ヒロイン失格
ホテルに避難したダイアナお嬢様ご一行だが、翌日彼女達は公爵邸に帰った。
ダイアナの密命を帯びたエスメラルダは、シトリンとオパールを引き連れて別行動だ。
屋敷に舞い戻ったのはダイアナ、アナスタシア。そして彼女達の護衛を引き受けた、サフィルスの部下である男性二人だ。
ホテルのモーニングをゆっくり堪能した後で、悠々と帰宅したダイアナお嬢様を、ケイをはじめとする使用人一同は、内心の動揺を押し隠して出迎えた。
「アナスタシア様が来てしまったので白状しますが、私の本名はダイアナ・アダマス。ジェンマ国王太子の婚約者です」
ダイアナの告白に、ケイが息をのんだ。
「今回のことは私にも落ち度があります。自分の正体を隠していましたし、戻れなければそのままアナスタシアとして生きると宣言したことで『それなりに地位が高いみたいだけど、入れ替わっても問題ない程度なんだろう』と勘違いさせてしまいました」
しかし正体を明かしていれば、国際問題待ったなしだったので、ダイアナが一概に悪いわけでも無い。
お互いが最善と思って行動した結果、悪い方向に進んでしまったのが今の状況だ。だがボタンを掛け違えただけならば、留めなおせば良いだけの話だ。
ダイアナは自分がこのままアナスタシアの中に入っていて良い人物では無いことを説明すると、本物のアナスタシアについての考察を執事に語った。
*
「ガスライティング……ヒューリスティック……どれも聞き覚えのない言葉ですね」
「まあ、そうでしょうね」
どちらも、この世界の言葉ではない。
特にガスライティングは映画のタイトルが語源なので、どんな現象を指しているか、その単語から連想することも不可能だろう。
エスメラルダは、ダイアナに「アナスタシアは決して不出来ではない」と語った。
実際彼女はジェンマ国で冤罪事件について説明した際に、公爵家の跡取りとして不足のない分析力を披露していた。
「アナスタシアは母国で悪循環に陥っていた。ジェンマ国では環境と人間関係がリセットされたため、萎縮せず本来の力を発揮した」というのが、エスメラルダの見立てだ。
(エスメラルダ様の見解は間違いじゃないけど、全てでもない)
アナスタシアは、長期にわたり心理的虐待を受けていた。
中心人物はネヴィアとロトだが、周囲の人々も知らず知らずのうちに加担している。
「一つ一つは小さな悪意です。でも積み重ねることで、アナスタシア様に大きな影響を与えました。彼等は自分達が原因だと、今も気付いていないでしょう」
幼い頃からネヴィアは、姉に些細な嫌がらせを繰り返していた。
チェストの上に置いていたアクセサリーを、こっそり宝石箱に戻す。集合時間を三十分遅れて伝える……。
窃盗だったり、別日を教えたら大事になるが、彼女は絶妙なラインを維持した。
アナスタシアは、アクセサリーがないと部屋中手分けして探し回った挙句に、キチンと片付けられていることが発覚して白い目で見られたり、遅刻して時間にルーズな人間だと誤解された。
ネヴィアは、表立って姉を貶めるような振る舞いはしていない。
妹に騙されたと主張しても、ネヴィアが否定すれば、逆にアナスタシアが疑いの目で見られた。
数少ない友人に相談したことがあるが「証拠もないのに、滅多なことを言うものではない」と、アナスタシアが妹の悪評を吹聴したようにとられた。
そしてネヴィアはアナスタシアに呆れた友人達に接近して、健気に姉をフォローしてみせることで、彼女達の信頼を勝ち取り、アナスタシアの主張の信憑性を崩していった。
ロトに関しても、ジェンマ国のA王子のような一目瞭然なモラハラは行わなかった。
彼は狡猾にアナスタシアの言動を否定し、彼女が孤立するように仕向けた。
帝国の貴族は、兄弟間で競い合うことを強いられている。
そんな中で公爵家の唯一の嫡子であるアナスタシアは、滅多にない幸運の持ち主だ。
恵まれている者は妬まれる。
そんな彼女が失態をおかせばどうなるか?
