お嬢様とお呼び
「ああもう! あの小娘! 本当に容赦ないんだからっ!!」
扉を閉めた応接室にまで聞こえてくる程、玄関先が騒々しい。一際よく通る声が耳に入り、アーロンは妻の訪れを察知した。
「モルガーナ……」
「あらまあ、旦那様! 突然お邪魔してごめんなさいね。申し訳ございませんが、少し荷物を置かせていただきたいの!」
「いや、それは構わんのだが……今は少しタイミングが悪くて。出直してくれんか?」
「何か御用の最中? 荷物を置くだけなので、旦那様のお手間は取らせませんわよ」
「いやその……」
いつもはアーロンと最低限の使用人しかいないこの別荘なのだが、今日はどういった訳か千客万来状態だ。
モルガーナの後から、木箱を持った男が玄関に入ってきた。
彼女はアーロンに挨拶しつつ、出迎えたメイドに、食品の長期保存ができる場所に男を案内するよう指示した。
「──割れ物だから気をつけて頂戴!」
「おい、もう少し声を抑えてくれ」
アーロンが実質蟄居状態になって暫く経つ。少し離れている間に遠慮がなくなったのか、彼が諌めてもモルガーナは自分の目的を優先した。
(以前はもっと察しが良くて、俺を煩わせることなんてなかったのに……)
娼婦らしい立ち回りと言ってしまえばそれまでなのだが、以前の彼女はもっと賢くて、聞き分けが良い女だった。
(記憶が美化されてるのか? たった二ヶ月程度で?)
家族と離れて久しいアーロンの目に、久しぶりに見た妻の姿は随分と騒々しく、図々しく映った。
(いや、隠していただけでこれが彼女の本性だったのか……?)
娘のアナスタシアだって、裁判から帰ってくるなりガラリと態度が変わっていた。
自分の目が節穴だっただけで、アナスタシアもモルガーナも今の姿が素なのだろう。
「──ヴィヴィアン公爵夫人は、相変わらず華やかで美しいな」
外の喧騒が気になったのか、応接室からロトが顔を出した。
「貴女が訪れただけで、寒々とした冬の庭が春の陽気に包まれたような心地になった。まるで春の女神ルフェイが如しだ」
「まあ、お上手ですこと。殿下がいらしていたのですね。いつもの調子で騒々しくしてしまい、申し訳ございませんわ。ほほほ」
歳を重ねても衰えることのない、大輪の華のような笑顔でモルガーナが挨拶をした。
突然の王族の出現に動揺することなく素早く対応する様は流石だ。この辺りの立ち振る舞いのスマートさは、アーロンの記憶にある通りのモルガーナだ。
「モルガーナ。その木箱に入っているのは酒か?」
「リゲニズの原液ですわ。劣化防止の為、食品倉庫に運ばせましたが決して口に入れてはなりませんよ」
「ああ。シワだかシミ治療の化粧品だったな。確かに調味料と間違えたら、料理が台無しになりそうだ」
モルガーナが過去に何度か話していたことがあるので、アーロンもその名前は聞き覚えがあった。
「旦那様、原液ですよ! 口にしたら一人あたりティースプーン一杯で死に至ります! それにこれは無味無臭です!」
「なんだって!? そんなもの完全に毒じゃないか!」
「国の指定は毒物ではなく、毒薬です! 一般人が購入できるのは、百倍くらい希釈されているものです。どんな薬品も原液そのままを口にしたら急性中毒、もしくは死に至ります。リゲニズは希釈液を細かな針で傷つけた肌に塗ることで浸透させて効果を発揮する薬なので、多少薄めたところで原液を口にしたら即死するだけです」
(『だけ』って……そんな物騒な物持ち込まんで欲しい)
続く説明にアーロンは絶句した。
「どうしてそんなものがウチに?」
「私は長年愛用しているので、市場で手に入る濃度では効かないんですよ。業界の友人にお願いして、専門家が自分で希釈する前の原液を譲ってもらったんです」
「お前は専門家じゃないんだろ? 危険だし、違法じゃないのか?」
「危険ですから自己責任です。在庫の横流し、といえば聞こえが悪いですが、美に拘りの強い富裕層の女性の間では珍しくない行為です」
モルガーナが堂々と言い切っているのだから、法には触れていないらしい。
とは言えあまり誉められた行為ではなさそうだし、致死性のあるものを食糧庫に保管されるのは抵抗がある。
「なあ。持って帰ってくれ。ケースひとつなら、お前の手元に置いておけば良いじゃないか」
「そうしたいのは山々なのですが『公爵家の財政見直し』と言って、価値のあるものは、根こそぎあの娘に押収されてしまうのです」
既に色々持っていかれたのか、モルガーナが苦虫を噛み潰したような顔をした。
「私は現在、ちょっとした事情でアナスタシアに逆らうことができません。でも肌の手入れは一度怠ってしまうと、それを取り戻すのに倍以上のお金と時間がかかるのです!」
「……でもなあ」
「お願いです旦那様。長くても半年ですから! 半年後には私はアナスタシアから解放され、所持品に手を出されることもなくなるのです!」
ダイアナが修道院に持参しているスマートな本は、手書きではなく少部数印刷したものだ。
この時代に小部数印刷はかなり高くつくのだが、彼女は低価格でこれらの本を用意した。価格の低さは、外部に印刷を依頼するのではなく、自社工場で機械の試し刷りとして作成しているからだ。
