君が止めるまで殴るのをやめない!
「いやいやいや。この流れで帰るとかないだろ!」
ダイアナは解散を告げたが、ギャラハッドが食い下がった。
「候補者達の情報に対する報酬は、もう充分支払ったと思うんです」
「わかった! 何が望み!?」
「聖杯への祈祷を試してみたいのと、後日殿下に同行してもらいたい場所があります」
「……場所は何処?」
「修道院です。日帰りですよ」
「〜〜わかった。聖杯にしても何とかするよ、その代わりちゃんと説明してくれ」
話が長くなりそうなので、二人はソファに腰を落ち着けた。
ケイが新しいお茶を用意するのを視界の端に収めながら、ダイアナは語り出した。
「最初の違和感は、メルランさんが皇帝が戻れば問題解決すると断言した事、更に暫く辛抱すれば良いと言い切った事です」
「……」
「皇帝が戻れば何とかなると確信していました。それに王子も詳細を知らない皇帝の不在を、どうして彼は暫く続くと知っていたんでしょうね」
「言い間違いや、思い込みという線は?」
「その可能性は否定できません。……ですが彼の書いた記事について質問した時、はぐらかしましたよね」
「低俗な内容だからだろ。もしくは卑猥」
「今まで書いた記事全てが低俗なんてことはあり得ません。中堅の新聞社と契約できるくらいなんですから、他人に語れる仕事の一つや二つはあるはずです。フリーの記者なんて自分を売り込むのも仕事の内なんですから、咄嗟に何も出てこないのはおかしいです」
最近書いた記事について言えなくても、過去に手がけた仕事には多少なり誇れるものがあるはずだ。初対面で相手の信頼を得たいなら、最近の話でなくても何かしらアピールするのが普通。
「籍は本当にあるんでしょう。書類上は不審点のない経歴の持ち主のはずです」
「……」
「でも本物じゃないから、記事は書いていない。下手なことを言えば身分詐称がバレるので、誤魔化したんでしょう」
クローゼットから出たギャラハッドの言葉を信じるなら、メルランはかなり体を鍛えている。ヨレヨレのコートや体にフィットしていない既製服は体のラインを誤魔化すためだ。
常日頃から一般市民に紛れて諜報活動するタイプではなく、本来は荒事専門なのかもしれない。今回が例外なだけだ。
「……俺達をクローゼットに押し込めたのは、オッサンが無臭かどうか確認する為か」
「そうです」
「自分の匂いは麻痺しやすいし、いざ消そうと思っても簡単にできるものじゃない。致命的なミスに繋がるのを避けるため、諜報員が日頃から自分の体臭に気を遣うのは納得だ。無精髭があって、髪も伸びっぱなしの中年が、加齢臭も石鹸の匂いも一切なしは言われれば不自然だ」
考えを整理するように、ギャラハッドは紅茶で一服した。
「極めつけが私に取材を申し込んだくせに、具体的な話をしなかった事です。どんな記事を書くつもりなのか話さず、一切インタビューもせず彼は帰りました。──取材はアナスタシア・ヴィヴィアンに接触するための口実です」
「……オッサンの狙いは?」
「アナスタシアへのフォローでしょう。より良い君主を選ぶ為の皇位継承戦なのに、その所為で国力が低下するようなトラブルが起きてしまったら本末転倒です」
「ある程度の行為は目溢しするが、取り返しのつかない事態にならないようカヴァスが放たれてるわけか」
「延長戦が続く試合に決着をつける為に、審判が身を隠すんです。多少のルール違反は許されても、審判が見ていないからと、試合相手を殺害するような選手が勝者になるのは困るんですよ」
あくまでこれは、より良い皇帝を決めるための試合であり、殺し合いではない。
「……実力で皇帝を決める国なのに、手段を問わず相手を蹴落とす事に問題があると?」
「戦争で考えましょう。敵国を放火してまわり、水源に毒を撒き散らし、土地を汚染させたらどうなると思いますか? 確かに戦には勝てるでしょうが、その後その土地を治めることは事は困難になります」
