はい看破!
「ダイアナお姉様。食欲が無いのは分かりますが、このままでは体がもちません。少しでも良いので、召し上がってください」
泣きそうな顔で懇願してくるメイジーに、アナスタシアは力無く首を振った。
少量でも栄養が取れるようにと、テーブルには色々な味付けのスープが少量ずつ並べられている。
仮病だった体調不良だったが、今では本当になってしまった。
夢のような生活に舞い上がっていたアナスタシアだが、その状態は長くは続かなかった。
「ごめんなさい……」
万感の想いを込めて、メイジーに謝るアナスタシア。
物語のようなリアリティに欠けた状況、理想を詰め込んだような設定だが、これは紛れもなく現実だと今のアナスタシアはわかっている。
わかってしまったからこそ、彼女の精神は追い詰められた。
切っ掛けは本物のダイアナ・アダマスが書いたと思われる、自分とは違う筆跡のノートだった。
冷静になって探せば、部屋の至る所に自分ではないダイアナの存在を匂わす痕跡があった。
普通に過ごしていても「元気が無いけど、まだ調子が悪いのか?」と気遣う人々の存在も、本物のダイアナ・アダマスの存在を突きつけてきた。
彼等の知るダイアナは、物語のヒロインのように天真爛漫な性格なのだろう。アナスタシアとは真逆だ。
もしこれがアナスタシアにとって都合の良い妄想なら、部屋にあるのは彼女の筆跡の物のはず。
そして彼女にとって優しい世界で、彼女の性格を否定するような言葉を投げかけられることはないはずだ。
「ダイアナ・アダマスは実在し、自分は彼女の体を奪い取っている」という事実に気付いたアナスタシアは絶望した。
天国から地獄へ落ちたアナスタシア。今は周囲の何もかもが恐ろしくて堪らない。
誰かに相談したくても、頭がおかしくなったと思われるのが関の山だ。抱え込んだ思いは、嫌な想像と混ざりあって肥大して、アナスタシアを内側から蝕んだ。
主人公が他人に憑依してしまう作品は多いが、大抵は最初こそ罪悪感を覚えるが次第に「私がこの体の主を幸せにしてあげる!」とか「本物の意識が、いつ戻っても良いように頑張ろう。それまで私はこの子として精一杯生きる!」みたいな合理化──つまり自分の心を守るために、自己弁護と開き直りをするのだが、アナスタシアは半端に聡くて、神経が細かった。
ダイアナとして生きることが、後ろめたくなった彼女の精神はすり減った。精神状態に影響されて不眠症に陥り、食事を受け付けない体になれば、後は衰弱の一途。
自分が本物のダイアナじゃないことに気付いて欲しいのに、正体がバレたらどんな反応をされるのか怖い。
本物との言葉遣いの違いも気になるようになり、今では些細な会話すらままならなくなった。
(ダイアナ・アダマス聞いてるんでしょ? 貴女の体、好き勝手に使って悪かったわよ。ねえ、体返すから。早く起きてよ! お願い!)
この体に眠るダイアナを呼び起こそうと、謝罪したり、懇願したり、罵倒したり色々と試したが応答が全くない。
まあ、そこにダイアナお嬢様居ないからな。いくら呼び掛けても無駄だ。
「そんなつもりはなかったの。私もどうしたら良いのかわからないのよ……」
涙ぐむアナスタシアをメイジーが慰めていると、侍女が来客の知らせを告げにきた。
「ほら、お姉様。エスメラルダ様が来てくださいましたよ」
音楽サロン支部設立の為に、コランダムに長期滞在していたエスメラルダが、帰国したその足でアダマス邸を訪れたのだ。
「王太子殿下も国境の視察を早めて戻ってきてくださるそうですし、私には言えないことも、お二人相手なら相談できますよね? 良かったですね!」
気落ちしたダイアナを励ますように、メイジーが声を掛けるが逆効果だ。
本物のダイアナと親しい人物達が来る──しかも、片方はもう来てしまった。
もう大丈夫と安心した表情のメイジーと対照的に、元々血色の悪かったアナスタシアの顔色は土気色になった。
*
ダイアナ・アダマスの親友は公爵家の令嬢だった。
アナスタシアも同じ公爵家の娘なのだが、エスメラルダ・オブシディアンは比べるのも烏滸がましい程格が違った。
エスメラルダはすらっとしているので身長が高く見えるが、本来のアナスタシアよりも少し低いくらいだろう。ダイアナのような可愛らしい系ではなく、綺麗系なところもアナスタシア寄りだ。
系統が若干似ているからこそ、その違いは残酷だった。
頭から爪の先まで、全身丁寧に磨かれた宝石のような少女。
一目見ただけで、周囲に大切にされていることが分かるエスメラルダの姿に、アナスタシアは惨めになった。
「貴女、ダイアナじゃないわね」
ダイアナの私室を訪れたエスメラルダは、席に座るなり硬い声で告げた。
「シトリン! オパール!」
「やっておしまいなさい!」とは言わなかったが、エスメラルダに呼ばれて二人はエスメラルダとアナスタシアの間に体を滑り込ませた。
いざとなればアナスタシアを取り押さえることも、エスメラルダを守ることもできる立ち位置だ。
オパールは護衛ではなく侍女なのだが、音楽サロンのトレーナーになってから肉体改造に目覚めた彼女は戦闘もできる鬼強いメイドになった。
メイスぶん回すのは無理だが、スカートの下に警棒を隠し持っている。
空いた時間にシトリンに訓練してもらっているので、今は婦人警官くらいの戦闘力がある。リアルだな。
「あ、あの……」
「貴女。先ほど椅子に座る際に左足を引いたわね。ダイアナは右足を引くのよ」
「……」
こ、細けぇ。
友達の椅子の座り方なんて、意識したことないぞ。
「椅子に座った際に、手でスカートを直したわね。わたくし、ダイアナがそんな仕草をするのを見た事が無いわ」
え。怖。
スカート直す習慣がなくても、偶々ズレたら直すこともあるんじゃないか?