自尊心の高い帝国の子息達は、アナスタシアに露骨な攻撃はしなかった。彼等はヒソヒソと嘲笑い、小さな当て擦りをし、「無能な公爵令嬢」という共通認識を作り上げた。
元凶の二人は、アナスタシアに対する鬱憤を嫌がらせで発散させていたのだろうが、結果としてアナスタシアは自分を不出来だと思い込むようになり、己の判断力に自信が持てなくなっていった。
アナスタシアのヒロインムーブは、ヒューリスティックだ。
読書が趣味なアナスタシア。
本全般が好きなのではなく、甘い世界に浸ることによって、辛い現実を束の間忘れるのが目的なので、彼女は自己投影し易い「不遇なヒロインが、素敵な男性に見初められて溺愛される」系の恋愛小説にのめり込んだ。
ガスライティングによって自分の認知・判断力に懐疑的になったアナスタシアは、無意識に小説のヒロインの言動を模倣するようになった。
アナスタシアは「人としてあるべき姿」「模範的な人間の行動」として、反射的に自分の脳内に蓄積されていたヒロインムーブを行っている。
そして残念なことに、彼女の場合はことごとく裏目に出てしまった。
小説には起承転結が必須。
スパダリ溺愛モノにおいて、物語を盛り上げるためのトラブルは、完全無欠設定なヒーローではなく、ヒロインが原因となることが多い。
作中ではヒロインに過失があっても、後々リカバリーする描写があり、作者は彼女達にヘイトが向かないような構成に仕上げている。
だが現実はそうではない。作者不在のリアルで彼女達と同じ振る舞いをしても、名誉挽回できる展開は用意されていないのだ。
加えてアナスタシアの見た目は、彼女が好む小説のヒロインとかけ離れ過ぎていた。
ヒーローに助けられるまでは、虐げられるがままの彼女達は、基本的に庇護欲を刺激したり、清純さの塊のような容姿だ。つまり華奢で、大人しそうな顔立ち。
アナスタシアは長身でスタイルが良い。大人しそうなのではなく、大人っぽい顔立ち。彼女の容姿は、例えるならヒーローの元カノだ。
本人とかけ離れたキャラのコスプレをするようなもの。
結果として出来上がったのは、外見に対してキャラが浮いた少女だ。
極めつけは、彼女が全てを無自覚で反射的に行なったことだ。
アナスタシアのヒロインムーブが薄っぺらく感じるのは、上辺をなぞっているに過ぎないからだ。
外見とキャラがミスマッチでも、信念を持って貫けば良いギャップと認知されたのだが、アナスタシアの場合はそれっぽいだけで芯がない。
キャラ選択で難易度爆上げしておいて、スッピンでコスプレしている感じなので、ガレスをはじめとして一部の人々の神経を逆撫でした。やるなら本気でやれ!
「……アナスタシア様の状況については、理解できました。ならば尚更、彼女が女公爵として生きるのは──」
「立ち回りについては、秘策を伝授したので心配無用です」
頭で理解したからといって、即是正できるようなものではない。
ダイアナが女公爵として生きるのを諦めるのは仕方ないとしても、アナスタシアには荷が重いとケイは言いたいのだろうが、その点も抜かりなく対策済みだ。
「今後の公爵家に必要なのはアナスタシア様です。彼女には文才があります。事業を立ち上げた後は、維持をしなくてはいけませんが、この点に関してはお世辞抜きに、私よりもアナスタシア様の方が優れています」
昨夜、ダイアナはアナスタシアに自分語りを所望した。
過去にエスメラルダが行ったような、長時間の苦行を覚悟していたのだが、予想を裏切ってアナスタシアが語った内容は、即興とは思えないくらい分かりやすくまとまっていた。
自分史の作成に近い行為だったので、本人も無自覚だった才能を如何なく発揮したのだ。
「これは試しにアナスタシア様に書かせたSSです。シリアスからコメディまで、彼女は短時間で恋愛小説を三本書き上げました」
アナスタシアはミスした際、どうすれば正解だったのかと脳内反省会する癖がある。
何パターンも想像して検証するのだが、臨機応変さに欠ける彼女は、シミュレーションの結果を現実に活かすことができなかった。
また彼女は恋愛小説を読む際に、もしも自分がヒロインだったらと夢想するタイプだった。
お気に入りの物語であれば、番外編を自分で考えることもある。
要は習慣的に想像力を鍛え、脳内で夢小説と二次創作を生み出していたのだ。
「……」
「実際に小説を書いたのは今日が初めてだそうですが、見事な出来だと思いませんか?」
アナスタシアの作品を無言で読み進める選定者に、ダイアナは語りかけた。
数打って当たれば儲けものなライトな小説とは違い、娘シリーズはひとつの大きな事業なので、根幹となるシナリオを外部に任せるのはあまりにリスキー。
既存のシナリオは、全てダイアナが執筆している。
「水着イベントはテクニックで誤魔化しましたが、私は恋愛小説苦手です! 特に悲恋とか、純愛なんて絶対書けません!!」
容姿端麗な少女達と指揮官の絡みがメインなので、娘シリーズから恋愛要素を排除することは難しい。
娘シリーズはコンスタントなシナリオ追加が求められるが、ジャンル制限のあるダイアナに、兵士達を飽きさせないストーリーの更新は正直厳しい。
ジャンル制限なしで速筆な時点で、ダイアナよりもアナスタシアの方が優れているのだ。
読み手になった際に好みに偏りがあるだけで、アナスタシアは恋に恋して、ラブストーリーで胸キュンすることが出来る。
ダイアナもアナスタシアも恋愛未経験だが、「恋したことがない」と「恋できない」では根本的に表現の幅が違う。
我等のダイアナお嬢様とて得手不得手はあるのだ。
確かに悲恋とか、純愛はダイアナお嬢様のキャラじゃないけど、堂々と宣言するのってヒロインとしてどうなんだろうな。
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