それいけ! マイカ様
「社長!? どうしてコランダムに!?」
「近くまで来たんで、どんな調子かついでに覗いておこうと思ってな。ああ、この娘は職場見学希望のカイヤだ」
ダイアナがプレーズ家の応接室でプレゼンしている頃。クレイは同敷地内にある、とある建物──ベリル邸の別館であり、最近は工房と呼ばれている場所を訪れていた。
「助かります! あのバケモ──マイカ様を止めてください!」
お前、今バケモノって言いかけた?
「マイカ……? ああ、ダイアナがデザイナーを任せている元公爵令嬢か」
*
ジャスパーの事件の後、アリアネルはマイカに何らかの報復を行いたいと考えていた。
しかしマイカが行ったことは、訪ねてきた息子に悲劇のヒロインムーブをかましたことだけ。
彼女が求めたのは「私のことを可哀想だと言って」「私が嫌いな連中を、貴方も嫌ってよ」だ。
ジャスパーが正義感こじらせて、実母を貶めた連中に復讐しようとしたのは想定外の出来事。
犯罪教唆ですらないマイカの行いは、罪にはならない。
そう頭では分かっているが、アリアネルの腹の虫はおさまらなかった。
王太子妃教育の一環となっている嫁姑のお茶会で、アリアネルはダイアナならどう対処するか問うた。
ダイアナは個人的にマイカに恨みはない。
婚約者の叔母にあたる人物だが、婚家が彼女を表舞台に出さないようにしているので、此方から接触をはからない限り今後も関わることはない。
事件に巻き込まれたことについては、ベリル家が所有していた土地にアダマス家が工場を建てることで話がついている。
姑が嫌っているからとマイカを攻撃したら、それこそジャスパーと同じだ。
敵を社会的に抹殺することに定評のあるダイアナだが、彼女は殺し屋ではない。
ダイアナが他人を攻撃するのは、自衛だろうと、利益を求めてのことだろうと、結局のところは自分の為だ。
頼まれたとしても、自分に利が無ければ動かない。
ダイアナの中では、この件は既に手打ちになっている。
アリアネルと上手くやっていきたいからと、マイカを攻撃するつもりはない。
(とは言え、何も提案しないのは不味い)
これも王太子妃教育だと考えるなら、マイカは仮想敵だ。
相手を糾弾する正当な理由がない。しかし放置できない場合、どう対処するのか問われているのだ。
お茶会から数日後、アリアネルはマイカについての資料を渡してきたので、ダイアナはやはり試されていたのかと真面目に取り組むことにした。
余談だがアリアネルは、お茶会で愚痴って積年の鬱憤をはらしていただけだ。
特に何も考えずにダイアナに話を振ったら、大ごとになってしまい彼女は退くに退けなくなったにすぎなかったりする。
主人公が勘違いされるだけじゃなく、主人公もまた勘違いするのが勘違い系のお約束というものだ。
〜マイカ・ベリルの一日のルーティン〜
昼前に起きて、ゆっくりとブランチを楽しむ。
商人を呼んで買い物か、側仕えによるエステ。
晴れていたら別館の中庭を散策して、東屋でティータイム。
雨だったらお茶を飲みながら恋愛小説を読む。
疲れたらお昼寝。
時間をかけて晩餐を楽しんだ後、湯浴みをする。
fin.
「……」
報告書を読んだダイアナは半眼になった。
セレブというか、セレブに飼われているお猫様みたいな生活だ。
しかし反体制派の事件を機に、彼女の優雅な引きこもりの日々は崩壊した。
大事な跡取りを誑かしたことに腹を立てたベリル氏──現当主が、彼女の生きがいである買い物を禁じたからだ。
外に出ない大人が、季節ごとに衣装を新調する必要はない。今まで散々仕立てたんだから、残りの人生は手持ちの服で過ごせ。
侍女と夫以外の人間に会わないんだから、新しい化粧品だって必要ない。
今まではベリル家の嫁と言っても、マイカは半分客人扱いだった。
別館の中でどんな生活をしようと、当主も口出しする気はなかったが害があるなら話は別。
自業自得なのだが、それでも弟夫婦を軟禁していることに罪悪感があった当主は、屋敷の維持費や使用人の給料はベリル家で負担していた。
当主は一緒に押し込めた弟──マイカの夫に、在宅ワークを割り振って給金を支払っていた。
弟にはかなり色をつけた給料を渡し、別口で予算を与えていたので、マイカがお買い物三昧しようが今まではなんとかなっていた。
ジャスパーの一件で、当主は弟夫婦を経済的に締め上げることにした。
予算は廃止。
弟への給料は、最低限度の文化的な生活を賄える程度に。元々簡単な事務処理しか任せてなかったので、適正金額に戻したとも言える。
使用人は全員解雇。
別館の使用人の職務には、マイカ夫婦の監視も含まれている。
ジャスパーとマイカが接触していることに気付かない。もしくは把握していたのに、本来の雇い主である当主に報告しなかった者など不要。
屋敷の管理については、本館の使用人が毎朝清掃に訪れ、食事もその時に当日分を置いていくよう命じた。
配膳? 風呂の手伝い? 食っちゃ寝してるだけなんだから、最低限のことは自分でやれ!
「時間を持て余してるから、妙なことをするんでしょうね。余計な気をおこさないくらい働かせて、ついでに自分の食い扶持は自分で稼がせますか」
マイカを忌々しく思っている当主夫婦と、フラストレーションが溜まっているマイカ。
ゲス系主人公だが、英霊になったら多分善属性のダイアナお嬢様は閃いた。
*
「マイカ様、一体何枚デザインされたんですか!? 今季は特に行事がないので、こんなに作る必要はありませんよ!」
「どんどんアイディアが沸いてくるんだもの! ひとつだって無駄にはできないわ!」
デッサンの山を前にして、パタンナーの男はどう言いくるめるか迷った。
(いや、こんな時こそあの人の出番か。夫なんだから上手くやってくれるだろう)
暫し迷った後に、今や妻のマネージャーと化している男に押し付けることにした。
マイカを働かせることにしたダイアナお嬢様。
セレブがブランドをプロデュースするのは、前世ではよくあることだった。
その名も『メゾンマイカ』。ブランドロゴは『MM』。
引きこもりだろうが長年異国で生活していれば、審美眼も影響を受ける。
マイカの強みは、コランダムのエッセンスが溶け込んだジェンマ風のドレスを作れるところだ。
異国の料理を、その土地の人間の舌に合わせて提供していると考えるとわかりやすいだろう。
着飾るのが大好きなマイカは、祖国にいた頃からファッション関連の知識だけは豊富だった。
だが、いくら美味しい料理を作っても、売り方が下手だと売れない。
しかしそこはアダマス親子の得意とするところである。
王太女の誕生と、留学生の帰国が追い風になり、忘れ去られていたお騒がせセレブは、あっという間にカリスマデザイナーとして有名になった。
幸か不幸か、長年自宅警備員だったマイカは、自分が中年女性になったという自覚がない。
今も二十歳前後の女子気分なので、彼女が描くのはティーンエイジャーから二十代前半向けのデザインだ。
流行りのデザインを追い求めて頻繁に買い物をする、購買力の最も強い層を見事なまでに狙い撃ちしている。
単価で言えば年配者の方が一着あたりに使う金額が大きいのだが、彼女達は良いものを長く使うので売上としては微妙だ。
安価な品をポンポン購入してくれた方が、商売としてはありがたいのだ。
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