エスメラルダは、推しキャラがいつもと違う口調になったら、気になるタイプなんだろうな。
「極め付けはカップの持ち方ね。我が国は親指、人差し指、中指の三指で摘むように持つのよ。貴女は親指と人差し指だけで持ち、中指を取っ手の下に添えて支えているわね。その持ち方をするのは、この辺りではギャラン帝国だけよ」
見た目は少女、中身はスパルタマナー講師。
マナー違反を指摘する時の台詞は「あらら〜 おかしいわね〜」だな。
態度に出すことは無かったが、お仕えするお嬢様の突然の宣言に半信半疑だったオパールとシトリン。しかしエスメラルダの推理が披露されるのに比例して、彼等の緊張は高まった。
「誤魔化そうとしても時間の無駄よ。観念して白状なさい。わたくしの親友になりすまして、何が目的なの?」
叱責するように畳み掛けられ、アナスタシアは限界を迎えた。
「〜〜た、助けてくださいぃ」
ボロボロと泣き出した見た目ダイアナお嬢様に、一同は動揺した。
気持ちはわかる。ダイアナお嬢様からは考え難い姿だからな。
*
今までの経緯を泣きながら自白するアナスタシアに、エスメラルダは困惑した。
てっきり変装した偽者だと思っていたが、その肉体はダイアナのものらしい。
俄には信じ難い話だが、ダイアナが精神的な疾患を持っているとは考え難い。
興奮しているからか、アナスタシアの話はまとまりが無く断片的だ。かつての自分を見るようで、エスメラルダの態度はやや軟化した。
彼女が根気よく情報を引き出していると、サフィルスを伴ったメイジーが部屋に入ってきた。
「ダイアナ!? どうしたんだ!?」
すっかり窶れた婚約者が泣いている姿を見て、挨拶をすっ飛ばして距離を詰めるサフィルス。中腰になり涙で濡れた顔を覗き込んだ。
突然現れたイケメンに至近距離で見つめられ、思わずアナスタシアの顔が赤くなった。
「──っ!? ダイアナじゃない!!」
ポーッと赤面するアナスタシアとは対照に、蒼白になり後ずさるサフィルス。
一発で見抜いたのは大したものだが……なあ、それで確信するのってどうなんだ?
片想いとはいえ、婚約者同士だろ? 虚しくない? 殿下って、実はMなの?
「サフィルス様。その娘の名前はアナスタシア・ヴィヴィアンと言うそうよ」
「ヴィヴィアン……? どこかで聞いた事のある響きだな」
「ギャラン帝国の公爵家らしいわ。今、ダイアナの体の主導権を握っているのがアナスタシアなら、ダイアナの精神はどうなっているのかしら……?」
「肉体の中で休眠状態になっているのか、アナスタシア嬢と精神を交換する形で彼女として生活しているのか……」
考え込む彼等には悪いが、答えは入れ替わりだ。
早く話を進めたい身からすると、愉悦よりも、もどかしさを感じるな。
ダイアナの体の前で悩まないでください。そこにダイアナお嬢様はいません。眠ってなんかいません。
「もし二人の精神が入れ替わっているなら、あのダイアナが帝国で大人しく過ごしているとは考え難い。彼女なら、この国に来て僕達の誰かに接触しようと考えるはずだ」
「そうね。入れ替わってから結構時間が経っているもの。あのダイアナですもの。とっくにこの家に乗り込んできているはずだわ」
二人共よく分かってるじゃん。
ジェンマ国王太子の婚約者は、王子様の助けを待つお姫様ではない。
フィジカルが強いわけでもないのに、敵地だろうと、無人島だろうと逞しく生き延びて自力で生還する系ヒロインだ。Gよりも生命力の強いDだぞ!
「……それは無理だと思います」
言おうか一瞬迷ったが、ここにきて隠し事をしても、更に自らの首を絞めるだけだ。
(なにより自分の心がこれ以上の重責に耐えられない)
アナスタシアは全て打ち明けることにした。
「この体で目覚める直前、私は妹を殺そうとした疑いで投獄されたんです。翌日裁判が行われる予定だったので……」
それ以上はとても言えなかった。
この世界が現実だと気付いた時、アナスタシアは死後に悪霊となった自分が、ダイアナの体に取り憑いたと考えた。
理想を具現化したようなダイアナの体を乗っ取ることで、生前の願望を満たそうとしたのだと思っていた。
しかしサフィルスの言葉で、ダイアナが自分の体に入っている可能性に思い至り、アナスタシアは目の前が真っ暗になった。
(きっと彼女も私と同じで、目が覚めたら右も左も分からない状態だったに違いないわ)
そんな彼女を、敵だらけの場所に放り出してしまった。
(彼女の輝かしい人生を奪い、彼女には私の人生を押し付けたなんて……)
自分が仕組んだことでは無いが、なんの罪もない少女を自分の身代わりにしたことになる。
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