ダイアナはロトシックスの親達から巻き上げた慰謝料で印刷会社を作り、分家の従兄弟達に任せた。
会社を与えたととるか、当主代理の権力を使って親戚を強制的に従事させたととるかは微妙なところだが、少なくとも分家の者達は、初期投資なしで安定した収入を得られるようになったので文句を言わず働いている。
印刷会社設立と同時に、ヴィヴィアン公爵家はエクターの父と共同経営で出版社も設立した。
印刷用の機材の購入もだが、商売するにあたり業界への人脈はエクターの父が。周囲からの圧力には公爵家が睨みを効かせたことにより、順風満帆なスタートを切った。
平民と高位貴族が融資ではなく共同で会社経営するという事に、多くの貴族は内心では忌避感を抱いたが、それは自分達の感情の問題で、経営方法としては決して悪くはないと頭では認めている。
自分達の価値観が時代遅れになりつつあると自覚しつつ、ダイアナのように実際に行動に移すことができる者はまだ少ないのが帝国の現状だ。
その一方で平民達は、相手は富豪とは言え、大貴族が平民と手を取り合って会社を作る、という新しい時代の幕開けに胸を高鳴らせた。
サブカルだけでなく、社会にも地味に革命をもたらしつつあるダイアナお嬢様。本当そういうとこだぞ。
砦娘の試用期間に、ダイアナは自社で出版した本で名を売り、当面の資金を稼いだ。
その栄えある一作目は、モルガーナの著書だ。
二作目も彼女に書かせた。
一作目はヴィヴィアン公爵家お抱えの医師、二作目は弁護士資格を持つケイにも協力させたが、基本的に全て身内で完結させたので、利益率が高かった。
ペーパー弁護士はダイアナお嬢様に酷使され過ぎて、スーパー弁護士に進化しつつある。本人はあくまで執事であり続けたいようだが、既に弁護執事である。
ダイアナがモルガーナに執筆させたのは、社交界における彼女の知名度と、人生経験に目をつけたからだ。
モルガーナが元娼婦であることは、社交界で広く知られている。
その割に彼女は社交界で爪弾きにされることなく、ヴィヴィアン公爵夫人として正式に招待されることが多かった。
それは何故かと言えば、元娼婦である彼女にしかできない話を、生粋の貴族達が相談したかったからに他ならない。
モルガーナに寄せられる相談事の内訳を聞き出したダイアナは、その金になる知識を商品として売ることにした。
モルガーナが書いたのは、暴露本でもモテテクニックでもない。
平民と公爵家の共同経営という話題性によって、世間の注目を集める中で出版するのだ。売上は勿論だが、それ以上の成果が欲しい。
取り扱い注意な暴露本も、売れて精々中ヒットの恋愛指南書も、会社や家の評判を下げることはあれど、上げることは無い。
ダイアナがモルガーナに書かせたのは、性病に関するハンドブックだ。
性病の歴史だの、病のメカニズムだのといったお堅い医学書ではない。
現在の帝国で罹患し得る性病を、年間症例数によってランキングし、各々の「初期、中期、末期症状を娼婦・男娼の間で伝わっているリアルな判断基準で描写」「治療の流れと必要期間」「娼館で実際に行っている男女別予防法」を分かりやすく、まとめたものだ。
試験的にウーサー砦で販売したら一瞬で完売した。
男は兵士だけではないと、一般向けにも販売したら問い合わせ殺到。
お抱え医師のいない中流以上の家庭では家庭の医学書として、お抱え医師がいる家庭でも保健体育の資材として、更に男性諸君は自分用にこっそりと……と一家に一冊以上の計算で売れに売れた。
一冊目は医学書。では二冊目は何かと言うと、男女のハウツー本だ。
しかし前述した通り、異性にアプローチする方法や閨の作法を説いた物ではない。
異性の嘘を見抜く方法と裏切りが発覚した際、その先どう行動すべきか具体的に指南する実用書だ。
大雑把に括ると離婚・別居・再構築のどれをゴールにするか設定し、そのために必要な立ち回りを解説している。
あの時こうしておけば良かった、逆に余計な事をしてしまった為に後々不利になった、などの生々しい教訓が満載。
娼婦として数々の修羅場を見聞きし、また自身も体験してきたモルガーナだから書ける内容だ。
男主人公、女主人公の両パターンで一冊にまとめられているのだが、これは専らご婦人方に大ヒットした。
参考になるだけでなく、読み物としても大変刺激的なので、未婚の若い女性も夢中になって読んでいる。
モルガーナは短期間に連続ヒットを飛ばしたことで、社交界において独自の地位を確立した。
今は印刷所をフル稼働して刷っているが、予約分を全て売り切る頃には、彼女の公爵家に対する借金は完済する計算だ。
まあこれは必要分を刷り終わって、それが無事捌けた時のことなので、今はまだ完済の目処がたっただけの状態だ。
今の時点ではまだモルガーナは借金持ちの身なので、ダイアナには絶対服従。
モルガーナはダイアナの手足として、方々へ駆り出されては調整業務や営業をさせられている。
ダイアナがディレクターだとすると、モルガーナは制作進行管理と広報の一部を任されている感じだ。
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