ダイアナマジック
「ねえ、ダイアナ。わたくし達、この後どうしたら良いのかしら? 警吏に助けを求めると言っても、彼等がどこにいるのか分からないの」
産まれてこの方、付き人や護衛のいない状態で外出したことのないエスメラルダは、心細そうに震えている。
学園内では単独行動しているが、あれは外の世界から遮断された箱庭のようなものだ。
例え真昼の街中であっても、彼女にとっては恐ろしい未知の世界なのだろう。
「詰所はここから離れていますし、時間のロスが大きすぎます。ショートカットしましょう」
この場の模範解答は最寄りの警吏に保護を求め、犯人達のリストを提供することだ。
エスメラルダも当然そのつもりだったが、ダイアナは違うようだ。
「警吏に行かないなら、何処へ行くの?」
「王宮です!」
王宮に乗り込む云々言っていたが、アレ本気だったらしい。
「ダイアナ。貴女まさか本当に……?」
「安心してください。反体制派の代表として交渉する為じゃありませんよ。そんな事するわけないじゃないですか」
ダイアナお嬢様は同情とか、ストックホルム症候群とは無縁の、強靭な自我をお持ちの方だった。
「今回は王族と、外国籍の貴族が関わっています。街の警吏に行ったところで、その場の人員では対処できません。というか責任取るのが嫌で、決断できる人がいません」
上層部からの指示があるまで、劇場を包囲して待機が関の山だと踏んでいる。
「そういうものなのね……」
少し釈然としないが、エスメラルダは与えられた情報に納得することにした。
「直接上に伝えて、即対応してもらう方が早期解決に繋がります。何より、そちらの方が誰にとっても良い結果になるんですよ!」
どうやらダイアナお嬢様のバトルフェイズは、まだ終了していないようだ。
ダイアナは、この先に待ち受けている未来が明るいものだと確信があるようで、自信満々に断言した。
友人の笑顔に嘘偽りが含まれていないことを感知して、エスメラルダの顔が綻んだ。
彼等に思うところはあれど、真っ当な人間性の持ち主である彼女は、劇場内に置いてきた人質の安否が心配だったのだ。
「そう……。ダイアナが言い切るなら、きっと大丈夫ね。……でも王宮まで、どうやって行けば良いのかしら?」
和らいだエスメラルダの顔が、再び曇る。
王宮は小高い場所に立っているので、王都のどの位置からでも見える。二人が立っている旧市街からだと、徒歩で行くには距離がありすぎる。とてもじゃないが踏破できる気がしない。
「大丈夫です。馬車で送ってもらいましょう!」
ダイアナはエスメラルダの手を引くと、迷いのない足取りで一軒の建物を目指した。
*
「ええと。ここってアレよね……?」
エスメラルダの困惑した声は尤もだ。
二人が到着したのは、旧劇場の道斜め向かいにあるパティスリー・ラパン旧市街店。
王都だけで五店舗あり、ジェンマ国の主要都市には必ず一店舗は出店している大手チェーン。
店には行ったことがないエスメラルダだが、有名店なので名前やロゴは知っていた。
「ちょっと、待っててくださいね……」
ダイアナはチラリと駐車場をチェックしたが、お目当ての物はなかった。
もし此処で貴族の家紋が刻まれた馬車を見つけたら、生きる印籠オブシディアン公爵令嬢を使って馬車を強奪するつもりだったのだが、幸か不幸か送迎付きで来店した貴婦人はいないようだ。
店の名前が書かれた、社用車と思しき物しか見当たらなかった。
素早くダイアナはプランBに移行した。
軽い足取りで、店の扉を開く。
勿論ダイアナ劇場で酷使した喉を潤すためでも、糖分補充するためでもない。
*
旧市街店はテイクアウトだけじゃなく、カフェも併設している。
それなりの価格帯の店なので、主な客層は裕福な商家の娘か、そこまで身分の高くない貴族令嬢だ。
「いらっしゃいま──」「助けてくださいっ!!」
給仕の青年は、いつものように対応しようとして固まった。
二人組の御令嬢が来店したと思ったら、その内の一人が物凄い勢いで詰め寄ってきたからだ。
「私はオブシディアン公爵家の侍女です! お嬢様と一緒に町に来たのですが、護衛と逸れてしまいました!」
「え? え?」
