わァ…(最終話)
「あれって、もしかしてジャスパー? やだ、あの子なにしてるのよっ」
素っ頓狂な声にダイアナが振り返ると、色とりどりの反物を手にした集団がいた。
状況を理解した彼等は駆け出すと、持ってきた布を即席マットレスの上に手早く広げていった。
「布を貸してくれって言うから持ってきてあげたけど、こんなことに使うなんて聞いてないわ。ちょっと! それヤゴール織よ! 汚さないでよね! 嘘でしょ! そこにあるの私のドレスじゃないっ!?」
駆けつけた者達の中で、唯一手ぶらだった女性が甲高い声で喚く。
本気で状況がわかっていないのか、それとも人命を軽んじているのか、彼女は緩衝剤替わりに積み上げられたドレスを見咎めるとプリプリ文句を言った。
(もしかしてマイカ様……?)
実物を見るのは初めてだが、状況的に彼女がマイカである可能性が高い。
若い頃はさぞかし可憐でモテたんだろうな、と感じる顔立ちだ。
クレイと同年代のはずだが、未婚の少女のようなドレスや髪型をしているので、今はぶっちゃけイタいおばさんだ。
化粧も引き算せず、全パーツ限界まで盛りまくっているので「必死に若作りした結果、実年齢よりも老けて見える」という、残念な仕上がりになっている。
ダイアナと目が合ったマイカ(仮)は、サッと全身に視線を走らせると、ふふんと笑った。
(あ。マイカ様だ)
彼女はダイアナのアクセサリーを見た後にドヤ顔して、何もつけていない手で髪を耳にかけてみせた。
あの嘘を真に受けて「アクセサリーに頼るなんてみっともないわね。私はそんなものつけてないわよ」と、マウントとっているようだ。
「マイカさん!? どうしてここに!?」
「──っ!!??」
ベリル夫人が、居るはずのない人物の名前を口にしたことで、驚いたジャスパーは手をすべらせた。
悲鳴をあげる暇すらなく、すべてが一瞬の出来事だった。
脱力した状態で落下したため、ジャスパーの体は素直に重力に従って落ちた。
ボスンッと音を立てて、痩躯が色鮮やかな布の海に沈む。
誰もがジャスパーに注目する中、一人だけ違う反応をした人間が居た。
「ディッ!!」
サフィルスがダイアナを庇うのと、すっぽ抜けたジャスパーの靴が王太子の頭にクリーンヒットしたのはほぼ同時だった。
「殿下っ!?」
「申し訳ございません!! 大丈夫ですか!?」
予想外の攻撃に護衛たちが慌てふためく。
高度なミスディレクションだ。防げなくても仕方がない。
「殿下。どうして……」
「君に話しかける隙を伺っていたから、飛んでくるものに気付くことができたよ」
左手をダイアナの腰にまわしたまま、右手で後頭部をさするサフィルス。
コブにはなっているが、出血はしていない。
頭部なので一応診察を受ける必要があるが、これならお咎めなしの方向で収められそうだ。
せっかくダイアナが汚名返上を提案したというのに、他国の王太子に怪我を負わせたと広まったら台無しだ。
ベリル家、不憫属性が過ぎる。
まあ落石の次は靴と、殿下も運の悪さはどっこいどっこいなので、まとめてお祓いしてもらった方がいいかもしれない。
「そうじゃなくて……。今『ディ』って……」
「うん。全部思い出したんだ」
大事なことを話していなかったのはお互い様。
今朝、起きたらナチュラルに記憶が戻っていたサフィルス。
己の野望を叶えるべくダイアナが奔走していたので、元に戻ったことを話すタイミングがなかった。
まだ婚約者なので寝室は別。
ベリル家への移動もルベルが馬車に同席していたので、結局ダイアナに言えないままここまできてしまった。
今の彼は記憶を失う前のことも、失った後のことも両方覚えている。
周囲がジャスパー親子のやり取りに気を取られている隙に、ダイアナにこっそり話そうとしていたので、幽霊族の少年が持つゲタが如く敵に向かって飛んでいく靴に反応できた。
ダイアナお嬢様は、自力でなんとかしちゃう系ヒロインなので、こうやってヒーローに守られるシーンは大変貴重だったりする。……基本的に物理攻撃は護衛が防ぐしな。
「あれ? 喜んでくれないのかな」
「……」
ダイアナの反応に、サフィルスは微苦笑した。
世界は広い。
この世には何億と人間がいる。
ダイアナの考えを尊重することしかできないサフィルスとは違い、恋愛に興味がない彼女があっさり恋に落ちてしまうような相手だって、どこかにはいるかもしれない。
サフィルスは、自分が面白みのない人間だと自覚している。
だから強烈なダイアナに惹かれた。
あらわれるかどうかも分からない人物に彼女を譲りたくなくて、アレコレ理由を作って隣に立つ権利を得た。
生まれて初めて貫いたエゴだ。
覚悟は決めているが、それでも時々自分は間違えているんじゃないかと迷うことはあった。
出会ってまだ一年。二人が共に過ごした時間は短い。
サフィルスが今までのことを覚えていなくても、また最初から始めれば良いとダイアナは言いきった。
彼女のことだ。本気だったに違いない。
「困ったな」
言葉とは裏腹に、サフィルスの声は弾んでいる。
何故涙が出たのか、理解できないのだろう。
指ですくった涙を不思議そうに見つめるダイアナが、サフィルスには愛しくてたまらなかった。
ダイアナは恋をしたことがない。
たぶん愛もよくわかっていない。
この先もずっとわからないままかもしれない。
しかし『フィル』と呼んでいた男が戻ってきたことに、思わず涙してしまうくらいには、彼女の中でサフィルスは特別な存在だったようだ。
たった一雫だけど、それだけでサフィルスは胸がいっぱいになった。
(充分だ。これだけで七十年くらい頑張れる)
涙一滴でそんなに走れるの!? 燃費良すぎない!?
平均寿命六十八歳の国で、一体何年生きるつもりなのか。気が長いにもほどがある。
亀は万年というが、このウミガメは人間の寿命分くらい余裕で片想いできるようだ。
コランダム編END