なりふり構わなければ敵を滅ぼす事ができるが、手に入るのは死んだ土地と、国民の怨嗟だけだ。
「単に勝つだけじゃなく、適切な線引きが出来る者が求められているのか。……確かにルール無用の殺し合いで生き残った皇帝なんて、暴君一直線だ」
「ロト殿下の企みは許容範囲内だったんでしょう。でもその結果、ヴィヴィアン公爵令嬢が思い詰めないようメルランさんが派遣されたと私はみています」
「まあ以前のアナスタシア嬢の噂を聞く限りじゃ、心の病になったり、絶望して自殺した可能性があるな」
今回の事件を耳にするまで彼にとってアナスタシア・ヴィヴィアンは、腹違いの弟の婚約者という近いようで遠い存在だった。
兄弟の婚約者に不用意に近づくとあらぬ疑いを持たられるので、できるだけ接触しないようにしていたが、それでも地位の高い者の噂話というのは自然と耳に入ってくるものだ。
「裁判で想定外の流れになった上に、アナスタシアの中身が違うと聞かされてメルランさんは相当慌てたでしょう。その後に私が色々やらかすと宣言したので、おそらく彼は取材を名目に、今後私に付きっきりになると思います」
「それじゃ宣言したのは悪手だったんじゃない? 監視がついたら動き難くなるだろ?」
「メルランさんは生きたルールブックです。ボーダーラインを越えようとすれば妨害するでしょうが、範囲内であれば見逃すはずです。やり過ぎて後で処罰されたら敵いませんので、私としても見張りは歓迎するところです」
「はあ……アナがそう考えてるなら良いか。オッサンの正体と目的については納得した。──選帝侯については?」
ギャラハッドにとってはより重要な話だ。
「……殿下は選帝侯の見当が付いていましたか?」
「いいや」
その正体が判明していたら、皇位継承戦には候補者同士の蹴落とし合いだけじゃなく、選帝侯の篭絡も追加される。
この戦いはもっと生々しい人間同士の欲と弱みを探り合う戦いになっていただろう。
ダイアナは気軽に話しているが、もし彼女の説が正しかったら、この国の全てがひっくり返りかねない。
「私は初めてその存在を知った時に疑問に思ったんです。なぜ誰も正体を知らないのか、と」
ダイアナは王太子妃教育で選帝侯の存在を知った。
彼女に帝国の歴史を教えた教師は、選帝侯の正体を知らないと言い切った。王宮の教師が言い切るのだから、ジェンマ国は本当に把握していないのだろう。
帝国の歴史は長い。何度も皇帝が選出されているのに、選帝侯の予測すらできていないのをダイアナは不思議に思った。
特定の一族がその役目を担っている、もしくは貴族が持ち回りで選帝侯になっているなら、時の流れと共に暗黙の了解のような形で知れ渡りそうなものなのに一切が謎のまま。
「選帝侯と聞くと、特別な一族や貴族を思い浮かべますが、もしかしてそれが罠かもしれないと思ったんです」
「でも何故カヴァスがそうだと?」
「私の知る限り彼等のような存在は、主君に対する無私の献身を強いられます。どんな命令だろうと命を賭して遂行する。その座に相応しくない者が、王冠を戴くのを最も良しとしないのが彼等です」
「まあ、文字通り死活問題になるからな」
「もし自分達が選んだ人物が皇帝になるのであれば、彼等も納得して生涯を捧げることができるんじゃありませんか?」
「……それなら、ある意味公平と言えるか」
帝国の頂点を、国の暗部が決める。本当だとすれば不思議な話だ。
「混沌とする試合会場で影の審判をしつつ、次の皇帝を見極める。選帝侯に関しては、現時点では私の推測でしかありませんが、帝国らしい合理的なシステムだと思いませんか?」
「可能性の一つとして受け入れよう。念頭において動いても損はない」
今はまだ可能性の範囲だが、否定する材料もないので保留だ。
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