俄には信じ難い話だが、二人とも日頃店に来る令嬢達よりも遥かに身形が良い。
「私はともかく、お嬢様をこれ以上無防備な状態にするわけにはいきません。王宮か、オブシディアン邸まで馬車で送ってください!」
「ええっ!?」
「お願いします! 早くっ!!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 俺の一存で決められることじゃないんでっ!」
大物過ぎて悪戯なら洒落にならない。本当なら、もっと洒落にならない。
慌てた青年は二人を事務所に連れて行くと、大急ぎでマネージャーを呼んだ。
呼び出されたマネージャーも仰天だ。
偉い人の顔なんか知らないが、王妃が黒髪でオブシディアン公爵家出身であることくらいは知っている。
そして事務所のソファに座る、綺麗に手入れされた黒髪の御令嬢。
店のインテリアは高品質でお洒落だが、従業員スペースには安い量産品の家具しかない。
最後に拭いたのがいつだか覚えていない草臥れたソファに、素人目にも格が違うと分かるお嬢様を座らせてしまっている。マネージャーは、その光景だけで胃がキュッとなった。
「突然お邪魔してごめんなさい」
「いいいいいいいえ滅相もないっ!! こんな場所に光栄で、いや違う恐縮ですハイ!」
テンパって、自分でも何を言いたいのか分からなくなった。
「わたくしお金を持っていなくて……後日、改めてお礼させていただくから、一先ずこれでお願いできないかしら」
耳から外したイヤリングを差し出されて、マネージャーは白目を剥いた。
全く歪みのない、完璧な球体の大粒真珠だ。
高級ジュエリーショップのショーケースに、恐ろしい金額の書かれた値札と一緒に飾られているのを見たことがある。「こんな高級品、誰が着けるんだよ〜」と、箔付のディスプレイだと思っていたが、こういう人が着けるらしい。
(こんな凄い物もらっても困る!! 換金するにも盗品扱いされそうだし、妻に贈っても持て余す!!)
「遠慮しないで」と微笑まれたが、汗腺の無さそうな嫋やかな御令嬢とは違い、マネージャーは極々普通のオッサンだ。
(生きた宝石とも呼ばれる真珠に、こんなオッサンの手の脂を付けるわけにはいかない!)
失礼を承知で、彼は後ろで手を組んで受け取りを断固拒否した。
*
郵便局の配達員であれば、住所が書かれていなくても余裕で行けるオブシディアン邸だが、一般人はその名前こそ知っていても家の場所なんて知りはしない。
震え上がったマネージャーは、店の馬車に二人を乗せると、王都の住民なら誰もが知っている場所──王宮へ馬車を走らせた。
ダイアナの目的地は最初から王宮一択。
しかし別の選択肢を混ぜることによって、『連れていくかどうか』ではなく『どちらに連れていくか』に思考を誘導した。同等に見える選択肢でも難易度に差をつければ、自由意志に見せかけて望む方を選ばせることができる。
エスメラルダのアシストで相手から冷静さを奪えば、いとも容易く無料の馬車(御者付き)をゲットできた。
「……ダイアナは凄いわね」
ガタゴトと揺れる車内で、エスメラルダは呟いた。
考える時間ができたことで、押し込めていた恐怖心が息を吹き返した。
今も自分達が清い身体でいるのは、奇跡に近い。
あり得た可能性を考えるだけで、エスメラルダは気が狂いそうになった。
色々な可能性を考える癖が、またもや自分を追い詰めようとしている。ダイアナと出会い、自分の長所が短所でもあると自覚した彼女は、必死になって目を逸らした。
「私が冷静に行動できたのは、エスメラルダ様がそばに居たからです」
「ダイアナ……」
エスメラルダは「守るべき存在が居ると強くなれる」的な意味に受け取って感動しているが、多分違うぞ。ダイアナお嬢様は、そんな少年漫画のヒーローみたいなキャラじゃない。
(お化け屋敷で自分より怖がってる人が居ると、自分はあまり怖くなくなるあの現象……何て言うんだっけ? そもそも名称あったっけ?)
ほらな。
それにしてもスケールおかしいだろ。お化け屋敷と、テロリストによる集団暴行を同列にするなよ。
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