドに干渉するタイプには見えないので、要注意なのはアルチュールの方だ。
他人の色恋に興味のないダイアナだが、彼女は王妃になる女。
ギャラハッドが、エネ夫にならないよう釘を刺した。
今は両国の仲は良好だが、未来はどうなるかわからない。ジェンマ国筆頭公爵家の婿が、帝国に阿るようでは困るのだ。
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